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53. 錦の闘い
棍が敵の肋を突き、鎚が脳天を打つ。
実力は影縫いが上とは言え、多対一の戦闘は熾烈を極めた。
人数差はなかなか埋まらず、どちら側も決め手に欠ける。
後方で待機した吉田も、結局は前線に参加した。円町が止めても、黙って見ているのは辛かったらしい。
矛や槍、長柄の敵も厄介だが、舗装道路すらえぐる銀林の太刀が、やはり最大の脅威だ。
縫い具すら断ち切る力を、まともに受けられる者はいない。
この難敵を封じたのは、陣地外から矢を射まくった錦だ。的が大きく、今の彼女なら当てるのは易しい。
蚊に刺されたようなものだと、意に介さなかった銀林も、矢で交戦を邪魔されるのが続くと激昂する。
土嚢を踏み越えた彼は、雄叫びを上げつつ錦へ迫った。
「小娘がっ! 叩き斬ってやる!」
敢えてその場に踏み留まり、錦は大太刀を狙って連射する。
斬撃は大きくよじれ、銀林自体も横へよろめいた。
精密に、早く、定めた一点へ。
太刀を握る左手の甲へ向けて、錦は弓の弦を爪弾く。
矢は甲の中心に当たり、次の矢も寸分違わず同じ位置へ刺さった。
三射目も、さらにその次も。
四発を集中されて、太刀から左手が離れる。
銀林が硬直したのを見て取り、その顔へ向けて弓を持つ手が上がった。
一拍の睨み合いのあと、弓の纏う影が濃縮される。
錦の弓から、極太の矢が飛び出すと同時に、銀林の輪郭が三重にブレた。
散り影――潤沢な影を贅沢に使ったお得意の逃走方法だ。
影矢が額を撃ち抜くと、二つの分身が左右へ後退しようと踵を返す。
「逃がすもんか」
額と決めた目標を、錦の矢は決して諦めない。
右の銀林へ回り込んでその額を貫き、八の字を描いて左の銀林へ。
また二人ずつ分裂した男を、矢は執拗に追いかけて縫い続ける。
結局、銀林が土嚢に辿り着いた時には、計十三の分身が尽く影矢によって消し去られた。
もう銀林には散り影を使う余裕も消え、倒れるように土嚢の向こうへと転がり込む。
「ク、クソがぁっ……」
「しつっこいなあ」
十四回目の攻撃を前に、残念ながら矢も霧散した。
トドメを刺すなら、もう一矢必要だ。
軽く舌打ちした錦は、手元へ力を送る。主の命に応えて、弓はまた影を深めた。
影が、領域に溢れる全ての影がうねる。
ここまでずっと、影は鬼門へと流れていた。きちんと矢をコントロールすれば逆らえる、そんなゆったりとした流れである。
それがいきなり荒天の海のように渦巻き、詠月のいる黒界へと吸われ出した。
錦は一度、同じ感覚を御所で味わっている。月輪の発動に違いあるまい。
タイムアップ――不吉な予感が、彼女の頭に過ぎる。
銀林へ射た矢は激流が攫って的を外し、黒界へ消えた。
大太刀をだらんと握る男は、錦へ振り向いて嗤う。
瞳から光が失われたのが、彼女の位置からでも見て取れた。
「お前たちの負けだ」
「まだよ、まだ終わってない!」
不快な波動を堪えて、彼女は前へ走る。距離を詰め、男の真正面から射れば矢も当たるはずだ、と。
月輪が成す洗脳効果は、相当に強いものだと彼女も理解していた。
金庫を進んで開け、身を呈して突撃し、囮でも自爆でも詠月の望むままに動く。
影縫いを討てと言われた彼らには、もっと優先される指令があった。
鬼門を開け――その命令を実行するのは、月輪が発動した今だ。詠月の指示は、錦の思うよりずっと深い。
大太刀を横に掲げた銀林は、刃を喉元に当てる。
傲慢で、力に溺れた男はそこにいない。いるのは自我を塗り潰された、詠月の操る人形だった。
真横に引かれた太刀が、銀林の喉を裂く。
頭が異様な方向へ倒れると、切断面から噴水さながらに血が噴き出した。
絶命した男が手放した影が、後方の鬼門へ吸い寄せられる。
喩えるなら、銀林は電池か。
影縫いを倒せないなら、彼らが捧げられる。鬼門解放用の追加燃料だった。
意図を察した錦は、皆へ絶叫する。
「死なせちゃダメ! 拘束して!」
彼女と同じ推理をした者は、言われるまでもなく自殺を阻止しようと動いた。
影だけを縫い、行動不能にして身柄を押さえる――それを最初から予定していれば、もう少し上手く立ち回れたであろう。
瞬く間に敵の十五人が死亡し、二十人が瀕死に陥る。
この死にかけた敵を皆で縛りつつ、残る十九人は無傷で縫い留めた。
これで成功と言えるのか。月輪の発動を阻害出来ているのか。
どちらにせよ、この人数では縫い留め続けるのも苦しい。
吉田は円町に端末を放り投げ、影縫い全員を召集するように頼んだ。
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