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不幸をもたらす力
トラ子は肩の痛みに耐えながら、朦朧とする。
朦朧とする意識の中、声が聞こえる。
「椿…」
つばき? オラのことを呼んでるだ? オラは「つばき」じゃないだよ。トラ子だよ。
「椿……」
ガマ吉の声? ガマ吉もオラのことを、「つばき」って呼ぶだ?
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トラ子が目を覚ますと布団の中だ。
隣では財布姿の、いつものガマ吉が寝ている。
記憶が混乱する。
普通の民家の茶の間のようだが、知らない場所だ。
トラ子はひとまず、ガマ吉の名を呼ぶ。
「ガマ吉……」
ガマ吉が飛び起きる。
「トラ子! 大丈夫か!」
ガマ吉の姿を目にしたことで、トラ子は安心する。
「なんともないだよ!」
ガマ吉が叫ぶ。
「先生! 円まどか先生!」
暖簾をくぐって、円先生と呼ばれた男性が現れる。
「目覚めた? よかった、よかった」
トラ子は何が何だか分からない。
「お兄ちゃん誰だ?」
物腰の柔らかい、袴姿の若い男性。肩に、かかるくらいの髪の毛の上半分を束ねている。男性が腰をおろしトラ子に挨拶をする。
「こんにちは。井上円です」
「28歳なんだってさ、見えないよな」
「……割といってるだな」
「失礼だなあ……。君にしたら、そうかあ」
トラ子の振る舞いにガマ吉が、申し訳なさそうに会釈する。
「ガマ吉、ずいぶん仲良くなってるだよ。ガマ吉がしゃべることは、誰にも話しちゃダメって、あんなにオラに言ってたのに」
「円先生が、助けてくれたんだよ! いや、そもそも先生のせいなところも、あんだけど」
円が腕を組んで考え出す。
「どこから話したもんかな……。私ね、貸本屋を営んでいるのね。この茶の間から見える?」
トラ子は寝かせてもらっている部屋から、首を伸ばして外を覗く。
店と茶の間が繋がっている造りで、店先には本が並ぶ。
商店の路地裏の店のようだ。人通りもチラホラある。
「でね、それだけでは生活が苦しくて。で、妖怪マニアでもあって、そういった珍事を聞く仕事もしてるの」
何だかよく分からない単語が、円の口から急に飛び出してきたが、トラ子は、ひとまず続きを聞く。
「妖怪マニアも、まあまあ、にわか妖怪マニアなんだけど」
トラ子は円に対する不安が、声に出てしまう。
「……このお兄ちゃん、大丈夫だか!?」
「それで、ある日、君の養母である人が相談に来たの。養女にした子がブツブツ独り言ばかり言う。何か妖とかそいうものじゃないかって。で、何せただの妖怪マニアじゃない? にわかじゃない? だから、そうかもしれませんねって、それっぽいことを言って、相談料もらっちゃったわけ」
「……え!?」
「それで……だんだん……心配になってきた……。あんなことを言ってしまったら、その女の子はどうなてしまうんだろうって」
「もうちょっと早く気づいて欲しいだよ!」
そこへ、店先から暖簾をくぐって人が入ってくる。トラ子はその顔に見覚えがある。邏卒で「静」と呼ばれていた人物だ。
「兄ちゃん、何か食べさせてー」
円が静を手招きする。
「あ、ちょうどいいところに。これは私の10歳年下の弟の静。こんな何だか分からない仕事をしていて、家族、親戚中から疎まれる中、未だに良く懐いていてね。本当に静くらいのもの……。で、静が邏卒だから、相談したんだよね」
静が、トラ子と、ガマ吉に気づき、指をさして驚く。
トラ子とガマ吉も警戒し、少し体を浮かす。
「ああああああ!!! いた!!! こんなところに! 兄ちゃん、その二人そこに留めておいて!」
静が駆けだそうとするのを、円が捕まえる。
「待って! 待って! 静!」
「いや、隊長に報告しなくちゃ! これで出世できるかも!」
「待って! 私が、静と、紅ちゃんから、逃がしたの!」
引き止める円を、静が見下ろす。静かにしては、怖い表情だ。
「……兄ちゃん……。説明してもらおうか」
「怖い、怖い……。二人も安心して、静は、なんとかするから」
円は警戒するトラ子とガマ吉の方にも、落ち着くように、留まるようにと手をかざす。
「でね、いろいろ心配になったから、静に相談したわけなんだけど、静に相談するイコール、紅ちゃんが動くってことでしょ? ……で、また、どんどん心配になってきた。紅ちゃん、やりすぎちゃうじゃない?」
「紅ちゃん? やりすぎる? ……あの怖いお姉さんだが? そこまで分かってたら、本当にもっと早く気づいて欲しいだよ!」
トラ子の言葉に、円がもっともだというように、何度も頷く。
「そう、それで、私も現場に行ったわけ。そうしたら、案の定、紅ちゃんが銃まで向けてるじゃない? で、とりあえず、良く分からないけど、こうして匿ったわけ」
トラ子が口を、あんぐりと開けて、円の話を聞いている。こんな大人がいるだろうか。
正直、13歳の自分のほうがもっとしっかりしている。呆れるというか、トラ子は少し心配になってくる。
「……、こんな、良く分からない、しゃべる財布と、子供を? 何も知らず? 匿っただか? このお兄ちゃん、行き当たりばったり!」
円は柔らかい物腰のまま、また、ほんわか話す。
「自分達のことを、そんな風に言ったらだめだよー。それに、ガマ吉くんは、とっても、いい人だったし」
ガマ吉が、円を見上げる。
「円先生もとってもいい人なんだ」
円にニコニコと頷くガマ吉にトラ子はまた驚く。
「警戒心の強いガマ吉が、意気投合しているだよ……。このお兄ちゃん、とんだ人たらしだよ」
円が、かしこまって、トラ子の前に正座する。
「ここからが、本題! 妖怪の珍事を適当に聞き流して、相談料をもらうのも、もういい加減心苦しくなってきていてね。ガマ吉くんが、行くところがないっていうから、よかったら君たちに手伝ってもらえたらなって」
円の言葉にトラ子は、面食らう。確かに、どこにも行くところはない。
しかし、だからこそ足元を見らているのではないか。
トラ子が警戒心を丸出しにする。
「……。そんなもん、やめたら、いいだよ」
「だって、今までのこと嘘でしたって言ったら、ここに住めなくなっちゃうでしょ? ご近所の人の相談もよく聞いていたし」
「そんなに……、適当に相談にのってきただか!」
ガマ吉が仲裁に入る。
「いや、本当に円先生は、いい人なんだ! トラ子!」
「ガマ吉が! すっかりほだされている!」
「ところで、何の先生だか? 今の話で先生要素の職業が見当たらないだよ!」
「先生でもなんでもないらしんだけど、先生って感じするだろ? 周りの人も先生って呼んでるんだそうだ!」
「意味わからなすぎるだよ! でも確かに、既に、ほんわかした雰囲気に、オラもやられそうになっているだよ! 『私』っていってるし、先生な感じするだよ!」
「トラ子、なんか疲れたから、ほだされておこう! 手伝ったら、ただで住まわせてくれるって。行くところないし」
「ガマ吉!?」
果たして円を頼っていいか、トラ子は迷う。そんなトラ子を察したのか、円が提案する。
「ガマ吉くんは、生き物を操れるんでしょ?私があやしいと思ったら、君たちは、すぐに逃げればいいじゃない? そうできるでしょ?」
「……力のことまでガマ吉は話しただか。オラだって昨日知ったのに」
ガマ吉がここまで信頼してしまった人なら、信じてもよいものだろうか。
「行くところはないし、助かるといえば、助かるだよ……」
静が口を挟む。
「兄ちゃん、この前まで、知らないオッサン住まわせてたしな。逃走中の窃盗犯の頭だった人」
この兄弟からは、とんでもない言葉が次々と出てきて、またトラ子は驚く。
「窃盗犯の頭!?」
驚いたトラ子に静が説明を加える。
「そうそう、窃盗グループの頭だったんだよね」
相変わらず円がのんびり話す。
「でも何も取られなかったよ? ていうか、……何も取るものがなかったのか!」
そして円と静が、兄弟で、声を揃えて爆笑している。
トラ子があっけにとられる。
「この兄弟のノリ、ちょっとついていけないだよ」
「まあ、トラ子、とりあえず世話になろう! 俺たちは窃盗犯の頭より役に立つだろうし、安全だろう?」
「そ、そういうことになるだ?」
円がポンと手を叩く。
「じゃあ、決まりだね! 静も来たし、お昼ご飯にしようか!」
「お昼? 今、お昼だか」
「ああ、昨日から眠りっぱなしだったんだ」
「そういえば、お腹すいただよ!」
「でしょ? もう用意してあるから。静、口止め料だからね。紅ちゃんにはナイショだよ」
静が両手を上げて快諾する。
「わーい。分かった!」
「え!? いいだか!? この兄弟、本当にすごいだよ」
静が、ため息をついて、ちゃぶ台に頬杖をつく。
「俺さ、邏卒を長く続けるつもりないんだよねー。兄ちゃんが、こんなんだから両親が俺だけはって、公務員になったんだけど」
「苦労かけるね、静」
「まあ、それだけじゃなくて、公務員は安定してるし、邏卒だったらモテるかなーっていう打算も、もちろん自分でもあったんだけど」
「志し低い!」
「規則とか苦手だし」
「まあ、どう見ても、得意には見えないだな」
「隊長のパワハラすごいし……」
「それも、目の前で見ただな」
静が遠い目をする。
「現実って辛いよね……。何で邏卒になったんだっけ……。休みの日の夕方から、憂鬱でね…」
静が落ち込み出す。
「だ、大丈夫だか?」
パッと静が顔を上げる。
「だから、大丈夫! ちゃんと黙ってるから
!」
トラ子が静と話している間に円が、ちゃぶ台に料理を並べる。
煮物など質素なメニューだが、色どり豊かで、美味しそうな匂いがする。
「さあ、召し上がれ」
トラ子は円の料理を口に、運ぶ。
「頂きます……。お、美味しいだよ……」
その言葉に静が共感する。
「でしょ!? 寮母さんが作るのより美味しいから、よく来ちゃうんだよね」
トラ子が料理を眺めながら、感動する。
「ご飯が温かいだよ! オラ、人にご飯を作って貰ったのなんて、初めてだ。オラが支度するか、残り物か……」
「涙が出てくるね。静、みならって」
トラ子は円の料理に胃袋を掴まれてしまい、現金にも、円に心を開く。
「明日は、オラが作るだよ! 洗い物は、オラがするだよ!」
「……良い子だ。静、みならって」
「えらいよねー。あーお腹いっぱい」
そう言って、食事を終えると静は横になってしまう。
そんな静は放っておいて、円はトラ子を気遣う。
「病み上がりなんだから。大丈夫だよ」
「もう、よく寝てすっかり元気だよ!」
そして、トラ子が気合を入れて食器を洗おうと、立ち上がるのを円がとめる。
「トラ子ちゃん、ちょっと待って。その前に、ちゃんと自己紹介しよう」
円が手招きしてトラ子を呼ぶ。
ちょこんと、トラ子が円の前に正座をして座る。
「私は井上円。こっちは弟の静」
「先生って呼べばいいだ?」
「好きに呼んでくれていいよ」
「分かっただ、円先生! オラはトラ子だ!」
元気に話すトラ子に、円は微笑む。
「トラ子ちゃん、名字は?」
「名字? ないだ! 孤児だから、ないだよ」
円が少し配慮が足りないと思ったのか、申し訳なさそうにする。
「そうか……。でも、一応ちゃんと確認しておきたいんだけど、お父さんと、お母さんは?」
「知らないだ。小さい時の記憶がないだよ」
「記憶がない?」
「うーん。ないだなー。8つより前くらいから?」
円は少し、不思議な顔付をする。
「赤ちゃんの時ではなく、8つ?」
「うーん。そのくらいから、ないだなー」
そう言って、トラ子は食器を持って歩いていく。
トラ子のいない茶の間で、小さな声で円が、ガマ吉に話しかける。
「記憶がない……。ガマ吉くんの力と何か関係があったり?」
ガマ吉が押し黙ってしまう。
「俺の力は、不幸しかもたらさないんだ……。昨日のトラ子も……もちろん、俺のせいだ」
小さい財布のガマ吉が、もっと身をかがめて更に小さくなってしまう。
下を向いたガマ吉を、円がニッコリ笑って覗き込む。
「ガマ吉くんは、トラ子ちゃんのことを大切に思ってる。それが、一番確かで、分かってること」
「先生……。俺の力は……俺は……忌み嫌われている」
「ガマ吉くんは、そんな人には、到底みえないよ」
「……ありがとう。ここに置いてもらえることも……」
ガマ吉が頭を下げる。
頭を下げた財布を、いたわるように円が首を、傾げ見つめる。
そして、ガマ吉を円がからかうように、人差し指で突く。
そんな円に、ガマ吉がまだ少し不安を残しつつも、微笑む。
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