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02. 烏丸ロク
モヤは黒粉となって四散し、木々の合間へと吹き流れる。
濃く固まった影を、昔は瘴気とも妖気とも呼んだ。
人に取り憑けば害を働く、厄介な存在である。
ハロゲン灯で街を照らし、電気と光で人の世を満たそうが、影が消えたわけではない。より見えにくくなっただけだ。
一度砕けば、しばらくは影も山野に混じる。いずれまたどこかで淀み、人や獣を呑むこともあろう。
その時のために影縫いはいた。
烏丸ロクは影を払う。
人に交わるべからず、影に屈することなかれ。縫うは影のみ、善悪は思慮の外へ置くべし。
なぜ、と考えるのは億劫だ。自分は影縫いだから――それで十分な理由となった。
とは言え、影縫いも休息は取る。
睡眠は短くても支障ないものの、多少の飲食は必要だろう。
必須なのは影の補充、今しがた縫った影だけではまだ足りない。
他の影を探したくもあったが、後始末も仕事のうちだとロクは男を見遣った。
影を失った男は、頭から地に突っ伏してうずくまる。
彼は鳶口を腰に戻し、男の傍らに膝を突いた。
顎をズラせて横を向かせ、手を翳して呼気を確かめる。
吹いた泡で口許が光ってはいるが、命に別条はなさそうだ。
尤も、正常な日常に戻れるほど回復するかは、些か疑問だが。
立ち上がったロクは、コートの内ポケットに手を入れてスマホを取り出した。
古臭い稼業でも、これまた当然ながら文明の利器は必須である。
大昔なら男を放置しても、野垂れ死んだと気にされなかったのだろうが、現代では揉め事の種となり得た。
厄介を処理するのは、それ専門の連中に任せればよい。
影縫いは掟に従い、影を縫う。そんな彼らをサポートする組織が、“局”だ。
アドレスリストに登録された名前は、十指で余るほどしか無い。
リストの一番上、阿東と姓だけが表示された部分をタップして、山中に呼び出し音を響かせる。
二回のコールのあと一度接続が切り替わり、再びしつこくコールが繰り返された。
男の所持品を検ている途中で、やっと無愛想な声が届く。
『烏丸か。……えらく山奥からの発信だな』
「影落ちした男が一人、昏倒している」
『これで五人目だ。明日香村の監視員が目撃した奴か?』
「ああ、多分。後をつけてここまで来た」
ロクは男の腰からボトルを外し、カランカランと振って中身を確かめた。
先刻、男が拾ったのと似たサイズの黒粒がいくつも収まっていると思われる。
「黒鋼を拾っていた。詠月が集めてるっていうのは、本当らしいな」
『そんなところにも在ったのか。主要な欠片は、漏らさず把握したつもりだったんだがな』
「ショボいサイズだよ、指の爪より小さい。それが全部で……、ちょっと待ってくれ」
リュックから紙を出し、男を真似て地面へ敷く。
ボトルを紙の上でひっくり返し、中身を全てぶちまけた。
粒は四つあり、紙にも同数の黒斑が浮かび上がる。
「一センチ未満のが四つと、性能のいい式紙が一枚」
『縫い具は?』
「半端なのが一つ。そっちで調べてくれ」
『黒鋼で新たな縫い具を作っているなら、大問題だな』
「今どき、加工できるヤツはいないだろ。他にも影落ちがいないか、見回っておく」
『いや、奈良市内へ移動してくれないか。どうもキナ臭い』
回収用のヘリを飛ばすから同乗しろ、そう告げる阿東の指示をロクは即座に断った。
乗り物嫌いで自動車にすら顔を顰める彼にとって、空中移動など以っての外だ。
トラックで、いや大型バイクの後ろに乗ってと別案を挙げる阿東を聞き流し、ロクは通話を切った。
一人くらい徒歩の影縫いがいても問題あるまい――それが彼の流儀なのだから。
紙と黒鋼を片付け、ライトの明かりを頼りに男のメモ帳に目を通す。
半時間ほど経った頃、ローターを唸らせて回収用のヘリが頭上に現れた。
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