55. 影縫いたち

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   55. 影縫いたち

 警察は日の出を行動開始の合図にしたのだろう。  もっぱら北の方角から、複数のサイレンが聞こえた。  ロクと詠月は、片膝を突いた同じ姿勢で向き合う。  共に自分の武器を支えにするところまで、鏡に映したようだ。 「失敗したのか」 「街の闇まで吹き飛ばしたみたいだな。手間が省けて助かる」 「何回でも……いや、私は……」 「月輪を一度置いたらどうだ?」  (つか)を握る自分の手を見つめた詠月は、刀をゆっくり道路へ横たえた。  詠月の身体は朝日を透過して、薄く向こうの景色が窺える。  影としての死が、間もなく訪れようとしていた。 「なぜ、私だけが」 「あんたは月輪に頼って生き延びていたんだ。月輪に吸われ尽くした、と言ってもいい」 「だから取り憑かれていると?」  そうじゃない、とロクは首を横に振る。  月輪が内在する欲求を、自分の願望に混ぜ合わせてしまった。  そんなロクの見立てに、詠月はきつく目を閉じた。 「私は……影で世を満たそうと」 「違うな」 「世を正しい方向へ――」 「違う」  続く返答は遅れる。  影縫いたちはまだ動けないようだが、荒い呼吸は生きている証だ。  特班隊員にそんな兆候は無く、陽鏡に焼き尽くされたらしい。  再び目を開けた詠月は、険の取れた口調に変わっていた。 「国を変えたかった。こんな大事なことを、忘れていたとはな。もう一度やり直そうと思った」 「それが本音っぽいな。どこで月輪を手に入れた?」 「大津京だ。陽鏡が黒く染まり、月輪になっていた」  それは本当の意味での月輪ではなかろう――そう指摘する言葉を、ロクは腹に呑み込んだ。  理屈はロクのコートと同じである。  延々と影を吸わせた挙げ句に放置を続ければ、やがて陽金であろうと朽ちて形を失う。その過程にあるのが黒鋼だ。  打ち捨てられた縫い具を拾い、ロクは黒套へ(あつら)える。  詠月は砕けかけた陽鏡を回収し、月輪もどきとして使った。  真正の月輪であれば、鳶口で傷を付けられたかどうか。冷汗の出そうな疑問をロクは頭から追い払った。  影を縫えば、縫い具も陽鏡も命脈を保つ。  影縫いの営みが崩れた先には、詠月のような者が再誕するだろう。 「二条城に侵入して文献を手に入れた。月輪も得たが、全ては遅かった」 「いつの話だ?」 「百年以上前だ。局長は上野で討たれ、副長は函館で散った。私は何一つ、間に合わせることが出来なかったよ」  仲間が上野へ向かう際、詠月は偽物と入れ替わって京に残る。  最も影が濃かった男に、乾坤一擲の秘策が任せられた。  月輪を掘り起こせたのはいいが、常人が身に付ければ影に落ちる。  詠月は前後不覚のまま山野を彷徨し、自我を取り戻した時には、維新の大乱は終結していた。  以降、草士詠月は少しずつ影に身体を馴染ませ、政府転覆の機会を願う。  知識も技術も百年をかけて練り上げた詠月だったが、残念ながら精神は落ちた闇から這い上がれなかったようだ。 「幕末の亡霊か。よくもまあ、影縫いから隠れ通したもんだ」 「間違えたとは思わん。長く掛かり過ぎだだけだ」 「どうでもいいな。()の事情は」 「……介錯を頼む」  詠月は自害で決着を付けようとした。  折れた刀は首をすり抜けてしまったため、ロクに縫うよう告げる。  断る理由は無い。  半透明になった詠月を、鳶口の先で打ち据える。  影は空気に拡散し、淡い(かすみ)が風に流されて行った。 「最期に何を思ったんだろ。私には読み取れなかった」 「百歳超えた奴は、そんなもんだ」  回復の早かった錦の肩を借りて、ロクは立ち上がる。  鳶口は腰に収め、曲がり鋸を右手で持った彼は、皆の様子を見回しながら歩き始めた。  薙刀を回収する満身創痍の鷹峯と行き違い、力無く手を挙げる吉田へ頷く。  救急車の赤いランプが、鈴生(すずな)りになって近づいていた。半数以上の影縫いが、病院送りになると思われる。  上七軒は無理を重ね過ぎたし、円町は光に耐えられなかった。  (うずくま)る彼らから、ロクは一台の車へ視線を移す。  路肩に駐車する局のバンへと進んだ彼は、傍らに立つ阿東へ鋸を手渡した。  無言のロクへ、阿東の方から頭を下げる。 「ケリが着くのを、どうしても見たいと言ったんだ。子の願いを叶えない親だとは、思ってほしくなかった」  黙って背を向けたロクに代わって、錦がペこりとお辞儀を返す。  酷い戦いだった。  これ程まで一度に影縫いが亡くなったのは、ロクの記憶にも無い。  失ったものは多く、影縫いも局も後始末に時間が必要だ。  どうやってこの騒乱を説明付けるのか、阿東の手腕が問われることだろう。  もし唯一得たものがあるとしたら、顔付きが逞しくなった錦くらいだろうか。  とてつもなくハードな新人講習が、一人の影縫いを巣立たせた。  自分を見る視線に気づいた錦が、休息を提案する。  認めたくはなくても、ロクの体は彼女に賛同していた。 「ホテルに帰るよね? あそこ、パンケーキが美味しいんで有名なんだよ」 「待て。お前、まだ付いて来るのか」 「教えてもらってないこと、いっぱいあるよ?」  二の句が継げない彼の前へ、夷川と八坂が歩み寄る。 「川原の影落ちが、市内に散ったらしい。探知は使えるか?」 「こう光が強いと、探すのも大変よねえ」  陽鏡の光は、影を与えて弱めるしかなく、影落ちが残っているのは好都合とも言えた。  開いた口が塞がらないのは、三人のやり取りを聞いた錦の番だ。 「ええぇ! 休まないの?」 「お前は休んでていい」 「やるって。やるよ、もうっ」  並んで歩き出した三人へ、錦が今一度問う。  なぜ皆は影を縫うのか。  疲れた身体を酷使し、誰の感謝も求めず。  死を賭してまで。  烏丸ロクは今更だと言わんばかりに、一言で答えた。 「影縫いだからだ」  横の二人にも、この回答に異存は無い。  朝焼けの空が暑く、眩しい。  家屋の陰に紛れつつ、影縫いたちは古都の路地を走り抜けて行った。 了
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