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43. 影縫いの在り方
日の出は午前五時過ぎ、詠月が何をするつもりでも、影がより濃い夜の内だろう。
それほど時間は残されていない。
ちょうど錦も、銃部分を外してすっきりした弓を携えて戻ってくる。
「支部を出よう。南へ行く」
「あの、私は影縫いでもいいのかな」
「西陣の話を気にしてるのか」
先代が彼女を見初めたとは言え、最後は別の道を勧められた。
自分と西陣は同じではないのかと、錦は思い出を辿る。
夢で弓に呼ばれたなんて劇的なエピソードも無く、小動物以外の影を縫ったのは奈良が初めての経験だった。
ロクと行動を共にして以来、彼女は様々な影縫いに出会う。
影縫いに誇りを持つ夷川。
自己の鍛練を欠かさない鷹峯。
吉田は人として生きる変わり種で、上七軒は縫い具そのままの人格だったように思えた。
翻って、錦自身はどうなのか。
先達であるロクの命に従い、無我夢中で矢を射た。
そこに彼女が拠り立つ主義など存在しない。
「無我夢中で構わん。ただ、縫い具は強い力を持つから、主にも影響が出る」
「上七軒みたいに?」
「そうだ。心根の曲がった奴が使い続ければ、より酷い曲がり方をする。詠月の配下がそれだろう」
「ロクみたいに、影響されない人もいるよね?」
「影は必ず深くなる。俺だって例外じゃない」
端的に現れるのが、縫いたいという衝動だ。
人の食欲や睡眠欲の代わりに、影縫いは影を求める。
精神の弱い者は、そこに他の不純物も乗せてしまう。銀林なら、強さへの執着といった欲望であろう。
こうなると影縫いには不適で、力を自分のために振るうようになる。
「だから俺は掟を定めた。影縫いは影を縫う、満たすのは影への欲求だけでいい。それを破るなら、他の影縫いが粛清する」
「ロクが定めたって、掟は確か大昔から――」
「弓を持つなら、縫うことだけ考えろ。自分がどう在りたいかには、追い追い行き着く」
答えの出ない悩みより、錦には行動が似合う。
弓を受け継ぐと誓った覚悟を思い返し、彼女はロクの指した道を進むと頷いた。
「でも、万一私が道を誤ったら?」
「俺が縫う。心配するな、俺が必ず縫いに現れる」
「……うんっ」
錦なりに結論が出たのを待っていたように、オペレーターが二人の会話に割って入った。
「不審な影の目撃情報をデータ化しました。五分前までの報告です。ご覧になりますか?」
「ああ、見たい」
午前一時から三時過ぎまでの報告が、時系列順にモニターへ表示される。
画面一杯に輝く青い点は、市街全域に散らばった。
午前二時半以降に絞って、ロクは表示させ直す。
西の青点が減り、右京区から南部にかけて光が偏った。
この支部から南へ下るルートが、敵の出没地点と重なる。
「さっきの北斗が仲間に伝えたなら、俺たちを意識した布陣か」
「夷川さんは無事かな」
「円町は西京極だから、どっちにしろ敵が多そうな場所だ。あそこは……」
西京極に何かあるのか、ロクは地図に向かって人差し指を動かし始める。
拡大画面を映させたかと思うと、支部の裏口の場所をオペレーターへ質問した。
地図の次は錦を見つめて、拳を口に当てる。たまに彼が見せる、考え込む時のポーズだ。
居心地の悪い彼女を、タイムアップに間に合わせた阿東が救った。
三十分きっかりで、彼はそれなりの成果を提示する。
「宮内庁の別局に、神具管理局がある。そこの局長を怒鳴りつけたら、少し吐いてくれたよ」
月輪と陽鏡については、『日月神宝之承録』という名の記録書が伝承されていたらしい。
これが幕末に失われた文書で、月輪に関しては所在も能力も分からなくなった。
陽鏡も同様なもののレプリカが現存するため、いくらか口伝で判明したことがある。
儀式に使用する八咫鏡は、名前の通り八枚が厳重に保管されていた。
咫とは女性の手の大きさを表す語で、神鏡は全てこのサイズだ。
オリジナルとなる陽鏡も当然同じ形状をしているはずで、一枚が清涼殿に埋まっているのは今夜確定した。
陽鏡の役割は、都の光と闇を制御する中心となること。
古代の八都に埋められた八つの鏡は室町時代に禁忌とされ、掘り返された記録が無い。
陽鏡は神域の落し金。
問わず語らず、触れるべからず。
言い付けは守られ、陽鏡は今も清涼殿やどこかの遺構に、或いは近代建築の下で眠る。
「決まりだな。詠月は長岡京のどこかに埋まる陽鏡を利用しようとしてる。宮跡のある鶏冠井町辺りが怪しい」
「影の領域を広げるつもりだと?」
「鬼門に流し込む影の量が桁違いだ。近畿どころか、関東まで届きかねない」
すぐに発動へ移れないのは、条件が整わないからだろう。
御所での発動に立ち会ったロクには、詠月が必要としているものに見当が付いた。
「ヘリは何機出せる?」
「二機なら、無理を通せば」
「全然足りない。最低でも七機必要だ」
「消防や民間機も借り上げれば、不可能ではないが……」
局が連絡を取れる影縫いには、合図を待つよう伝えろと、ロクは手順を説明した。
阿東のゴーサインで、皆を府警本部へ集合させる。
影縫いを狩らせてはいけない。影を太らせると、この巨大な鬼門が扉を開く。
「吉田にも同じことを伝えてくれ。集めた影縫いを空輸して、長岡京へ運ぶ。鹿苑寺がいない今、空なら安全だ」
「分かった、影縫いを回収する車も出そう。他に必要な物は?」
「阪急へ頼んで臨時車両を走らせてほしい――」
細かく指定されるロクの要求を、阿東はメモに取る。
民間企業相手では交渉に時間が掛かると予想されたが、こちらはヘリより後に回して構わない。
「縫い具の回収に隠蔽工作、あんたのやることは山積みだろ。俺たちを運んだら、後は影縫いの仕事だ」
「……娘を頼む」
承諾の意味で片手を挙げ、ロクは管制室のドアに手を掛けた。
「地下鉄へ出る。裏口を開けてくれ」
阿東の案内で地下鉄との接続口へ赴き、滅多に使われない扉を開けさせる。
ホームから少し離れた地下抗へ出たロクと錦は、線路脇を西へと走った。
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