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7 悪魔で狼、魔王でカラス?
ある日の夕方、リジーはいつものマーケットの出入り口でジョンと偶然出会った。
最近は<スカラムーシュ>の在庫家具の乾拭きの手伝いもしているせいか、ジョンとの付き合いにもだいぶ慣れて、敬語なしで普通に会話できるようになっていた。
「やあ、リジーも買い物?」
「ジョン!? マーケットにいたんだね。気が付かなかったよ。冷蔵庫の中が空っぽになっちゃったから、買い出しに来てたの」
「そうか」
ジョンはそう言って、またヒョイとリジーの大きな紙袋を持ち上げる。
「あっ!」
油断した!とばかりに、リジーが慌てて腕を伸ばすと、小さめの紙袋が渡された。
「はい。今日は僕のも少し重いよ。水が入ってるから」
「ううん、ジョンのは全然軽いよ。ありがとう、重い方を持ってくれて」
「僕の自己満足だから」
「……そんな」
(この前も、荷物を持ってくれた。優しい……)
ジョンはたぶん自分に合わせてゆっくり歩いてくれている。身長差が恨めしい。
(私がもう少し背が高くて、足が長ければなあ)
ジョンを見上げる首も少し辛い。
「仕事は慣れてきた?」
「うん、慣れてきたよ。まだまだ覚えることも一杯だけどね。私は、今は絵の担当なんだけど、画家の生い立ちや作品の背景を知ると、ひとつの絵からいろんな物語が広がるの。絵画って奥が深いなあって思う。お店で扱ってるのは現代作家のポップな作品が多いんだけど、個人的にはピカソあたりの時代の画家が好きかな」
「モディリアニ、シャガール、ユトリロ……とか? 僕も好きだよ」
「この時代の画家ってみんな意外と壮絶な人生で驚くよ。ユトリロなんて、あんなに優しいタッチの絵を描いているのに本人はアルコール依存症で性格は暴力的だったんだって」
「そう……。確かに絵からは想像できないね」
(自分がそんなだったから、穏やかな絵を描くことで自分自身が癒されて……ユトリロの白の描写は胸に痛い)
リジーの脳裏には、ユトリロの描いた人のいない町の白い風景画が広がっていた。
「クロウ! 最近会わないと思ったら、どういうこと? なんで女の子連れてんの?」
背後から場違いともいえる、やたらと明るい男性の声が響き、リジーは驚いて振り向いてしまった。
そこには<タコガーデン>という名前入りの若草色のTシャツを着た男がニヤニヤしながら立っていた。
銀色に近い金髪に碧眼で、年はジョンと同じか少し下くらいに見える。
(ジョンの知り合い? だよね。タコガーデンって、もしかしてあのタコスのファストフード店?)
見た目はモデルのように美しい男の人だけど着てるTシャツが残念、とリジーは瞬きした。
そして、ジョンが<クロウ>と呼ばれていることを改めて思い出した。
隣にいるジョンはかなり浮かない顔をしているようだった。
「サム、その呼び名はやめてくれ。もうスペードはいない。……それからこの子には絶対ちょっかい出すなよ。彼女はオーナーの親戚で、僕は彼女の母親からおまえみたいな悪魔を寄せ付けないように頼まれているからな」
今までとは違うジョンの強い物言いに、リジーは思わず目を見張った。
「へえ、自分は魔王のくせによく言うよ。俺はサミュエル・クローズ。よろしく、お嬢さん。きみ、シンドバッドさんの親戚なんだ……。俺のことはサムって呼んで。ちなみに俺は本当の悪魔じゃないから安心してね」
サムは愛想良くリジーに近づこうとしたが、ジョンの壁に阻まれた。
「リジーです。よろしくお願いします」
リジーはジョンの背後から顔を覗かせて、サムに挨拶を返した。
「サムはジョンのお友達ですか?」
「そうだよ!」「まさか!」
二人の声が重なった。
(どっち……?)
「俺はそこの<タコガーデン>で働いているから、絶対食べに来てね!」
サムの人懐っこい笑顔とジョンの迷惑そうな顔が対照的で、リジーはクスっと笑ってしまった。
「はい、私タコス好きなので、近いうちに。……あの<クロウ>って……?」
「ジョンのことだよ。このあたりじゃ有名……」
「やめろ! サム」
「なーに、今さら。別に隠す必要ないだろうに」
サムはにこやかにしている。悪意は感じない。
「行こう、リジー!」
ジョンはリジーの手をサッと掴むと、引っ張ってすたすた歩きだした。
(え!?)
「さよなら、リジー。店に来てくれるの待ってるよ~。クロウ、またな!」
「あとでな!!」
「了解!」
(あれ? やっぱり仲良し?)
リジーはジョンにまだギュッと手を繋がれたまま、引っ張られていた。
でも、不思議と嫌な感じはしない。少し胸がドキドキしている。
「サムは狼だと思って気を付けて……。あ、ごめん」
そう言って、ジョンはリジーの手を離した。
「ううん。大丈夫」
(さっきは悪魔って。次は狼? 悪魔で狼って……どんな人種? で、サムに言わせたらジョンは魔王でカラス?)
リジーはそんなことを真剣に考えている自分が急にばかばかしくなった。それより、
「ジョンがどうして<クロウ>って呼ばれてるか知りたい。だめ?」
「怖くない? 僕が<クロウ(カラス)>なんて呼ばれてて……」
「ううん、確かにカラスは怖っていうイメージがあるけど、たくましくて賢い鳥だよね。生涯同じつがいと過ごして子育てするって聞いたことあるし」
ジョンの眼差しが優しくなったので、恥ずかしくなる。
「5年くらい前かな。僕の部屋のベランダに弱って身動きしないカラスがいたんだ。可哀想だから、僕の食べていたベーコンの残りを置いてやった。僕が見ていないうちに食べたみたいだったから、それから毎日食事を分けてやった。つい名前もつけてしまった……」
「もしかしてスペード?」
「そう」
(<スペード>ってカラスだったんだ)
「名前をつけると情がうつるもので、ある朝スペードがベランダからいなくなっていた時は少し寂しかった」
「……」
「でも、スペードは僕のことを覚えていてくれたんだ。僕がマーケットに行こうと外に出たら、僕を見つけて飛んできた」
「スペード賢い! でも、ジョンもスペードだってわかったの?」
「ああ、毎日見てると違いがわかる。思わず手を伸ばしたら、僕の腕に乗った。それからしばらくの間、僕が買い物しようと外に出ると、腕に乗ってきてそのままついて来た」
「すごい! そんなに人に慣れるものなんだ?」
「僕も驚いたよ。だけど、回りの人たちのほうがもっと驚いて、カラスとか魔王、魔法使いとか、僕をそんな風に呼ぶようになったんだ。僕の髪の色もカラスの羽のような黒だしね。最初に僕を<クロウ>と呼んだのはオーナーだよ。スペードを腕に止まらせていた僕を見た瞬間、なんだか小躍りして喜んで今日からお前を<クロウ>と呼ぶとか言い出して……。まったく、あの人ときたら……サムもいい気になって、魔王とか……」
ジョンが気難しい顔で文句を言っている姿が、リジーには新鮮に映った。
「それで、今はスペードはどうなったの?」
「いつの間にか来なくなった」
ジョンがいくらか残念そうな寂しそうな遠い目をする。
「きっと生涯のつがいと出会って、子育てに忙しくなったんだね」
「そうだね」
リジーの言葉にジョンは気を取り直したかのように微笑んだ。
「でも、スペードを腕に乗せて歩くジョンの姿、見たかったなあ」
微妙に嫌そうに眉を寄せたジョンをよそに、リジーは内心想像して少し浮かれた。
(黒いマントに腕にはカラス、本当に物語の魔王みたいでカッコ良かったかも)
ジョンから色々な話を聞いて、お喋りして、色々なジョンを知るのは何だか楽しいとリジーは思った。
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