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東軍の大将
徳川家康は上杉征伐に向かうため奥州にいた。
この男、誰よりも肥えている。
自分で自分の世話が出来なくなるほど脂肪の鎧をまとっており、歩けば肉が揺れ、体臭を撒き散らし、異様な存在感を放つ。
肥えているのは、なにも肉体だけではない。軍も肥えていた。全国津々浦々から武将が集まり5万6000人もの兵がひしめき合っていた。だが、まだ増える。まぎれもない日本一の軍事力である。
さらに、精神も肥えていた。
謀略。
これこそが家康の真骨頂である。
この時代、ほぼ全ての大名は利害で動いていた。家康は計算高く利益をちらつかせることで、大名の心を掴み、利用し、懐柔させていった。その謀略の凄まじさは後世まで語りつがれることだろう。
しかし、家康の思い通りにできぬものもいる。
臆病者だ。
「そういえば大津城はどうなった?」
「京極高次のことでしょうか。いまだ明確な態度はしめしておりません」
「蛍大名めが。軟弱な男よのお」
家康の横には家臣の井伊直政がいた。武勇と政治に優れた文武両道の武将だ。
臆病者には利益ではなく脅しが一番効果的であろう。しかし、大津城では効き目が薄い。なぜなら、西軍本拠地大阪の目と鼻の先にあるからだ。
ーー高次め。わしが怖いか。それとも三成が怖いか。
家康は悩んだあげく、高次に対しては感謝することにした。自分に味方したという前提で、感状を書きしたためた。家康ほどのものが私なんかのために、という感動で高次を突き動かそうとした。
「心許ないが蛍大名はこれで良しとしよう」
「大津城は我々東軍にとっても要衝となるところ。大津を取られれば、三成の軍は東へ雪崩れ込みましょう。是非とも味方にいれたいですな」
「その通りだ。しかし、こやつばかりは運に任せるほかない」
家康ですら、高次を扱いきれなかった。
そんな時、吉報が舞い降りた。
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