戦の果てに

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戦の果てに

 関ヶ原の戦いが始まったのは十五日の午前である。霧が立ち込めるなか、井伊直政と宇喜多秀家の銃撃戦から始まった。  開始は西軍優位に展開した。西軍の布陣は完璧で東軍を包囲する形を取った。また数でも勝っている。西軍10万に対して東軍は8万。しかし家康は動揺しなかった。西軍の各部隊には既に家康の謀略の手が伸びていたのである。西軍の過半数は戦に参加せず傍観した。実質、西軍は3万ほどであった。  戦局が大きく動いたのは小早川秀秋の裏切りからである。裏切りを予想していた大谷吉継が対処するも、数の暴力の前に無惨に散る。その後、西軍は大敗した。なお石田三成は逃亡したが見つかり死罪となっている。  ときを同じくして、立花宗茂達は高次降伏の報を受け、急ぎ関ヶ原に向かっていた。しかし、時すでに遅し。宗茂着陣の前に決戦は終わっていた。  当初、これだけ大きな決戦がわずか半日でつくとは誰も思っていない。しかし、家康はそれをやってのけた。  天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いは東軍の圧倒的勝利で終わったのである。
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