01 ● ビールを飲む女

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 その路子がひとり、カウンターに座って豪快にビールなんかを飲んでいる。すすきのの、値段の安い居酒屋なんかで。  たっぷりした白いセーターを着ている。その白いセーターの背中の部分は、長い髪の毛に隠されてしまっている。下は色の褪せたジーンズで、それに包まれた足は細い。  カウンターの前は調理場で、汗をかきまくった中年オヤジが串を焼いている。路子の姿はその煙に包まれてしまっている。大きな換気扇がまわっているのに、うまく機能していない。カウンター席はところどころ空席がある。路子の席には、枝豆のカラが皿の上にこんもりとある。そして、何も入っていないジョッキ。  路子がいま、カウンターの中にいる中年オヤジに声をかけた。空になったジョッキを持って、何か言っている。ビールのおかわりを注文しているらしい。  どうしよう、声をかけようか。  新年の挨拶でもしようか。彼女に会ったのは今年初めてだ。  いやでも、よそう。声をかけたって、いつものごとく愛想もなくあしらわれるに違いない。  今日は土曜日で、居酒屋は混んでいる。こちらは大学の連中と一緒に「新年会」の名目で飲みに来ている。あちらはカウンター。こちらは大きなテーブル、団体客。こちらはこちらで楽しめばいいのだ。自分の存在なんか、彼女は気づきやしない。  団体客用のテーブルは座敷になっている。となりのテーブルはサラリーマン風の男が五人、談笑しながらアルコールを飲んでいた。壁にはビールやおすすめメニューのポスターがべたべたと貼られている。あまりきれいな店ではない。白のはずであろう壁の色が黄ばんでしまっていた。  大学の仲間六人でいろんな物を頼んだ。ここの店は豚串がうまい。六人分の生ビールのほかに、豚串を頼んだ。枝豆も頼んだ。  すぐにビールが運ばれて来て、乾杯をした。つめたく汗をかいたジョッキがカチンカチンと鳴る。すぐにそれに口をつけた。ビールがうまい。ビールは最初の一口目がうまい。炭酸の刺激が喉に心地いい。一気に半分ほど飲んでしまった。  ジョッキから口を離し、はあ、と息を吐いた。その時、カウンターに座っている路子の後ろ姿が見えた。大勢の客の笑顔や、肉を焼く煙にまぎれて。たっぷりした白いセーターの袖から、彼女の手が見えた。遠目からでもわかる。白くて、小さな手。その手はジョッキに添えられていた。  変な女だと思った。  なぜこんなボロっちい居酒屋で、ひとりでビールなんぞ飲んでいるのだろう。こういう場所に路子のような若い女性が一人でいるのは珍しい。結構酒がすすんでいるようだが、あのジョッキは何杯目のおかわりなのだろう。  二十歳そこそこの学生の会話の内容なんて、お気楽なものだ。めったに行かないサークルの話や、簡単に単位が取れる講義の話をした。そして女の話。  ここのところお前どうなのさ? と仲間に聞かれた。その時、豚串を頬張りながら路子のほうに視線が向いていた。なぜか知らないが彼女を見てしまう。あの小さな後ろ姿を。  なげえ髪。綺麗だけど。  串を持っていた手がタレでべたべたしている。  白いおしぼりで手を拭いながら、ぼちぼちだと言った。「彼女」とはぼちぼち。顔をにやけさせないように努めた。  
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