30人が本棚に入れています
本棚に追加
54. 求めしものは
充満する影の中、ロクは自分の力が毛ほども回復しないのに苛立つ。
彼の体だけは、影の出入りが拮抗していた。
「吸うのと吐くのを同時に出来るとはな……」
「刀傷を負わせたからな。漏れるのは防げまい」
羽根を畳んで突進したロクを、詠月は体を捻って真横へ避ける。
鳥の尾が獅子の爪を形作り、草鞋履きの足元へ掴みかかった。
それを刀で受けた詠月は、そのまま刀身を上へ降り抜く。
裂けた獅子の手は二股の蛇となり、詠月の右手先に巻き付いたものの、鍔がそれを吸い取った。
一度は詠月を圧倒しかけた彼を、月輪がひっくり返す。
劣勢ではなくとも、五分の勝負に戻された。
詠月を縫う、この目標がそもそもの間違いだ。敵は月輪。月輪を破壊しなければ止められない。
「帝を悩ませた鵺と言うのは、お前のような者だったのだろうな」
「月輪に取り憑かれたお前も、十分に伝説級の化け物だよ」
「月輪は道具、我が意志を完遂するための――」
「それが憑かれたって言うんだ」
是非も無し。
腕を肩上に引いた詠月は、突きの構えを見せた。両足を少しずつ開き、腰を落とす。
ロクも足を太い一本にまとめ、膝を屈して力を込めた。
剣士の身体が前傾していく。
三間、六メートル弱の間合いを、詠月は足を滑らせ一息で潰した。
超高速で迫る切っ先が一段目。
ロクは地を蹴り、上へ飛ぶ。
刃の向きを切り替え、翼へ向かって対空の斬撃、これが二段目。
美しい半円を描いた刀は、羽根を裂いて影を切り取った。
詠月の頭へ伸びた鈎爪と交差して、ロクの胴へ渾身の突きが放たれる。
神速の三段目は、見事に凶鳥を串刺しにした。
刀の回りに大穴が空き、脚は落ち、羽根はちぎれて空へ舞う。
穴は広がり、細く丸い影が詠月の上に漂った。
残されしは、円なり。
黒眼が詠月を睥睨する。
円周上に鋸歯の如く鈎爪が並び、一斉に獲物へ襲い掛かった。
詠月が振り払うには、余りに爪の数が多い。
肩へ腕へ、拳や背中にも、爪は容赦無く突き刺さった。
頭を庇って刀を横に振り上げたのは、達人だからこその反応ではある。
事実、首より上に爪は届かず、妖刀は役目を果たした。だが、爪の連撃を浴びて、刀身は真ん中で叩き割られる。
膝を突いた詠月は、同じく地に屈したロクを見た。
「人型に戻ったか」
「締めと行こう」
お互い余力はあと僅か。
詠月に多大なダメージを与えながらも、ロクはこれで大半の影を失った。月輪へ一撃を加えるのが精々だ。
鉄拵えの刀と異なり、月輪は影の攻撃に滅法強い。
硬度も大概なものだろうが、物理的に破壊する方がまだ容易だろう。
何なら忌まわしき月を破壊出来るのか。
腕力は論外、鳶口やコートの力でも微妙なところ。
月輪が弱まる瞬間を、彼は思い出す。陽鏡が闇に反発した時、当たりは光で満たされた。
影縫いにとっては、死をも覚悟する魔の刻。失敗すれば発動を許すとしても、これが最善のタイミングであろう。
黒界が消えたと同時に、くちばしで――。
「策が尽きたか?」
動かないロクを、詠月は嘲笑った。
「外の影縫いは、案外に健闘しているようだ。影の増し様が緩い」
「本職をナメ過ぎだ」
「それとて時間の問題、もう止められん」
――外。
黒界の外に、月輪を砕くものがあったのでは。
宝珠、弓、薙刀、羂索。棍、影弾、花瓶……、大太刀。
一つの解答を得て、ロクは外へ走った。
大太刀なら、或いは。
不審な動きに、詠月もすぐに対抗する。
ロクの進路を塞ごうとする詠月を、彼は折れた鳶口で殴りつけた。
それを半身になった刀で受け、詠月は刃を柄に滑らせる。
ロクの握り手を狙った攻撃に、彼も一歩退かざるを得ない。
背を向けるわけにもいかない接近戦に、ロクは行動を封じられた。
「ああ! 刻限だ」
勝ち誇った宣言が、詠月から下される。
怒り狂う闇の渦は凪を打って鎮まり、光が南西から差し込んだ。
陽鏡による反転――御所に次いで、陰陽の連環が再開される。
晴れ行く外を、ロクが見渡す。
ほぼ全員が集結し、立つ敵は少ない。
御所の時より光は弱くても、影の大敵なのは同じこと。蒸発していく力に、皆の顔は苦しく歪む。
そんな中、鷹峯と錦が真っ先にこちらへ振り向いた。
大太刀は錦の足元近く。
投げて寄越せと叫ぶ寸前、彼女の後方に意外な影縫いを見出した。
目が合っただけで、ロクが差し伸ばした手の意味が通じたらしい。
曲がり鋸が、彼へと全力で投げられた。
これが彼女が出した最後の答えだ。
遠慮の無く回転する鋸を、その隙間なく並ぶ歯を、ロクは躊躇いもせず左手で受ける。
斬り掛かってきた詠月の刀は、上体をズラせてコートで止めた。
剣圧で四散しそうになる影を気力で繋ぎ留め、鋸を下から上へと振り抜く。
影縫いたちの反応も早かった。
影矢は詠月の右足へ、薙刀は腰の当たりに命中する。
薙刀の刃は肉を少し削いだだけに終わり、矢色は明くる空そのままに薄い。撃ち手が光に晒されてしまっては、普段の威力など望むべくも無い。
それでも確かに、何分の一秒か詠月の時は止まる。
曲がり鋸は、月輪に纏い付く闇を割いていた。
毛の幅しかないその隙間に、ロクは鳶口のくちばしを突き入れる。
ヒビが入った。
一センチにも満たない小さなヒビが。
その瑕疵が影縫いたちの意地に報い、月輪の力を減じる。
割れた風船を膨らませることは、誰にも出来やしない。
闇は爆発することなく、陽鏡と夜明けの光を浴びて萎む。
その場にいた全員が地面に崩れ落ちた。
最初のコメントを投稿しよう!