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いつからだろう?
もう長年この状態だから覚えていない。
*
朝、スマートフォンのアラーム音で目を覚ます。
けたたましいアラームを止めて、スマートフォンで時間確認。
画面にはべっとりと血の跡。
頭痛の酷い頭を押さえながら起き上がる。
寝具は血でベットリと汚れていた。
ベッドから降りる。
フローリングに血が滴り落ちる。
そのままトイレへ。
洗面所へ。
キッチンへ。
フルーツグラノーラを器に開けて、牛乳を注ぐ。
家族は何も言わない。
血塗れの私が現れても、キッチンの床やテーブルを、食器を血で汚しても……何も言わない。
スーツに着替える。
血が目立たないようにシャツもスーツもストッキングも黒に変えた。
メイクをして、身支度を整えたら愛車に乗る。
愛車も血で真っ赤に汚れてる。
私は構わず運転席に座る。
シートが溢れた血で濡れるのがわかった。
血塗れのシートベルトを装着して、出発。
*
職場のデスク。
私のデスクだけ血でベットリ汚れてる。
誰も気づかない。
私は躊躇なくデスクに座る。
さぁ、仕事を始めよう。
血塗れの私が事務所を彷徨いていても。
床やPC、コピー機を血で汚していても。
誰もそれを指摘しない。
血塗れの私と昼食を取っていても。
誰もそれを指摘しない。
上司や旦那、家族の愚痴。
ドラマやバラエティ番組の話。
芸能人の不倫騒動やスキャンダル。
そんな話に夢中で、血塗れの私の事など気にも止めない。
仕事終了。
時計を見る。
……家族はもう食事を終えてる頃だろう。
いつも残業で何時に帰るかわからない私の食事など用意されてはいない。
でも、この時間ならスーパーが開いている。
今日は半額弁当が買えるかもしれない。
……ラッキーだ。
*
帰宅したら、スーツをハンガーに掛けて脱衣所へ。
黒いカッターシャツを洗濯機に押し込み、浴室へ。
浴室の鏡に、胸から血を流す私の姿が映った。
この血は、私以外には見えない。
*
最初は戸惑った。
家族に打ち明けたら鼻で笑われた。
同僚に相談したら「ホラー映画の見すぎ」と言われた。
友人に相談したら「厨二病だ」と爆笑された。
精神科にも行った。
いくつか薬を処方してもらったが、まったく効き目がなかった。
それ以前に、話を信じてもらえているのか……それすら怪しい反応だった。
だから、もう誰にも話さなくなった。
そのうち、血塗れの生活にも慣れた。
誰にも迷惑かけてないなら……もう、どうでもいいや。
*
けれど……。
本当は少し、辛い。
*
SNS。
どうせスルーされるか、厨二病扱いされるか、メンヘラ扱いされるかだけど……。
呟いてみよう。
嫌な反応があったら、削除すればいいし……。
*
ミヤ
胸から血が溢れたまま止まらない。
いい加減、ちょっとしんどい。
*
「投稿……しちゃった…………」
でも、よく考えたら……これってフォロワーさんに嫌がられない?
気づいたらブロックされてた……なんて無理、しんどい。
やっぱり削除しよう。
で、何か明るい話題を……。
*
リク
いつから?
*
……え?
見たことのないアカウントからの、突然の反応に混乱する。
*
ミヤ
3~4年?
もっと前かな?
─
リク
誰かに相談した?
─
ミヤ
家族には鼻で笑われて、友人には厨二病扱い。
精神科にも行ったけど、伝わってるかよくわかんない反応で、薬をくれたけど飲んでも治らなかった。
─
リク
痛くないの?
*
え……?
画面を見て固まった。
痛み……?
ズキン。
この時始めて気づいた。
ズキン。
私ってば、汚れるとか変に見られるとか迷惑かけるとか……頭の中はそればっかりで……。
ズキン。
*
ミヤ
こんなに痛いのに、今まで全然気づかなかったよ……。
私って馬鹿だよね……。
─
リク
それだけ頑張ってたってことじゃん。
褒めてあげてもいいと思うよ?
─
ミヤ
あはは……でもこれ明日どうしよう。
鎮痛剤効くのかな?
─
リク
まず、傷口を見てみたら?
*
パジャマを脱いで、鏡台の前に立った。
時代劇か何かでズパッと切られた侍のように、ザックリと胸が切り裂かれてる。
*
リク
それは……痛いね。
─
ミヤ
でも私、痛い事にも、こんな風に傷がある事にも気がついてなかったよ……。
─
リク
包帯、巻いてあげたら?
─
ミヤ
え?
─
リク
包帯。
だって、傷口は手当てしなきゃ。
*
包帯……。
救急箱から包帯を出して、傷口に巻きつけた。
ぐるぐる。
ぐるぐる。
包帯が肌に柔らかく触れる度、生々しい赤が純白の白で覆われていく度、涙が溢れてきた。
涙が止まらなくなった。
*
ミヤ
包帯、巻きました。
何故か涙が溢れてきて……止まりません。
─
リク
痛いの?
*
痛い……わけじゃない。
これは…………。
*
ミヤ
安心したというか、ほっとしたというか……気が緩んだというか……そんな感じです。
*
そう返信して、しばらく声を上げて泣いた。
泣いて泣いて……3年分、4年分の涙を流した。
落ち着いた頃、再びスマートフォンに目を落とした。
*
リク
推測なんだけど……。
多分、君にとってすごく傷つく出来事があったんだと思う。
君は精神的に、酷く傷ついた。
でも君は、その傷を……自分が傷ついたという事実を認めなかった。
認めなかったから、手当てをしないまま放置した。
─
リク
放置された傷は、君に手当てされる事を求めて血を流し続けた。
それでも君は、周囲にばかり目を向けて、気遣って、自分を省みる事をしなかった。
だから血は溢れ続けた、今の今まで。
─
リク
けれど、今日君は……痛みに気づいた。
痛みに気づいて、傷口を直視して、キチンと手当てをした。
傷はどうだい?
まだ痛むかい?
血はどう?
包帯を汚してる?
*
私は恐る恐る包帯に触れる。
いつもの……べットリと液体が指に絡みつく不快な感じがしない。
包帯に目を落とす。
…………あ。
*
ミヤ
血……止まってます。
痛みもありません。
─
リク
よかった。
これで今夜はぐっすり眠れるね。
─
ミヤ
本当にありがとうございます。
でも私……どうしてこんな簡単な事に今の今まで気づかなかったんだろう。
─
リク
ストップ。
そうやって自分を責めない。
むしろ君は、そんなにも大きな傷を抱えて、血塗れで……それでも必死で生きてきた自分を褒めるべきだ。
今まで頑張ってくれてありがとう……って。
─
リク
そして、何かひとつ自分にご褒美をあげなさい。
好きな食べ物でもいい。
服やアクセサリーでもいい。
漫画やゲームでもいい。
どこかに遊びに行ってもいい。
“自分の大好きなもの”を何かひとつプレゼントしてあげなさい。
*
好きな……もの?
*
ミヤ
ごめんなさい。
私……自分の“好き”がよくわからないです。
*
飽きれられるかな……と不安になりつつ、素直に気持ちを伝えた。
だって私、生きるのに必死で……家族や職場の人、他人に合わせるのに必死で、“自分の好きなもの”や“自分の好きなこと”なんて、考えたこともなかったんだ……。
*
リク
じゃあ宿題。
自分の“好き”を30個見つけて、俺に返信すること。
─
ミヤ
さ、30個!?
─
リク
必ず見つかるよ。
じゃあ、宿題できたら返信してね。
おやすみ
*
『リク』からの返信は途切れた。
私の“好き”を30個……。
でも、不思議なのだ。
“好き”に意識を向けていると、包帯の下の傷口が温かいのだ。
「回復魔法をかけられたら、こんな感じかな?」
そう呟いてしまうくらいに心地良い。
部屋に……寝具に目を向ける。
あれ程派手にこびりついていた赤が、綺麗に消えている。
寝具はさらさらに乾いて、とても寝心地が良さそうだ。
「今日はこのまま眠ろうかな……私の“好き”を探しながら」
明日は定時で上がらせてもらおう。
そしてお気に入りのカフェで、パスタとコーヒーを飲みながら“好き”をリストアップ……。
「あ……“カフェ”に“パスタ”に“コーヒー”………“好き”が3つもあるじゃん……」
知らないんじゃない。
気づいていないだけだ。
今はもう痛みのない……この傷のように……。
「ありがとう……『リク』」
End.
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