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第1話 オラが身売りされるだ!?
青年が、8歳くらいの小さな女の子の目線に合わせて話しかける。
青年は少し長めの散切り頭に袴、女の子は着物姿で頭にはリボンを付けている。
二人の小指と小指には赤い糸が繋がっている。
「トラ子。この糸が切れたら、さようならだ。でも、トラ子にとって、いいことなんだよ。この糸を切ることがトラ子の目標」
「さよならするだ?」
「そう。この糸がずーっと、ずーっと長くなって、切れたらね」
途端に女の子が不安そうに、泣き出しそうな顔をする。
「ガマ吉いなくなるだ? 一緒がいいだよ」
青年が、優しく微笑む。
「もう少し、先の話。糸が切れるまでは、ずっと一緒。それまでは一緒だ」
トラ子が抱きつく。青年がそんな、女の子の背中をトントンと叩いてやる。
立ち上がり、女の子に手を差し伸べる。その手を小さな女の子の手がぎゅっと掴む。
夕暮れ時、自分の手をしっかり繋ぎ、時折はずみながら歩く女の子を、青年は愛おしそうに眺めながめながら歩く。
ーーーー
明治時代に似た世界。
オカッパ頭にリボンを付けた13才のトラ子。膝丈程の着物で、下駄を履いている。
まだ幼い細い手で井戸から水を汲む。
その姿は少し、痛々しい。
水くみの仕事は大人でも重労働だ。
「よっこいしょ」
トラ子は首に、ガマ口の財布を下げている。
「トラ子、水汲みは今日頼まれてないだろ?」
ガマ口の財布が生き物のように、トラ子に話しかける。虚ろな目に、尖った口。少し不気味だ。
ガマ口の財布が話すことをトラ子はなんでもないことのように言葉を返す。
「こうやって、おべっかを使っておけば、後々いいことがあるだよ」
ガマ吉はトラ子の友達だ。妖怪だけど、友達。
身寄りのないトラ子は、いろいろな家を転々としている。
トラ子にとっての世界は、とても厳しいものだ。誰かが守ってくれるわけもなく、助けてくれるなんてこともない。
子供のトラ子にとって、できることといえば、なるべく大人が気にいるような子供を演じること。
おべっかばかり使うトラ子だが、そのおべっかは、あまり上手くない。透けて見えすぎてしまって、少し不気味なのだ。当のトラ子は気付いていない。
何処の家に行っても、長続きはしない。そのせいか、トラ子はいつも、何処か自信がない。
でもガマ吉がいるから、寂しくはない。
ガマ吉がいるから、トラ子はいつも明るい。
ガマ吉はいつも、そんなトラ子のことを心配している。
「子供らしくねーな。しかも打算できてるようで、できてねーんだよ。そうやって、最終的にいつも、クタクタになんだろ」
「じゃあ、手伝って欲しいだよ」
ガマ吉と呼ばれたがま口が、財布に戻ってしまう。
都合が悪くなると、ガマ吉がそうなってしまうのは、いつものことなのか、それに対してトラ子は腹を立てることもない。
トラ子は一人で、もくもくと、そのまま水を汲み続ける。
少し大きめの商家にトラ子が水を運び込むと、使用人が、慌てて駆け寄る。
「お嬢! いいんですよ!」
「早く起きたから、やっただけだよ」
トラ子はニタッと、張り付いた笑顔を使用人に向ける。やはり、可愛くはない。気味が悪い。
しかし、使用人は、心配した顔をし、トラ子のことを気遣う。
「本当にお嬢は、優しいんですから」
ガマ吉がまた、小さな声で話す。
「お嬢様にも関わらず、水汲みしちゃう私ってか。目が笑ってないぞ」
笑顔のまま、トラ子が返す。
「うるさいだよ」
使用人が笑顔で、トラ子に申し訳なさそうにしながらも、頼みごとをする。
「じゃあ……、お嬢。離れの水くみも頼んででいいですか」
使用人がトラ子を気遣ったのは、トラ子を使える子供と思ったからなのかもしれない。
ここのところ、トラ子の仕事は増える一方だ。
トラ子は変に賢いところがあるので、そういう大人の裏の顔も良く分かっている。
でも、トラ子は、こう言葉を返してしまうのだ。
「……離れも!?……、大丈夫! オラがやるだよ!」
また、張り付いた笑顔をトラ子が向ける。
また、ひたすらに井戸の水くみをするトラ子。
トラ子の首にかかっているガマ口が、上目遣いでトラ子を見る。
「おい、トラ子。嫌な時は嫌ってちゃんと言えよ」
トラ子は、大きなため息を付く。
「言えたら、苦労しないだよ。言えないような人間だから、言わないだよ。これが自衛の手段」
ガマ吉があきれる。
「なんか、妙に悟ったところあるんだよな」
井戸の水を組んで、離れの家に行くと、トラ子の養父母の声が耳に入る。
中年の養父母は、品のある佇まい、振る舞いが魅力的だ。裕福な商家であり、この辺りじゃ有名な美男美女の夫婦。
しかし、この夫妻には、子供がおらず、何故かトラ子をぜひにという声がかかったのだ。
養母がトラ子に手を差し伸べてくれた時、トラ子は天にも上る気持ちだった。
優しそうな養母が抱きしめてくれたときは、やっと居場所が見つかったと思ったものだ。
だから、辛い仕事もへっちゃらだ。養父母のためになると思えば、嬉しいとさえ思える。
しかし、ガマ吉だけは、いつも養父母を警戒していた。
何故?と聞いても、「なんかだよ!」と、ガマ吉自身も説明がつかないようで、トラ子は納得がいかない。
しかし、トラ子はガマ吉が大好きだ。養父母を信じたいが、トラ子も少し警戒するようにしてきた。
なによりも勘がいいトラ子自身も、「何か」を感じていた。
世の中に子供なんか、いくらでもいる、何故トラ子なのか。
しかし、そうはいっても養父母を信じたい。トラ子は元気よく、養父母に挨拶をしようとする。
が、深刻な様子なので途中で留まる。
そして、声が耳に入ってくる。
本来ならば、今の時間トラ子は離れではなく、母屋で朝食の支度をしている時間だ。
養父母はトラ子が聞いているとは思いもよらない。
「あんた、とうとうダメかい」
「ああ……、借金で首がまわらねえ」
「じゃあ、トラ子を」
「明日、仲介人がやってくる。可哀相だが」
「どれくらいで、売れるかね……」
「お、お前。そんな言い方は」
「何を今更。今までだって、養女にする風を装って、やってきたじゃないか……」
「最初からって、つもりじゃ……」
「どうだかね……」
話を聞いていたトラ子か呟く。
「ああ……。そういうオチか……。とんだところに、きちまっただよ。ようやっと裕福な家庭に、転がりこんだと思ったら……」
養母が付け加える。
「それに…、特にあの子は働き者なんだけど、ブツブツと独り言を……。気味が悪いんだよ」
トラ子が首に下がっているガマ吉を見る。
「ガマ吉のせいじゃね?」
ガマ吉が目をキョロッとさせて、寂しそうな顔をトラ子に向ける。
「俺がいない方が良かったか?」
トラ子が真顔になってふくれっ面をする。
「何いってるだ。いた方がいいにきまってるだよ!」
「やめろやい」
トラ子とガマ吉は二人で顔を赤くする。
井戸の水くみは誰もやりたがらない。だから比較的に人がより付くことは少ない。
井戸の付近で人の気配がしないことを確認する。
ガマ吉がトラ子の首から、スルリと離れ、しゃがんだトラ子と向き合う。
ガマ吉がピョンピョン跳ねながら、怒っている。
「なあ!? 言っただろ!」
「ゴメンだよ。お陰で深入りはしてないだよ。やっぱりオラに幸運なんてこないだよ……」
トラ子がうなだれてしまう。
そんなトラ子にガマ吉が発破をかける。
「落ち込んでるヒマないぞ! トラ子」
トラ子が頷く。
「とうとう、そっち系の話が来たか。自分でも、そこそこ可愛いんじゃないかと思ってたけど」
「変なところで自惚れるな! 若い女だったらいいんだ。お前が始めてじゃないって話だった。本当に、とんでもない家だったな」
「こんなにも、おべっかを使っているのに……なぜ……。なぜ、どこも長く続かないんだ」
「それが原因だからな?……逃げるか?」
「……逃げるって何処に。おじさんと、おばさんには世話になったし」
「何処がだ。今、お前のこと身売りしようとしてんだぞ。自惚れると思って、さっきもはぐらかした。だが仕方ない。お前はそこそこ可愛い。こういうことを見越して、お前を貰ったんだ」
「やっぱり……、そこそこ可愛いだか」
ガマ吉が頷く。
トラ子は夜、養父母に呼ばれる。話の内容はトラ子には、もう分かっている。
養母が優しい顔でトラ子に話す。その顔は慈悲深く、美しい。
少しみとれそうになったトラ子が頭を激しく横にふる。騙されてはだめだ。
この人を信じたいと思うのは自分の弱さだと、奮い立たせる。
「トラ子や。働き者のトラ子を是非にという話があるんだよ。トラ子を引き取りたいって人が。私達は手放したくはないよ。でもトラ子にとっても、いい話でね」
養父も優しく、付け加える。
「トラ子は、とっても良い子で助かっていたんだけどね。トラ子のためにと思って。寂しくなるな」
品のある美しい顔立ちの養父の目からは、涙さえ滲んでいる。
トラ子が話を聞いてしまっていたことも知らずに、完璧なまでの演技をする養父母。
真実を知っているのに、トラ子はそれに騙されたくなってしまう。
「これが、大人のおべっか」トラ子は、変なところで感心さえしてしまう。
そしてこんな世渡り上手そうな大人が借金をこさえるなんて、商売は大変なんだな……。と考えているうちに、ついクセで愛想よく言葉を返してしまう。
「そ、そう! いいところなんだね! 分かっただよ! オラも寂しいだーなー」
トラ子が、もの凄い棒読みに張り付いた笑顔を返す。
今度はトラ子ばかりでなく、養父母も……。
トラ子とは違った完璧な、偽りのない、偽りの笑顔。
トラ子はゾッとする。
でも、全部がその笑顔じゃなかったのではないかとも、信じたい。
信じない方が、今後の自分の人生にはよいことは分かっているが、トラ子は、そう思う。
トラ子は自室に布団をひく。
「まあ、そもそもが、養女って扱いの部屋ではないだよ……。もっと早く勘付けたする気もするだな。いや、本当は勘付いてたか……」
枕の横でガマ吉がピョンピョン跳ねて怒っている。
「なあ? 逃げるしかないだろう!? あんな時まで、おべっか使って。でも逃げるには騙されておくのが得策だ」
トラ子は何かをためらう。
「どうした? トラ子?」
「でも……、おじさんと、おばさんは、オラが逃げたら大変なことになるだ?」
「何言ってんだ! 見ただろ? お前のこと騙して売ろうとしてんだぞ!」
トラ子が考え込む。そして、布団に潜ってしまう。
「とらあえず、寝るだよ! また明日! ガマ吉!」
「起きろ! トラ子! そうやって、変なストレス耐性付けてんじゃねえ!」
ガマ吉が布団の上をピョンピョン跳ねて、トラ子を起こそうとするが、トラ子から寝息が聞こえてくる。
「まったく……。変なところで、図太い神経してんだよな……」
トラ子は、とてもとても不安だ。不安に決まっている。
でも、怒ってくれたり、心配してくれるガマ吉がいるから、トラ子は深い眠りに付くことができる。
ーーーー
華やかな東京の街。
しかし、密集した長屋には、華やかさも、明るさも、縁遠い。
そんな長屋に、治安維持部隊『邏卒』が集まっている。
その先頭に立つ吉川紅子。若い女性だが、鋭い目付きから、一見女性にはみえない。
紅子が長屋に入ると、鼻をつく異臭がする。思わず腕で口元を覆う。
そこには、息絶えた人が倒れている。
紅子が部下に尋ねる。
「遺体の年齢は?」
「20です」
老人のように干からびた屍。
その屍に、紅子の部下で、まだあどけなさが残る少年、井上静が恐怖しながら呟く。
「20には、とても見えないな」
他の部下が紅子に報告する。
「隣の家のものは、獣に食いちぎられたように死んでいます」
その報告に紅子は確信を得る。
「妖怪に違いない。怨恨を晴らすために、自ら取り憑かれ、そして食われたか」
静は聞き慣れない「妖怪」という言葉に吹き出してしまう。
「妖怪っ!? この文明の時代に!?」
静がケタケタ笑う。静は紅子に睨まれていることに気付いていない。
周りの同僚達が、静を気遣い肩を叩くが、静はみんなも、一緒に笑っているのだと思い、そのまま、笑い続ける。
「妖怪って、またまた、隊長、結構メルヘンなところありますね! やっぱり、なんや、かんや、女の……」
紅子が、思い切り静の頭を叩く。
「イデッ。え! 何で!」
静が、涙目で自分の頭をさする。
静に構うことなく、紅子が神妙な面持ちで、遺体を見下ろす。
「妖怪は人に力を貸すが、その代償に心を食らう。妖怪と接すれば、その人間には危険しかない」
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