君だから

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              優斗への想い 「あら? ユウちゃんは? 帰っちゃったの?」 「……うん」 「おやつ用意してたのに、残念ね……」  母が、ノックして入って来た。母は、自慢の手作りドーナツを持って自分の部屋に上がって来たのだが、優斗が帰ってしまっていたのを残念がった。 「……? 何か あった……?」  ベットにぼんやり座っていた慎二に、母が、少し訝しげ(いぶか)な顔をしている。 「え?」 「だって、いつもなら、ユウちゃん、おばさん、帰りますねって声かけてくれるんだけど……」 「急用、思い出したって……」  慌てて理由をつける。 「ふーん、そっか……」  母は、何かを敏感に感じとったのかもしれないが、それ以上、聞こうとはしなかった。そういうところは、母の優しいところだ。  普段から母とは気さくに話せる仲だが、今は、誰とも話したくない気分だった。だから、母には、早く部屋から出て行って欲しかった。  慎二は、少しぶっきらぼうに「これから、やることあるから……」と椅子にこしかけ、カバンからノートを取り出すふりをした。 「そ、じゃあ、ドーナツここに置いておくね。適当に食べて……」 「うん。ありがと」  母には申し訳なく思いつつ、振り返って、精一杯の笑顔を装った。  母に気づかれなかっただろうか——  気にはなったが、母のことだから、優しく見守ってくれると信じた。  慎二は、椅子の背もたれに体を預け、ため息を大きくひとつ、窓の外を眺めた。    いつから優斗のことを好きだったろうか……。    楽しい夏休みを前にした、あのワクワク感はどこへいったのか。夏の太陽が、とても、恨めしかった。エアコンの効いた部屋から見える景色は、昼下がりの強い日差しを反射し始めていた。    そういえば、自分が男性が好きだとわかったのはいつからだっただろうか……。  今まで、じっくり考えたことがなかったこと。いや、考えないようにしていたのかもしれない。  いつの間にか封印していた心の扉を、ゆっくりと開くように思い出していく。  優斗と仲良くなったのは、小2の頃、同じクラスになってからだ。なにかのきっかけで、漫画やゲームの話で盛り上がってからよく話すようになった。  それ以来、漫画やゲームの貸し借りをしたり、お互いの家で、ゲームをしたりして行き来するようになったんだっけ。  小3も同じクラスで、小4と小5は、クラスは別々だったけど、小4から通うようになった塾も同じで、一緒に勉強するようにもなった。  だから、優斗とは、他の誰よりも、好きな漫画もゲームも話があって、一番気心が知れて、何でも話せて、気を遣わないっていうか、傍にいると安心するって思っていた。    それが、いつから優斗のことを意識するようになったんだろうか。  慎二は、少しずつ記憶を辿っていく。    ——そうだ、また同じクラスになった小6の修学旅行だった。    6人部屋で、夜遅くまで起きて、誰が誰を好きとか、そんな話で盛り上がった。修学旅行のお決まりのパターンだ。  別のやつが、何組の女子が優斗を好きだと言い出して優斗をからかった時、胸の中がざわつき始めていた。それが何なのかわかる暇もなく、話は次第に、1人ずつ、好きな人を話すってことになっていった。優斗の番に来たときは、心臓がドクドクと大きく鼓動し始めていて、優斗が好きな人はいないと言ったときは、なぜかホッとしている自分がいた。  いよいよ、自分の番になった時だ。  自分の頭に浮かんだのは—— 優斗だったんだ。  え、優斗? って、自分でも驚いて、心臓がドクンとおもいっきり跳ねたのを覚えている。  今まで自覚がなかったのを、知ってしまった瞬間って、ああいう感じになるんだな。周りが談笑しているのに、自分ひとりだけ、取り残されている気分で、話の内容が入って来ない。心臓の鼓動がずっと激しく脈打っていて、焦って、気づいたら、脇の下に冷たい汗をかいていた。  その後は、なんとか、自分も好きな人はいないと誤魔化したけれど……     ああ、そうか……  優斗も、好きな人は、いないと言っていたけど、自分と同様、嘘だったのかもしれない。もしかしたら、誰か好きな人がいたのかもしれない。  そうだよな……  慎二は、記憶の中を行ったり来たりしながら、胸の奥がまた痛くなった。  あの修学旅行の夜から、優斗のことが好きだと知って、自分はおかしいのかとひどく悩んだ。  でも、それは、優斗にはもちろん、誰にも、言ってはいけないことだと子供心にわかっていた。  親にも、姉にも——    だから、誰にも知られないように、ずっと胸に秘めて来た。  中学へ上がった頃には、いろんな情報を集めて、自分が、男性を好きになる性的指向を持つマイノリティ、いわゆる、”ゲイ”であること、そういう性的指向をもつ人がいること、それは別におかしいことではないことを知り、今こうして、自分を受け入れて生きていけるのだ。    最近は、マイノリティや同性カップルに理解が広がりつつある状況にはとても喜ばしく感じる。  しかし、そうであっても、理解があるのは、まだ、特別な人たちの間だけだと思う。    優斗に告白する勇気はないし、自分の場合は、絶対に無理だと思っている。優斗を驚かすだけだし、今までの関係が壊れるかもしれない。  優斗に気持ち悪がれることのほうが、何よりももっと恐ろしいことなのだ。    今、満ち足りたこの状況に、何を望むんだ?  このまま、親友として、一緒にいられるだけでずっと幸せなのだ。  ただ、それは、優斗が高宮に告白されたことで、浅はかな考えであることを慎二は思い知らされた。  将来、優斗が誰かを好きになって、彼女ができることを全く想定していなかったのだから。  真夏の太陽も、次第に低くなり、エアコンがとても寒く感じた。   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「シン、入っていい?」  夕食後、大学2年になる姉の岩井久美子(いわいくみこ)が、ノックして入って来た。慎二は、ベットにさっと起き上がり、コミック漫画を読んでたふりをする。 「『鬼滅の桜』5巻、貸してー」 「あ、ごめん、今日、ユウに貸したばかりなんだ」 「ああ、残念! じゃあ、次貸してねー」 「うん」  姉の久美子は、本棚を見渡しながら、「ユウ君、来てたんだ。元気?」とコミックを手に取ると、パラパラと捲り始めた。 「元気だよ……」 「バスケ部のエースなんだって? こーんなに小さかったのに、今じゃ、早明高校、期待の星かぁ。私もよくいっしょに、ゲームして遊んだなー」 「3っつしか違わないっつの!」  慎二は、ユウの名前が出るたびに、会話が重くならないように必死だった。 「……シン、元気ある?」 「え、何だよ、急に」  姉の直球にドキリとさせられる。 「なんか、夕食の時から、元気ないなーって思ってさ……」 「別に…… 気のせいだよ」 「そう…… それならいいんだけど…… じゃあ、ありがと」  姉は、柔らかく微笑むと部屋を出て行った。  今の自分は、元気がないとすぐにわかってしまうのだろうか。  明日、学校で、ユウとどういう顔で会えばいいのだろう。  慎二は、とにかく、何事もなかったように、普通にしなくてはと自分に言い聞かせた。    優斗は、高宮とどうするつもりなのだろうか……    慎二は、昼下がり、優斗から聞いた話しをまた思い出した。  もし、優斗が高宮と付き合っても、ずっと、仲のいい、親友でいることはできるのだから、それでいいじゃないか。    でもそうは言っても、心はそんなに簡単じゃない……  高宮とは付き合ってほしくないと言えればどんなにかいいだろう。  優斗の自由を制限する権利は、俺にはないはずだ。  次から次へと留めどなく思考が流れる。    優斗が高宮と付き合わないことを願うしかないのかな……  願う?  ——ああ、もういやだ!    慎二は、性格まで悪くなっていくような自分に、また、落ち込んだ。
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