おまじない。

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おまじない。

 おまじないは、順調に進んだ。  1日目と2日目、うまくいった。お父さんもお母さんも夜勤がある仕事をしているから、うまく時間を見計らえば、真夜中に家を出るのはそう問題じゃない。  稲葉山の頂上まで30分くらい、山道をライトをつけて登っていけば、それで大丈夫。 (どうかあたしを、特別にしてください。翔太の隣にいても、誰かから何か言われても、気にしないような、特別に……)  3日目のおいのりを終えた、その時だった。  カシャッ、と、カメラのシャッターを切るような音がした。 「誰……?」  思わずつぶやいた、あたし。その横で、誰かが動く。 「……ひっ」 「人よ。ごめんなさい、こんなところで、怖い思いをさせたわね」  そこにいたのは……とてもきれいな、黒く長い髪の、青みがかった目をした女の人。ううん、もしかして、同い年くらいかも。手足はすらっと長くて、でも体のバランスは綺麗。 (モデルさんみたい……)  生まれて初めて、翔太以外に、そんな感想が頭をよぎった。 「こ、こんばんは。えっと」 「写真撮影をしていたの。見て、ほら、綺麗でしょ?」  彼女が空を指さす。見上げて、ハッとした。  濃く、暗い、夜空。でもそこに、真っ白な光の帯が長く続く。初めて、生で見た。あれが天の川なんだ。 「……すごい」 「でしょう?」 「え、えっと。これを撮影してたんですか?」 「ええ。……あなたは? 夜中に山に登る人なんて、私以外にいないと思っていた。撮影ではなさそうだし……」  心臓が嫌な音を立てる。指先からサーッと血の気が引いて、頭の奥がふわふわした。  なんとなく。おまじないのことを、知られてはいけないと思った。 「だ、ダイエットなの」 「ダイエット?」 「ほら! 夜中の山なら、人が来ないでしょ? 好きなだけ体動かせるから」 「そうね。人目は気になるもの……確かにここならぴったりだわ」  納得してくれたみたい。うんうん、と頷く彼女は、見た目とは違って可愛らしい。何だか気が抜けた。翔太のおかげで、綺麗な人への耐性がついてきたのかもしれない。 「あ、あの。いつもここにいるの?」 「ええ。あなたは……」 「私、京香っていうの。2日前からトレーニングはじめて、今日で3日目」 「そう。私はここで、写真を撮っている。……世間一般的に言えば、不登校というやつかしら? 本当は、中学3年生」  真面目な顔で言う彼女は、あたしが聞いてもいないのに、保険証と学生証を取り出した。本当に、中学3年生だった。とうてい、そうは見えないんだけどな……。  それからあたしと彼女は、写真を見ながらあれこれ話した。夜中の2時くらいになってしまうほど、彼女の話は面白くて、おもしろくて。 「ねぇ、明日も来る?」  と、つい、問いかけてしまった。 「ええ、明日もいるわ。……私は城ケ崎九重というの」 「このえ、ちゃん?」 「そうよ。九つを重ねると書いて、このえと読むの」 「へぇ……!」  それからあたしのおまじないの時間は、少しだけ楽しいものになった。4日目も、5日目も、6日目も、九重ちゃんがいてくれた。彼女が撮った写真をみて、それがどこで、どんな時に撮ったのか、話してもらうだけでも、とても楽しかった。  黒髪を褒めると、嬉しそうにはにかむ九重ちゃん。  果樹園を経営する叔父さんのことを、自分のことのように自慢する九重ちゃん。  翔太のことも思い切って話すと、コイバナなんて初めて、と、頬を染めて照れた九重ちゃん。  いつ以来だろう。こんな風に、誰かと、友達のように話せるなんて……。 「京香さん、よかったら、写真を撮らせてくれないかしら」  7日目の夜。彼女が、ふとそう言った。 「写真を? あたしなんかがモデル、いいの?」 「なんか、じゃないわ。あなただからいいの」 「……嬉しい! もちろんいいよ!」  無事に7日目が終わったからか、あたしは少し弾んだ声で、九重ちゃんに頷いた。彼女の指示通りに立って、すぐにシャッター音が響いた。 「どうかしら?」 「……すごい」  見せてもらったカメラの小さなモニターの中のあたしは、まるであたしじゃないみたいだった。幻想的な雰囲気の中で笑うあたしは、とても特別に見えた。 「素敵! 写真屋さんで撮ったみたい……!」 「ありがとう。……もう少し撮ってもいいかしら? あした、現像するから」 「本当!? もちろん! あ、お金は払うから!!」 「いいのよ。趣味なんだもの」  九重ちゃんと一緒に、写真を撮る。彼女は三脚も持っていて、写真屋さんでしか見たことのないような、遠くからシャッターを切るスイッチとかも持っていた。  月明かりの下で、あたしと九重ちゃんは、何枚も写真を撮った。 「あー、楽しかった……!」 「良かったわ。私も、楽しかった」  ほんのりと頬を染めて笑う九重ちゃんは、とてもかわいくて、キラキラしていた。 「……あのね、九重ちゃん」 「うん」 「……私さ、いつも夜中に抜け出してくるでしょ? お父さんも、お母さんも、夜勤がある仕事してるからできるんだ」 「そうなのね。……いつごろから?」  九重ちゃんに尋ねられるがまま、あたしは両親との距離のことを話した。  教科書も、制服も、両親から何も言われないのは、あたしのために2人が振り込んでいる銀行口座からお金をおろしているせい。そこに振り込まれるお金は、あたしの生活や学校のお金に使われている。  両親は、とても忙しい。工場勤務のお母さんと、病院勤務のお父さん。もうずっと前から、あたしは両親と、まともに会話ができない日々を送っていた。  メールを送っても、返事が来るのは、次の日。  電話をしても、かえってくるのは、留守番電話の録音音声。  そんな中で、あたしをずっと支えてくれたのが、翔太だった。幼馴染から、恋人になって。最初はそれだけで、とても心強くて、しあわせで。  九重ちゃんはじっと話を聞いてから、1回だけ頷いた。 「ご両親がいない間のことは、少し分かるわ」  彼女も家族の仕事が忙しくて、ずっと叔父さんの家に預けられていると打ち明けてくれた。  そのことを周りからいろいろ言われて、ここの中学校に通うのは諦めたことも。  叔父さんには、幸いに理解があって、通信制の学校に通うようにしてくれたという。叔父さんは、九重ちゃんを実の子供のようにかわいがってくれるんだって。  でも。  お父さんとお母さんのことを、つい、考えてしまうって。 「そうなんだ……」 「……ねぇ、京香さん。ご両親と文通してみるのはどう? 手紙なら、待つのが当たり前になるわ。私も両親とは、そうやって接しているの」  九重ちゃんの提案は、とても素敵なものに思えた。 「確かに! どうしよっかな。便せん、小さいころのしかないんだ」 「いいのよ。私もいまだに、雑誌の付録を消費中だもの」  くすくすと笑う九重ちゃんに、頷く。頷いて、それで。あたしは、彼女と別れた。次に会う日は、手紙の結果を報告すると、約束をして。  最後まで、周りにされていることや、本当の気持ちは、言えなかった。  いつしか、翔太と付き合っていることは周りに知られ、制服や教科書が傷つけられた。あたし自身にも、責めるような言葉がかけられた。でも、それは辛いと感じてはいけないことのはずだから。  翔太の隣に、特別じゃないあたしがいるためには必要なんだ。必要なんだから。 (だいじょうぶ、いじめなんかじゃない。あたしは、これで、特別になる……)  大丈夫。  そうしたら、きっと。きっと。  翔太の隣にいても、胸を張って、毎日を過ごせるように、なるはずなんだから。  家に帰ったあたしは、両親に手紙を書いた。でも、書けたのは、最近できた九重ちゃんという友達のこと、それから、彼女が写真を撮ってくれたこと。その2つだけ。  封筒に入れて、テーブルの上に置く。お母さんが帰ってくるのは朝の9時ごろで、お父さんは朝の8時くらいだ。残念だけど、あたしが学校へ行く時間とは被らない。いつも通りの朝食を食べて、外へ出る。 「京香! おはよ」 「翔太、おはよー」  いつもの交差点近くで待っていた翔太の横に追いつく。不思議と……周りの視線が気にならない。もしかして、あたしが特別になったのかな? (おばあちゃんのおまじない、本当だったんだ……!)  そう思って、翔太の隣に並ぶ。翔太が嬉しそうに、笑ってくれた。 「京香。あのさ、夕方って今日は時間ある? 兄ちゃんが、駅前のカフェのパフェ券くれたんだよ。甘いもの嫌いだからって」 「え、い、いいの?」 「うん。いかない?」  いつもは、こういう誘いは断っている。でも今日なら。おまじないが終わった今日なら、いいのかもしれない。 「……いく!」 「……うん。行こう」  幸せそうに、翔太が微笑んだ。頭の上、30センチ先で、彼の笑顔がキラキラ輝いている。よかった。  あたしはそう思いながら、前を向いて……急に、あたしの脚が動いた。 (……え?)  何か変だった。あたしは別に、脚を動かしていない。翔太と同じくらいのスピードで歩いていたつもりなのに、体は駆け出している。 (なんで、どうして!? あたし、なんで……!)  声が出ない。目の前に交差点と、赤信号の横断歩道がせまる。横断歩道の真ん中で、突然靴紐を結びだした、小学生。黒いランドセルが見える。 (どうして、なんであたし……!)  軽自動車が、クラクションを鳴らす。ビィーッ、と激しい音。  あたしは黒いランドセルの子をつかむと、横断歩道の向こう側めがけて、投げた。男の子がごろごろ転がって、向こう側の歩道に倒れこむ。 (なんで、なんでなんで!? なんであたし、勝手に体が、どうして!?)  身体が動かない。前のめりに転ぶ。翔太の声が聞こえる。軽自動車が、迫る。 「っ、きちゃダメ!!」  翔太に向けて叫ぶと同時、横から激しい衝撃があたしを襲った。吹き飛んで、頭がどこかにぶつかる。痛い。苦しい。吐きそう。 「京香、きょうか!? なんで、京香!!」  駆けつけてきた翔太が、あたしの体を横たえながら、スマホで電話をかけるのが見える。耳が聞こえない、体と心がバラバラになる。あたし、あの子を助けようなんて、考えもしなかった。だって見えてなかった、分かってなかった。  あたしの体じゃ、ないみたい。  あたしの意識じゃ、ないみたい。 (なんで、あたし……)  声が出ない。話せない。 「京香、いやだ、目を閉じないで、京香。京香ぁ!!」  翔太が叫ぶ声が、聞こえていた。
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