終幕

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 慶長十四年五月三日、ちょうど一年前に高次は死没した。死因は不明だがおそらく病死だろう。享年四十七歳。死ぬ直前まで輝きで命を燃やし尽くしていた。  高次は大津城籠城戦で降伏後、切腹は免れたが、責任をとって出家し高野山に登った。武士を辞めたのである。だが家臣の殆どは高次に付いていった。誰も高次のことを軟弱者などとは思っていなかった。  高野山では真っ先に宝篋印塔を建設し、籠城戦で死んだ者達を弔った。ここで高次の人生は終わるはずだった。    しかし、家康は高次の籠城戦を高く評価し、またこれからの時代に必要な人材だと考え、大名復帰をお願いした。高次は降伏の責任を感じておりそれを丁重に断る。だが、家康もしぶとい。再三に渡る懇願に高次は折れ、若狭一国(福井県)を与えられ大名復帰した。  京極家を再興したのである。  大名となった高次はまず新しい城と城下町を作ろうとした。小浜城である。高次はどのような美しい城を作ろうとしたのだろうか。きっと平和を象徴するような活気に溢れる城を目指したのだろう。だが、その完成を見ずに死んでしまう。  死ぬ間際、その目は何を見ていたのだろうか。 「蛍、綺麗ですね」  二人は蛍が見えなくなるまでずっと見守っていた。優しい光はあっちへこっちへよろよろすると、見定めたように南に向かい始めた。鈴鹿山脈最北の山、霊山の方角だ。 「また険しい方へ行きましたね」と俊道僧正は言った。  つられて笑った。 《 完 》
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