蛍と呼ばれる男

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「門斎。すまんが考える時間をくれ」  高次は門斎に背を向けると、望楼から琵琶湖を見下ろした。  水面には(にお)の親子が浮かんでいた。スーっと泳いだ後に残像のように波紋が広がり、ゆらゆらと消えていく。静かな淡海(うみ)だ。そして広い。あと数刻も待てば、夕日を一心不乱に映し出し、一面が橙色の煌めきを見せるはずだ。  高次はこの風景が好きだった。なぜ争わねばならん。なぜ戦わねばならん。そんなささくれたった感情も琵琶湖の静けさを前にすると自然と消えていった。  だが戦国の世の考え方ではない。ましてや京極家の跡取りである。高次の背中には京極という言葉が重くのしかかっていた。 「早急にご決断をお願いします」  門斎は「考える時間などいくらでもあったろう」と言いたかったのかもしれない。唇を噛んで憤怒を圧し殺すと、きびきびとした態度で出ていった。  一一決断などできん。  間違った判断を繰り返した高次に、重大な決断などできるはずがなかった。できることと言えば唯一、無駄に時間を浪費し、決断を先伸ばすことだけだ。  高次は琵琶湖を眺めている。やがて夕日も沈み、真っ暗な淡海が残った。
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