君だから

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            心の整理がつくまでは……  朝、教室は弾んだ空気に包まれていた。活気のある声や笑顔で溢れている。  明日から夏休みだ。  慎二は、夏休みを待つ前日が、子供の頃から一番好きだった。明日から始まる自由な時間。何をしよう、あれもしたい、これもしたいと考えるだけで、期待に心が躍る。  なのに、今日のこの日は…… 一番最悪だ。  いつもなら、楽しい夏休みだったはずだ。期待で待ち遠しくて、今、絶頂の気分であったはずだ。なのに、この数日で、世界が一変してしまった。あの小さな事件、いや、自分にとっては、大きな事件、があってからだ。あれさえなければ、今頃は優斗と楽しい時間を過ごせてたというのに……  とにかく、今日一日過ぎれば、しばらくは優斗と顔を合わさないで済む。  今日一日過ぎれば……  慎二は、昨夜からの考え疲れた頭で、今日一日、うまく乗り切ることだけを考えていた。 「おーっ、おはよっ」 「おはよ」  慎二の背後で、クラスメイトたちの弾け合う声が行き交う。慎二は、定位置の机に腰掛け、いつものメンバーの談笑の輪に参加していた。  朝のホームルームまで、僅かでも、みなそれぞれが気の合う仲間と楽しく過ごしている。周りは一段と明るく活気があった。  ただ、この日は、自分の心ここにあらず。優斗がいつやってくるのかと思うと、話に半分は集中できていない。 「おはよっ」  慎二の心臓がドキンと跳ねた。  聞き慣れた声が慎二の背後から全身に響いた。机についた両腕が硬直する。優斗が教室に入って来た。  心臓が早く高鳴り、仲間の誰かが今話していた内容は途中から吹っ飛んでしまっていた。  優斗がこちらに近づいて来る。    ん? まだ、来ない?   今どこにいる?  背中に神経を尖らせ、優斗の気配に意識を傾けていた。  時間が、スローモーションのように、ゆっくりと感じるようだった。    ——と思ったら、タイミングを測ったように、「おっはよ」と優斗が横からグループの輪に入って来た。  視界に飛び込んで来た優斗の笑顔に、慎二の心臓がまたトクンと反応し、収縮した。さらに脈も早くなる。  仲間が口々に「ウィッす」と返し、「おーっす」とテンション高くハイタッチする者もいた。  慎二は、斜めに小さく「おはよ」と首を(かし)げるのが精一杯だった。表情も硬くなっているのを自覚したが、普通にしようと思っても、いつもどうしていたのかわからなくなっていた。 「シン、おはよっ、昨日メール送ったんだけど、見た?」優斗がいきなり接近して来た。 「あ、うん、見た…… 返事、ゴメン……忘れてた……」優斗の顔をまともに見ることができない。  慎二は、自分のぎこちなさが伝わりそうで、内心、ハラハラしていた。また、それが、ぎこちなさを増幅させる。 「いいって」優斗は普段通りで、屈託がない。  自分だけが余裕を失っている。それがよけいに、慎二の胸をついた。   「そんで、今日、帰り、シンち寄ってもいい?漫画…」 「あ、……ユウ、ゴメン、放課後写真部のミーティングがあるんだ……」優斗が言い終わらないうちに答えた。  ちょっとそっけなさ過ぎたかな…… と思い返して優斗に申し訳ない気持ちでいると、優斗はずっとにこやかだった。それが救いだった。 「そっか、残念! じゃあ、夏休み入ってからまた行くわー。借りた漫画もそんとき、返していい?」 「うん、いい、いつでもいいから……」 「サンキュ。じゃあ、後で連絡するな」 「うん……」本音は、後で連絡されても困る…… そう言いたかったが、それは喉奥に呑み込んだ。    優斗が話の輪に加わってからは、慎二の意識は、全部優斗へと吸い取られたようだった。自分の隣で笑ったり、しゃべったりする優斗の様子を時折チラリと盗み見てばかりいた。    優斗と高宮が付き合っていることは、まだ誰も知らないのだろうか。  2人の間ではまだ秘密にしておきたいのだろうか。  それとも、自分の思い過ごしなのだろうか。  また、頭の中でぐるぐると考えが巡る。  優斗に何か変わったところはないか。高宮と付き合っているという何かわかるような証拠が……    本当は、自分の推測が思い過ごしであってほしい。慎二は、そう願いながら、反面、推測が正しいと明らかにしたいと思う気持ちが複雑に絡み合っていた。  優斗の表情や声色(こわいろ)に何か変化はないか。  気づけば全神経を集中させていた。
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