6話

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 その願いに満ちた囁きが、私の耳元に流れ込む。私はそれに応えるように、そっと彼を抱きしめ返していた。 「……どうして」 「ん?」 「どうして、私の居場所が分かったんですか?」  あのまま加州さんが現れなかったら、私は流されるまま店長による面接とやらを受けていただろう。加州さんは本当にタイミングよく、私の目の前にやってきた。 「お前のスマホのGPS、俺の端末から見れるようになっている。たまにチェックしていたんだ、前にお前が友達と遊びに行っていた時もそれで居所を知った。……だから、逃げようとしたって無駄だ。莉乃がたとえ地獄の底にいたとしても、俺は必ず見つけ出す」  彼の抱擁に力がこもる。その強引すぎる部分ですら、私は暖かさを感じてしまう。 「……どうしていなくなろうとしたのかだけでも、教えて欲しい」  私はその弱弱しい声音に観念して、抱きしめられたまま、すべてを打ち明けた。スーパーマーケットに出かけた時、祖父に会った事。祖父に、加州さんにお金の融通を頼まれた事。これ以上加州さんの迷惑にはなりたくなくて、あのマンションから逃げ出した事。小さく相槌を打ちながら私の話を聞いていた彼は、大きくため息をついた。 「わるい、俺の責任だ」 「い、いえ! 加州さんは何も悪くないです! ……悪いのは全部、私の家族ですから」 「いや。莉乃が心配すると思って、むやみやたらに莉乃の実家に羽振りのいい仕事ばかり回していたんだ。それが仇になるとはな……贅沢を覚えると、ダメになる人間もいるってことさ。これからは、家族や従業員がつつましく生活できる程度まで絞ることにするよ。……スーパーにジジィが来たってことは、きっとあのマンションもバレてるな。引っ越そう。莉乃も穏やかに過ごせないだろう」 「……どうして、そこまでしてくれるんですか?」  そう呟くと、彼は私から離れて行った。 「私の実家の事なんて、加州さんには全く関係のない事なのに」  加州さんは、私の事をまっすぐ見つめている。 「前にも言っただろう? 俺は、お前の事を愛してる。出会った時からずっと」  そう言って、今度は触れるだけの口づけをされた。目の前には、優し気な目で私の事を見つめる加州さんがいる。私が熱っぽいため息を吐くと、彼はもう一度、唇を柔らかく押し付けた。その柔らかさが心地よくて、私はねだる様に彼の首に腕を回していた。何度も、触れ合うキスを繰り返す。薄い唇の皮膚を通して、彼の体温が直に伝わってくる。 「……お前は?」 「え?」 「莉乃は、俺の事をどう思っているんだ? 変な奴だと思っているか? ……それとも、無理やり手籠めにした俺の事を憎んでいるか?」  私は彼にほんの少しだけ近づく。 「……わかんない、です」 「わからない?」 「確かに、初めはびっくりしたし、怖かったけど……加州さんの優しさとか、暖かさとか、そんなのに接しているうちに……あなたの事以外、考えられなくなって。今じゃもう、加州さんの事で頭がいっぱいなってるんです。私、こんなのは初めてで、どうしたらいいのか分からなくて」  このところずっと感じていた自分の胸の内を正直に打ち明けると、目の前にいる加州さんはきょとんと眼を丸めた。そして次の瞬間、大きな声で笑いだす。 「か、加州さん!?」 「いや、悪い。何だ、俺の事をそう思っていたのか、お前は」  そう言って、彼は私の事を軽々と抱き上げた。私は小さく悲鳴を上げて、彼に縋り付いた。加州さんはソファまで私を運び、そっとそこに寝かせた。そして、加州さんは私の腰のあたりに跨り、覆いかぶさる。まるで、彼のベッドで過ごすときのように。 「俺と一緒だな、莉乃」 「……え?」 「好きだの恋だの通り越して、お前はもう、俺の事を愛してるんだよ」
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