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あまり綺麗なトイレではなかった。臭いもよろしくない。ドアの取っ手は油でべたべたしていた。ここのトイレもおそらく元は壁が白かったのだろうが黄ばんでしまっている。
用を足してから洗面台で手を洗った。手がしびれるほどの冷たい水だ。氷水で手を洗っているかのようだ。冬の水道はとても冷たい。
石鹸水も何もない、飾り気のない洗面台だった。鏡の上に紐のついた蛍光灯がある。鏡を見ながら手を洗った。
ジョッキで二杯飲んだ。少し気持ちが高揚している。鏡に映った自分の顔を眺めながら、ふうっと息をはいた。
いつもと変わらない顔をしている。
酔いは顔には出ないが、アルコールは強くない。付き合いで酒はたしなむが、本来ならばソフトドリンクのほうを飲みたいと思っている。
カウンターに座っている路子はそうではないらしいが。
彼女はいったい何杯飲んだのだろう。
蛇口をひねって水を止めた。
タオルなど、この洗面台には備え付けられていない。ハンカチを持っていなかった。仕方ないので、濡れた手を自分のネルシャツに押し付けて拭う。
突然トイレのドアノブが乱暴な音を立てた。がちゃりがちゃりとノブが動く。でもドアは開かない。鍵がかかっているのだから。
いま出ますって。
まだ濡れている手をネルシャツで拭いながら、トイレのドアに近づいた。
今度はドアが乱暴にノックされた。
女の声で「開けろ、開けろー」と聞こえる。酔っ払いの声だ。
まったく頑丈ではない、足で蹴り上げたら簡単に壊れそうなドアがミシミシと揺れる。
「はいはい、いま開けます」
こちらだって酔っている。応対が横柄になってしまう。
鍵をあけて、ドアを思いきりよく開けた。ら。
小さい女が立っていた。白いセーターを着た、髪の長い女。
佐々木路子だった。
驚いて、一瞬かたまってしまった。口は半開きのまま。
小さな路子と目が合った。丸顔の、ぽっちゃりした顔の中の大きな目。その目がやばい。どこかにいってしまっている。顔面は蒼白だった。幽霊みたいに。
目が合ったかと思いきや、彼女の視線はすぐどこかに飛んでいってしまった。体が、ふらふらしている。
大丈夫なのか、この女は。
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