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そう言って見送られて、私たちはすっかり日の暮れた夜の街を歩きだしていた。ヒールの高い靴は少し歩きづらくて、先ほどに比べると歩くのが遅くなってしまう。それに気づいた加州さんは、とてもゆっくり歩いてくれるようになった。
「ホテルはここから近いんだが、大丈夫か」
「はい! 大丈夫です!」
「痛くなったりしたらすぐに言うんだぞ」
見上げると、優し気な瞳と目が合った。それが恥ずかしくて私はすぐに視線をそらし、ただ頷くだけだった。
彼が言っていた通り、目的地のホテルはすぐだった。エレベーターで最上階に上がると、ウェイターが恭しく頭を下げて待っていた。
「加州様、お待ちしておりました」
私たちには、窓際の席が用意されていた。一望できる眺めは輝きに満ちている。周りのテーブルからは少し離れているから、まるでこの景色を独り占めしているような気持になる。
「莉乃は、ワインは大丈夫か?」
「少しくらいなら飲めます」
「分かった」
加州さんは慣れた様子で注文していく。きっとこんな風に、今までいろんな女の人を連れてきたのかな……そう思うと、頭の隅に小さく痛みが走った。
食事中はとても静かで、中々話を切り出すことができなかった。加州さんのお酒を飲むペースはとても早くて、私がグラス1杯のワインを飲んでいる間に、あっという間にボトルを空にしてしまった。耳が少し赤くなっていて、少し酔っているように見える。彼が新しいボトルを注文してすぐ、私は口を開いた。
「あの、加州さん。聞きたいことがあるんです」
「何だ?」
私はフォークとナイフを置いて、大きく息を吸った。
「……私と加州さんが一度会ったことがあるのは、加州さんは覚えていたんですか? 二年前なんですけど」
そう言うと、加州さんは呆れたようにため息をついた。
「まさかとは思っていたが、本当に覚えていなかったか」
「す、すみません」
私は肩をすくめる。
「いや、いい。……あんなに細かい事をハッキリ覚えていた俺が女々しいだけだ。莉乃が言うとおりだよ、俺たちは一度会っている。二年前、うちが経営しているクラブで」
加州さんはグラスに注がれたワインを一気に飲み干していく。
「俺は、あの時からお前に心底惚れている」
そして、突然とんでもない事を言い始めた。私が聞き返す間もなく、彼はどんどん話を続ける。
「どうせ、ヒロコも言っていただろう? あの頃の俺は、女に困ることはなかった。俺が何もしなくても、女どもは吸い寄せられるみたいに集まってくる。でもアイツらが見ていたのは俺のバックにある加州組と、財力だけ。……俺自身の事なんて、誰も見ちゃいない。実際、あの直後に違う女に会ったが、アイツは俺の顔の傷を見て笑うだけだったな」
加州さんは空になったグラスをくるくると回している。
「……莉乃だけだったんだよ。あの時、あの場で、俺の怪我を心配してくれたのは。加州組の跡取り息子でもなく、経営者としてでもなく、俺自身の事を心配してハンカチを差し出してくれた。そんな女に、惹かれないわけがない」
グラスを置いて、彼はまっすぐと私を見つめた。その燃えるように滾るその視線が私の胸を射抜いた時、そこが鷲掴みされたみたいにきゅっと痛んだ。私は思わず胸を抑える。
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