蛍と呼ばれる男

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蛍と呼ばれる男

 湖畔の風は鈴の音をのせている。  琵琶湖の南岸に城下町が広がり、大通りに建ち並ぶ民家の風鈴は一斉になびいていた。ささめく水面のような町並みと相反して、人々の往来は激しい。中仙道と東海道、西近江路が交わる商業の主要地で、荷駄や飛脚、僧から浪人までもが四六時中行き交っていた。  しかし、どれだけ忙いでいる者も、ここでは必ず一度は立ち止まる。そして琵琶湖に面した城を見上げ、その美しさに見惚れ、一時喧騒を忘れるのだ。  大津城。  琵琶湖にせりだすように荘厳な石垣がそびえ立ち、その最奥で四層五階の天守閣が天を衝いていた。純白の漆喰は青空に溶けている。天下に比類なき水城である。  慶長五年七月初旬(1600年)  その天守に『蛍大名』と呼ばれる男がいた。  京極(きょうごく)高次(たかつぐ)。その人である。  大津城主。琵琶湖の支配権をひとえに握り、名門宇多源氏京極氏の末裔のこの男は、乱世に似つかわしくない涼やかすぎる目元を持っていた。
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