42. 鬼門

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   42. 鬼門

 午前二時五十二分。  京都南支部、広域管制室へ入ったロクと錦は、正面モニターの見方を阿東にレクチャーされる。  局員以外を入室させるのは大概な規則違反だが、緊急事態に文句は言わせんと局長は開き直った。  二面の大きなモニターには、関西広域と京都南部の地図が映る。  三人いるオペレーターは、いずれも交信と情報入力で忙しく働いていた。  現場の人員、それも影に対応出来る者が激減したため、戦闘が散発する南方の情報が未だ薄い。  モニターには死傷者の発生点と、局の端末を持つ影縫いが輝点で示される。  大文字山や御所周辺に密集する赤い点が死傷者、右京区から桂にかけて散らばる緑が影縫いだ。 「Aの領域を重ねてくれ」  阿東の指示で、地図の一部にグレーが被った。  御所辺りを北東端にして、北側は方形に近い。  南はインクを垂れ流したように複雑な輪郭をしており、末端は南西の桂川を越えて向日(むこう)市にまで達する。 「大文字山で発見した被害者は、東山病院の患者とスタッフだと確認出来た」 「南西、上鳥羽口(かみとばぐち)にも赤点の集団があるな」 「そちらからは新しい報告が少ない。代わって右京区に、不審な影が増えた」  南西は陽動、現在は市中での狩り(・・)に移行した、と考えるのが妥当だろう。  一般の警察は、大掛かりなテロ行為が発生したとして、市街に機動隊を出動させた。  各所で検問を行い、一部国道は封鎖されたとか。これで一人でも特班を拘束出来たなら大したものだが、影には無意味な対策であろう。  局に協力していた大阪府警の特殊急襲部隊は、京都市内の要所に展開済みだ。  現在は犯人に自衛官も絡むことが判明したため、対策要員も大っぴらに動かせる。とは言え、縫い具持ちにはこれも有効性が怪しい。  阿東はロクのリクエストに応えるため、公安上層部はもちろん、宮内庁や自衛隊情報本部の関係者へ電話攻勢を掛けると言う。  深夜だろうが相手を叩き起こし、手掛かりを得るまで引き下がらない、そう彼はロクへ約束した。 「お前たちはここか、隣の分析室で待っていてくれ」 「あまり時間は無いと思う。三十分でここを出る」 「短いな。月輪を知っていそうな関係先を、最優先にしよう」 「ところで、ドライバーとペンチが欲しいんだが」  唐突な要望に戸惑いつつも、分析室の机を漁れば出て来るだろうと阿東は応じる。  彼が自分の執務室へ消えると、ロクは錦へ工具探しを命じた。 「いいけど、何に使うの?」 「お前の弓は、分解可能な造りになってるよな」  何度も錦の縫い具を目にしてきたロクは、元の弓には先代の手が加わっていないと見抜いた。  ボウガンの機構は後付けされたもので、黒鋼の部材が影の弦を引く仕組みだ。  精緻な仕事を分解するのは忍びないとは言え、錦にはもう不必要だと思えた。 「初動が遅れるのは、ボウガン型にしたせいだ。弓に戻せばもっと早く射れるし、それに――」  銀林に対する決定打にもなろう。  ロクの説明を受けて、錦は分析室で縫い具の解体に取り掛かった。  ロクは独り、管制室のモニターを睨み続ける。  全く動きが無い緑の点、これは休息中か、特班に倒されてしまったということ。  たった十分で、静止した緑が四つ増えた。  阿東に言い含められていたのだろう、オペレーターはロクの要求にも大人しく従う。  彼は静止点を拡大表示させて、正確な位置を確かめていった。  洛央(らくおう)病院内の二つは、上七軒と八坂か。  西京極(にしきょうごく)の民家に光る点は、夷川が向かった円町だろう。  他の輝点は、軒並み街路の真ん中に在る。  これが死亡した影縫いだとすると、その数は十二名に及んだ。  残る人数を概算している間にも、動きを止めた緑が一つ加わる。  局外の者を合わせれば、未だ四十人以上の影縫いが生存していよう。  それでも(いにしえ)の九十九影からすれば半数。このまま狩られ続けると、詠月を抑える力が失われる。  今にも街へ飛び出したい思いを堪えて、ロクは確定しつつある詠月の領域を観察した。  南端は向日市から更に南へ延び、先細ったグレーゾーンは彗星の尾を連想させる形だ。  錦が撃った矢は、支部の前での戦闘でも南西にズレて飛んだ。  領域の尾と、引っ張られる方向は等しい。 「……地図に直線を引けないか?」 「出来ますけど、どんな風に?」 「御所の北東角から、領域の南端まで真っ直ぐに」  程なくして、黄色いラインが地図上に出現する。  鬼門と呼ばれる北東は鬼が出入りするとされ、鬼門除けとして北東角に南天や柊を植える町家も多い。  庶民に伝わる俗説はともかく、鬼が何を表す言葉かをロクは知っている。  影だ。  陽鏡の在った清涼殿から見て、鬼門に当たるのが猿が辻。  詠月は伝承通り北東から猿が辻を訪れ、陽鏡を発動させた。  影は北東に現れ、南西がそれを受け止める。  碁盤の目とも表される京の条里だが、思えば都を貫くのは、鬼門から裏鬼門へ至る斜めのラインだった。  清涼殿には裏鬼門と鬼の間が存在し、これは他の紫宸殿などでも同じ。  御所自体にも猿が辻が作られ、そこには神使(しんし)が招聘された。北東の延長線上に在る、日吉(ひよし)大社の猿だ。  陽が北東に宿れば、世は人に傾く。  影がなぞれば、鬼が支配する。  どちらが良いという話ではない。  古代の都は、そんな陰陽の掟を体現した存在だったのではないだろうか。  人の世に興味を持たないロクは、縫い具以外の知識には穴が多い。  それを踏まえても、街そのものの大仕掛けに無頓着だったのは皮肉な話だった。  領域が南西へ延びた今、御所そのものが鬼門である。  街を覆う影は、裏鬼門となる何かへ至ろうとしていた。  この上更に、詠月はどうするつもりだ――ロクの視線はモニターの左下へ移動する。  連環はまだ終わっていない。  陰から陽へ、そして大きな陰がさらなる陽へ。 「長岡京か……」  平安京に先立って作られた都は、たった十年で廃棄された。  遷都の理由は怨霊を畏れたためとも、自然災害に見舞われからだとも伝えられる。  しかし改めて位置だけを見れば、長岡京は平安京の南西に在る。  長岡京にとっての広大な鬼門、それが京の都だ。  長岡京が詠月の目的地とすると、桂川近辺に多い赤緑の点も違って見えてくる。  最初は京都市街へ進攻しようとする動きに思えたが、特班は詠月の背後を、長岡京を影縫いから守ろうとしているのでは。  阿東が消えて二十分、約束の時間までまだ十分を残すものの、ロクは南へ向かうことに決めた。
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