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5 カイルの霍乱
リジーはモップを洗ってかたずけて休憩室に戻った。スーザンはまだだったが、コーヒーサーバーの所に先客がいた。カイルだった。
「!」
見ると、カイルは紙コップを持たずに、注ぎ口の下に置いたままボタンを押していた。
リジーはじっと観察してしまった。
(そうか、置けば落とさずに済むんだ)
「なに見てる!?」
リジーの視線に気がづいたカイルが鋭い声を上げた。
「す、すみません! さっきサーバーの使い方を失敗してしまったので、カイルさんのやり方をお手本にしようと見てました。声もかけずに勝手にじっと見てすみません」
カイルが、ギロっとリジーを見た。
「これを失敗って……。馬鹿なのか?」
冷淡に言い放たれた。
「はい、馬鹿です」
リジーは肩を落とした。
「自分で言うな。……ほら、やってみろ」
「え?」
「見てたんだろう?」
カイルに顎でやれと促され、リジーはカイルの威圧感に負けた。
恐る恐る紙コップを注ぎ口の真下においた。それからボタンを丁寧に押した。
すると、コーヒーが勢いよく出て、多少ははねたがうまく紙コップに満たされた。
「できました! カイルさん!!」
満面の笑みを浮かべるリジーに、カイルはため息を返した。
「馬鹿か……。それくらいガキでもできるだろ! サーバーなんかの使い方より、早く仕事を覚えろ!」
「は、はい……」
リジーはしゅんとしたが、カイルの言うことは最もだ。早く仕事を覚えたい。
「仕事、がんばります!!」
リジーは顔を上げ、目力でカイルに対抗してみた。
カイルはきつい目線を返すと、一度瞬きしてから無言で自分のコーヒーを持ってその場からいなくなった。
「ふう」
リジーはようやくためていた息を吐いた気がした。
その後すぐにスーザンが戻って来た。
「シミはきれいに落ちたよ。ベランダに干して来た」
「よかった……。ありがとうございます」
リジーはホッとした。
「すぐだったからね。これは、別のエプロン。午後はこれを使って。あれ、まだお昼食べてなかったの? じゃあ急いで一緒に食べようか」
「はい」
「あ、今度はうまく注げたんだ」
スーザンはリジーの手元のコーヒーを見て、微笑んだ。
「はい、カイルさんのやり方を見て……」
「え? カイルいたの?」
「コーヒーを取りに来たみたいですよ。コーヒーを入れて、すぐに行ってしまいましたけど」
「へえ~」
スーザンは意味ありげな顔をしたが、リジーにはわからなかった。
♢♢♢♢♢♢
店の喫煙室を利用する社員は、普段ふたりしかいない。
シルビアとカイルだけだ。ふたりは偶然一緒になると、何となく会話する仲だった。
カイルは昼は必ずコーヒーを飲みながら一服する。いつもは近所のカフェからテイクアウトするのだが、今日は休憩室のサーバーのコーヒーを顔をしかめながら飲んでいた。
シルビアは椅子に深く座り、組んだ足をぶらぶらさせながら煙草を吸っていた。
「よく、あの不器用で素朴な小娘を採用したな?」
珍しくカイルから声がかかったので、シルビアは眉を上げおや? という表情をした。
「え? 酷い言いようね。あなたがそれを言う?」
「俺も、よく……の方ってか? 確かにな」
「うちにはいないタイプだったし、これからは素直な癒し系も需要があるかと思ってね。あの子に興味持った?」
「まさか!」
「あの子、面接の時に絵が好きだって言ったから、ちょっとふったら、画家のうんちくを次から次へと語り出して……。それが子守歌みたいに心地よくて寝そうになったわ。画家では特にマリー・ローランサンが好きなんですって。ローランサンの恋の遍歴とか、同性愛者っぽかったことまで話し出したときは……アハハハ、可笑しかったわあ」
シルビアが身体を揺らしながら豪快に笑い出したので、カイルは引いた。
「あとは彼女の声が個人的に好きね。なんだかほんとに癒されちゃって……。だから採用!」
「大した理由だな。そんなだからいつまでたってもこの店が儲からねえんだ」
「あら、カイルがもうちょっと人あたりが良かったら、女の子にうけて女性客が増えると思うんだけど?」
「無理」
カイルは目を細め、不機嫌な顔で即答する。
「うふふ、私はカイルのそういう顔、好きだけどね。物好きが現れると良いわね。私みたいな……」
シルビアがニヤリとする。
(笑えねぇ)
と、カイルはそっぽを向く。
喫煙室でのシルビアは、よくカイルをからかって遊ぶ。
『できました! カイルさん!!』
不意にカイルの脳裏にリジーの無邪気な笑顔が浮かんだ。あれは無意識であって自分に対してじゃない。おそらく、そこに誰がいようとあの顔だったに違いない。
カイルはシルビアに観察されていることに気が付いていない。
『あの子に興味持った?』
(断じてそれはない……。珍しいだけだ。偶然にしても、今まであんな顔を女から向けられたことが無かったからな)
カイルは根元まで吸った煙草を捨てた。
鬼の霍乱? かしらね。
シルビアはまたニヤリとすると、2本目の煙草にゆるりと火をつけた。
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