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50. 小畑川にて
敵の布陣を偵察してきた夷川は、その足で吉田のいる交差点へ赴く。
銃器で武装した敵は、小畑川の南岸に広く布陣していた。
「多いのはこの先、橋の袂だ。発見されたくなかったら、東西どちらかへ大きく迂回するしかない」
「川ってのがなあ。橋を行けば集中砲火されそうだし……」
「それなんだが、敵の様子が今までと違う」
迷彩服の自衛隊員たちは、落ち方が酷かったらしい。
縫わずとも明日には昏睡しそうな影の濁りが、遠目でも観察出来た。
雑に影へ落とした急造の兵、そんな予想が立てられる。数は多くても、御しやすいのではないか。
詠月の近くにも護衛はいるだろう。そちらが本隊だとすると、川にいる連中は足止め係だ。
もっとも、これまでより重武装で、据え置きの機関銃も持ち出していた。
「近代兵器には詳しくないが、常人ならふっ飛ぶ威力だろうな」
「ああ……そうか。んー」
「試すなら、私がやるぞ」
人に有効な兵器が、影縫いにも使えるかは別。
急遽調達した部隊に果して影弾が供給されたかは、当たってみなければ分からない。
吉田の決断を後押ししたのは、交差点へ向かう錦からの通信だった。
『詠月は府道二○九にいる。みんなは今どこ?』
「小畑川の北、まさにその府道の交差点だ」
『私たちもすぐ行く』
端末を仕舞った吉田は、橋の方向へ指を差す。
夷川が気味悪くニヤついたように見えたのは、吉田の勘違いではあるまい。
「詠月はこの先にいるんだってさ」
「聞こえた。決まりだな」
「待てって、一人で行かせるかよ」
バラバラと散らばっていた影縫いたちは、吉田の掛け声で近くに集合した。
実弾を透過できる者が先遣隊、難がある者は後続にと、皆の役割を振り分ける。
先発には夷川と鷹峯くらいしか適任者がおらず、追加要員を求めて吉田は皆の顔を見回す。
血気盛んな北野は実力が足りないし、円町はやる気不足と、抜擢するには問題しかない。
困った彼へ、背後から幼い声が立候補した。
「ボクもいくよ」
「おいおい、白目剥いてた奴が何言ってんだ」
「お腹が空いたんだもん!」
いくら動けるようになったからと言って無理があり、上七軒は後詰めに回す。
「じゃあ、私が行くわ」
「八坂もフラフラだっただろ」
「お腹空いたんだもの」
負傷者は後方へ搬送中で、まとめ役は局の応援が替わってくれたと言う。
阿東の指揮で、影縫いをバックアップする態勢が取られつつあった。
ヘリの墜落で警察と消防は大忙しで、サイレンもけたたましい。
しかし、小畑川以南は一時封鎖され、夜明けまでなら出動を抑えてくれるそうだ。
「最初はあくまで偵察だ。影弾を使ってくるようなら、すぐに退却しろよ」
夷川、鷹峯、そして八坂の三人は、黙って橋の方へ体を向ける。
「返事しろよ、お前ら!」
「ふんっ、心配無用」
「刃の露としてくれよう」
「もうペコペコ」
マイペースだが実力は折り紙付きの三人が、直線道路を南西へ走り出した。
低い欄干の付いた橋に、これといった名前は無い。歴史は古くとも、今は二車線に改修された平凡な橋だ。
その中程に来るまで、敵は反応しなかった。
隠形を識別出来ないのは、それだけ敵が一般人に近いということ。
八坂が立ち止まり、岸辺に並ぶ影法師たちへ花びらを撒く。
これでやっと彼女らの存在を察知して、銃撃が開始された。
銃弾が乱れ撃たれる中、耳を聾する爆音を立てて欄干が吹き飛ぶ。
機関銃よりも凶悪な携行型の対戦車弾が、橋を齧ったように砕いた。
攻撃されると知っての突入だ。ベテラン三人が、建材の破片くらいで傷付きはしない。
八坂は前の二人へ、縫われたかと確認する。
「いいや、全部通常弾だな。夷川は?」
「我々より橋が持たん。大砲男を黙らせよう」
後方で見守る吉田の心配を余所にして、夷川と鷹峯は対岸へと駆けた。
影が保つ限り、機関銃も戦車砲も単なる騒音発生器だ。
二手に別れた彼らは、重武装の兵から順に縫い散らした。
鷹峯が回ると刃に触れた敵は頭から卒倒し、羂索は数人ごとまとめて縛り上げていく。
自己を破壊されかけた弱い影落ちほど、倒すのが容易な相手はないだろう。
一般人より簡単に、影を縫われて沈黙する。問題があるとすれば数のみ。
十人を縫ったところで、影の薄れた鷹峯が弾を透過し損ねた。
詠月に切られた左腕が、再び血を滲ませる。
撃った男を夷川が縛り、鷹峯の怪我に目を遣った。
「まだ動けるか?」
「掠っただけだ」
「増援が集まる前に渡らせよう」
夷川が手を挙げたのを見て、橋の上から八坂が叫んだ。
橋を潰されない内に、影縫いは長岡京へ送る。
「背は低く、一気に抜けて!」
戦車砲が川の下手から撃たれ、橋桁に直撃した。
銃撃が減った今がチャンスだと、八坂が急げと皆を急き立てる。
もう一発、今度は川上から彼女のいる場所へ白煙が伸びた。
影を帯びない弾は、透過出来ても弾きにくい。
黒花繚乱を出せるほど八坂は回復しておらず、橋を守る手段が無い。
鷹峯がヘリで見せたような一撃なら、砲弾も防御し得たのだろうが。
この夜の戦いで研鑽を積みながらも、身に宿す豊富な影を未だ持て余していた者がいた。
技量が追い付いた今なら、縫い具の力は本来の強さを取り戻す。
迫る砲弾へ、影矢が命中した。
弾へ纏わり付くように、矢は何度も白煙の先端を縫い続ける。
爆発は橋の手前で起き、八坂の髪が吹き上がった。
煙の中で、ロクは隣の少女に告げる。
「よくやった。もう一人前だな」
「よしっ!」
主役の到着を見た鷹峯は、片手で薙刀を持って下流へ走った。
府道を進むのはロクの仕事、とすれば、皆は彼のために道を作る。
橋を暫し見上げた後、夷川は鷹峯とは逆に上流へと向かった。
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