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8 リジーをめぐる人々
殺風景な部屋に、突如電話のベルが鳴った。
ジョンは無表情に視線だけを動かした。誰からの連絡か分かったようだ。
対面キッチンのカウンター上の電話の方へ移動する。
――やあ、クロウ! 元気にしてたかい?
「はい、オーナー、変わりありません」
――私のリジーはどんな感じだ? かなり可愛いだろう?
デイビッドの能天気な声に、ジョンは思わず電話を切りたくなった。
「はい、リジーは可愛いですが、あなたの……ではないですよね」
――え? なぜに不機嫌?
「いつ、お戻りですか?」
――あ~、今帰るお金がなくてね。そのうち帰るよ。うん、本当はすぐにでも帰って、リジーを抱っこしたいんだが……。
「お断りします!! 彼女がいくつだと思ってるんです!?」
本当に受話器を置く寸前だった。
――あ、そうだった。さすがの私でももう持ち上がらないか。
「そういう問題ではないです! キャシーに言いますよ」
――冗談だよ。
デイビッドの声が上擦った。
――昨日そっちに小物類を送っておいた。今回はアクセサリー中心だよ。
「わかりました。……先日、オーナーが買い付けたオーク材のデスクは、アリ教授がすぐに買って行かれましたよ。さすがでしたオーナー。アリ教授のご希望と合ったようです。教授がシンドバッドによろしくとおっしゃっていました」
――そうか、そうか、良かった。……そうだ!
「はい……?」
――リジーに言っておいてくれないか? キャシーにまめに連絡するように、それとなく……。
「それとなく……ですか? 僕が……?」
――キャシーはかなりリジーを心配している。だが、リジーがあまり電話を寄越さないらしい。キャシーもやせ我慢して自分からは電話をかけないでいる。だから、私が彼女に電話をしてもすぐ切られるし、イライラしてるし……いや、そうではなくだな……。
「確かに、母親はいくつになっても子を心配しますからね」
キャシーの方か……と、ジョンはため息を吐く。
――わ、私だって、リジーを心配してる。クロウがいるからまだいいが、もしいなかったらキャシーも私も不安で不安で仕方がなかったよ。色々悪いが頼んだよ。
「……わかりました。オーナー」
ジョンは胸の奥がざわついたが、それがどうしてかわからなかった。
デイビッドは店のことはほとんど自分に任せっきりで、たまにしか帰って来ない。
呆れるくらい能天気なデイビッドだが、ジョンは彼が好きだった。
つい、会話する口調が厳しくなるのは仕方がない。
(シンドバッドさんとキャシーは、まるで本当の家族のように僕に接してくれる。最初からそうだった。そんなふたりの信頼に応えたい……)
今度は部屋のドアの外から、けたたましいノックの音とさらに大声が聞こえて来た。
「クロウいるかァ!? 仕事終わったから飲みに行こうぜ~!!」
サムの声は頭に響く。
(うるさい奴だ……。リジーの回りをうろつかれたら面倒だな)
サムには太い釘を刺しておかなければ、とジョンは思案した。
♢♢♢♢♢♢
その頃、キャシーは待ちわびていたリジーからの電話を受けていた。
「あら、リジー。元気だった?」
キャシーははやる気持ちを抑えて、つとめて落ち着いた声を出した。
――お母さん、ジョンが<クロウ>って呼ばれてる訳がわかったよ!!
(第一声がそれ? 電話してきた理由はその話?)
リジーの嬉々とした声に、少し寂しさを覚える。
リジーがジョンの<クロウ>話を一通り喋り切るまで、キャシーは辛抱強く聞いていたが、
「で、仕事の方はどうなの?」
区切りの着いたところで、すかさず気になっていた事、その①を聞く。
――あ、うん。毎日充実してるよ。基本立ってる仕事だから足が疲れるけど、大好きなインテリアや絵に囲まれて幸せだし、スタッフはみんな気さくで優しいし。ひとり怖い人もいるけど……。お客様が嬉しそうに買い物してる姿を見るのも楽しいよ。私はまだ接客はやらせてもらってないんだ。そばで見てて手伝いだけ。
「そう、しっかりね。それから、ちゃんと食事はとってる? 体調を悪くしてないでしょうね」
その②を聞く。
――うん、朝はシリアルにフルーツでしょ? 昼はだいたいサンドイッチ。たまに買ったブリトー。夜は肉や野菜もきちんと料理して食べてるよ。
「バランス良くね!」
――はーい。
その③、結構重要事項。
「それと、誕生日が近いじゃない? プレゼントを贈りたいけど、なにが良い?」
――そうか、誕生日。毎日忙しくて、忘れそう。プレゼントは、じゃあ、お母さんのお店にあったクッションが良いな。あの丸くて大きい、薄いピンクの水玉模様の。ベッドに置きたい。
「ああ、あれね。わかった。誕生日に合わせて送るわ」
――ありがとう! お母さん。 楽しみにしてるね。
「ええ、じゃあ、ひとり暮らしも仕事もしっかりね。……リジー大好きよ」
――私も大好きだよ。お母さん! またね。
(私も子離れ、しっかりしないとね)
リジーが家を出てから、自分の心は灯りが消えたように暗くなった。夫が出て行ったときはリジーがいてくれた。今度はそのリジーが出て行ってしまった。つい、気持ちが沈んでしまう。
リジーのいない生活に慣れないとないのはわかっている。キャシーは棟続きの店の方へ足を向けた。
店に照明をつけると、色とりどりの雑貨やお菓子たちが賑やかに迎えてくれる。
キャシーは目当てのクッションに近づいて持ち上げる。柔らかい手触りの物だった。
ふと、奥に目線を移すと、こちらを見つめるサンタクロースの等身大の人形がいる。
(笑っていいわよ、フリード。リジーにこんなに依存していた私を)
キャシーがクッションを抱えてリビングに戻ると、ソファにどっかり座ってコーヒーを飲む母のケイトがいた。
「そんなに寂しいなら、デイビッドと結婚でもしたら?」
「しないから!!」
一瞬で生気が戻る。
何気ないケイトの発言だったが、キャシーを奮起させるには十分だった。
(寂しいからってデイビッドと結婚するなんて、あり得ない!)
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