44. 化け物

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   44. 化け物

 街路が襲撃されやすいなら、地下を行けばよい。  幸いにも始発前の深夜、地下鉄経路を通るのは整備車両くらいだろう。  地下鉄東西線を真西へ進み、終点の太秦天神川(うずまさてんじんがわ)駅まで移動する。  そこで外へ出て南下すれば阪急電鉄の西京極駅、ここからまた線路を利用する計画だった。 「全速だ、ついて来いよ」 「足も隠せるようになったんだから。任せて」  ゴールまで一キロと少し、終着駅の光が大きくなった辺りで、錦の端末が着信で震える。  応答した彼女が、相手の声を聞いてロクヘ手渡した。 『なかなか繋がらなかったぞ。どこにいるんだよ』 「太秦の地下だ」 『地下鉄? お前はヘリに乗らないのか』  吉田たちのいる病院へは、山岸が迎えに行った。  上七軒も目覚め、戦闘は厳しくても移動は出来る状態だそうだ。  領域の影圧が強いことはデメリットばかりではなく、影縫いの回復にも役立った。  鷹峯と八坂も合わせて四人が、病室に固まって移動開始に備えている。  通信機器を持たない夷川も、円町を通じてロクの計画は知らされた。 「もうすぐ合図が行く。全員に連絡が伝わるよう努めてくれ」 「そのつもりだけど……お前、まさか」 「切るぞ」  ロクは徒歩で南下する。  彼の役回りは、味方への攻撃を減らす(おとり)だった。  ホーム端のステップを駆け上がり、冊を飛び越えて無人の構内を改札へ急ぐ。  消しきれない錦の足音が、やけに大きく反響した。  影に紛れた二人は改札から階段へと進み、地上に出る直前で足を止める。 「俺は隠形を解く。黙って接近する影は、問答無用で撃っていい」  錦がコクリと頷くのを見て、ロクは外へ歩み出た。  敵が集まって来れば良し、そうでなくても西京極へ着くまでに、阿東がヘリ輸送の指示を出す予定だ。  局の偵察員は、大半をこの先に続く天神川(てんじんがわ)通へ配備させた。  この道を川に沿って南へ直進すれば西京極駅である。  少しでも敵を引き付けたいと、ロクがゆっくり数歩進んだ時、早速一人目の影が路地から飛び出した。  (あざみ)棍、刺だらけの球が棒の先に付いた鈍器を、鳶口の先で受け止める。  すかさず男の足を、影矢が縫って封じた。  ロクは鳶口を真横に倒し、体ごと回転して敵の腹を裂く。 「まず一人、幸先がいい」  大将軍(だいしょうぐん)などと大層な名前の付いた縫い具も、使い手が弱ければ真価は発揮出来ないということだ。  ひくつく男から目を離し、ゆったりとロクは前進を再開する。  皆を一箇所に集めると、当然リスクも生じるだろう。  詠月の企てを阻止するまで、ヘリは上空で待機させておく手もある。  だが、敵の多さからして、仲間の総力でないと接近にも手間取るであろう。  懸案はもう一つ。  詠月を倒せばこの影の領域は消えるのか、それはロクにも答えられない疑問だった。 ◇  川の(ほとり)は影が散り、集中力が途切れそうになる。  錦は五メートルくらい後ろを、隠形全開でついて来ており、ロクより流水の影響は少なそうだ。  弓だけに戻した彼女は、著しく射撃スピードが向上した。  頼もしい、と素直な感想を口にしかけて止める。  天神川通を半キロほど下るまで、新たな襲撃は無かった。  今回ばかりは敵に発見されるのが務め、無事に南行きを踏破したのでは都合が悪い。  鳶口を持った右手を大きく横へ伸ばし、自分の影を内へと押さえ込む。  指先に温かな血が通い、瞳が黒からダークブラウンへ明度を上げた。  肩に乗る湿ったコートが重い。  ここまで実体へ還るのは、何年ぶりだろうか。止めていた体内の時計が、久方ぶりに動き出す。  ――どうした、狙うなら今だろ。  餌を全うするロクへ、殺意の飛礫(つぶて)が降り懸かった。  天神川の岸側から放たれた影弾は、横殴りの雨さながらにロクのコートを連撃する。 「ロクっ!」  油断は無くとも、影が満ちた領域で彼は探知能力を封印した。その状態で、弾の接近に反応出来るものではない。  相手は五人、そう見て取っただけでも驚異的な反射能力だ。  御所よりも遥かに至近距離からの一斉射撃は、そのほとんどが彼に命中して、コートに蜂の巣の穴を空けた。  伏兵を展開したということは、十中八九、局の警戒要員は縫われたのだろう。  銃声のした方へ、錦が矢を放つ。  立て続けに射られた三発、その影矢を追ってロクは駆けた。  道路脇の植え込みまで飛んだ矢は、的を探してフラフラと旋回する。  領域の中では、目で確認出来ない敵を射抜くのが難しい。  影を目一杯厚くしたロクは、二度目の斉射を受けつつも、スピードでこれを凌いで茂みの裏へ跳んだ。  まずは一人、黒影に紛れる男の腹に鳶口を突き立て、道路へ向けて引き飛ばす。  アスファルトへ叩き付けられた影へ、獲物を見つけた矢が襲った。  ロクを包む影は、更に量を増す。  人型の影は膨れ上がり、鳶口も包んで一塊の黒溜まりと変化(へんげ)した。  逆巻くコートは荒れた毛並みのようであり、右手の先に鈎状のくちばしが尖る。  二人目を斜め下から爪で打ち上げ、自身も街路樹を飛び越して三人目の頭へ降り立つ。 「ひぃっ」  戦闘職にあるまじき悲鳴が、ロクの直下から上がる。  軍帽に留まった影は首の裏を(ついば)んで、次の敵へ体を捻った。  黒く丸い身体が、銃撃にも怯まず次へ跳ねる。  胴は虎、右手は鳥、三つ足で地を駆る異形(いぎょう)の影。これが人に見えたなら、いくら暗闇でもどうかしている。  これほど影を濃くするのも、ロクには久しぶりの経験だった。  決して喜ばしいことではない。  銃弾を浴びなければ、こんな影に身を任せなくて済んだものを。  並んで銃を構える二人が、化け物の喰らう最後の餌食となった。  助けてくれ――煩い銃撃音の間に、諦めたような男の呟きが挟まる。  二人を道路へ投げ飛ばすと、錦の追撃が始末を付けた。  ロクの身体へ、溢れていた影が緩やかに吸われていく。  天神川通へ戻り、(ひざまづ)いた彼の姿に、錦が慌てて駆け寄った。 「怪我は! 見せて」  丸めたロクの背中には、血も傷も見当たらない。コートに空けられたはずの穴も無く、錦の見間違いであったかと思うくらいだ。  墨流しの模様が揺れたように感じ、彼女は彼の背に指を置く。 「触るな」 「でも――」 「下がれ!」  ロクが左手で錦を庇い、ふらつきつつも立ち上がった。  領域であろうが、余りに異質な影なら察知出来る。  眼前に突如現れた黒霧の中から、刃が彼へ下ろされた。
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