17 対決

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17 対決

               *  夜。仲嶋邸。黎は薄目を開けて訪れた満裡を確認したが、すぐに閉じた。頬が白い。  この邸の二人の冥種が必要とする人血は、支援ネットワークを通じて供給される。善意の〈献血〉だ。保存技術発達の恩恵により不足はない。それでも満裡は、自分の躰から直接与えてやりたい。心臓を通ったばかりの温かい血を。だが、妊娠してからは房江に禁じられていた。  血を与えた後の猛烈な飢餓感が懐かしい。吸血時に分泌される冥素によるものだ。栄養摂取を促して血液供与体を(まも)ろうとする。冥種は共存しようとしたのだ、ヒトと……  ベッド脇の椅子に座り、反り返った長いまつ毛を見つめた。それはヒクヒク動く。ときおり呼吸が苦しげに乱れる。  満裡は毛布の下で黎の手を探りあてた。弱く握り返してくる。しばらくそうしていると息づかいはおちつき、つないだ手から力が抜けた。黎は眠りに落ちた。  咲いた花弁のような唇はまだ性徴が薄く、女の子のようだ。かるく唇を重ねる。すこし倒錯的な気持になる。  寝室を出て階段を下りると応接室の声が途切れた。ドアを開ける。房江とヤブキと仲嶋が揃っている。ヤブキがいるのは珍しい。  房江は満裡のために紅茶を淹れた。   房江が戻るのを待って、仲嶋は満裡に顔を向けた。彼は亜種で、支援ネットワークの連絡員といったポジションにいる。温厚な口元が話し始めた。「黒十字が動いているようです。移動の準備をすべきだと話し合っていました」 「黎さんの状態が良くないから、できれば動きたくないけれど……」房江は渋る。 「早いほうがいい。監視エリアが特定される前に黎さんは東北へ」仲嶋の言い方には危機感がにじんでいる。 「ではプランどおり」房江は満裡に向く。「満裡さんには留学してもらうことになります」 「留学!」満裡は驚いた。 「成績優秀ですから不自然じゃないですよ。ご両親のことも、事後処理は任せてもらって大丈夫。何通りもストーリーは用意してあります」房江は微笑む。 「国内は危険ですか?」 「北米にはサポート拠点が多い。何かあれば南米へ抜けることもできます」仲嶋が応えた。  そのとき、アラームの鋭い音が邸を貫いた。屋外へ拡がらず邸内の隅々まで伝わる特殊音波だ。  こもった破裂音が響く。二階——黎の寝室だ。細片になった窓ガラスが床に散らばる音が続く。 「消音兵器! 黒十字だ」房江が言う。 「遅かった」痛恨の呻きを仲嶋は洩らした。  全員が立ち上がった。  いきなり真昼の光が庭から射した。振り向くと、ライトを背にした屈強な影が横並びしている。  階段を複数の靴音が駆け下りてくる。それはドアむこうに展開した。  囲まれた。  房江が寄って満裡の耳元にささやいた。「マリアの夢が示しています。あなたは(レクス)に関わることになる。逃げきるのよ」 「どうやって? 無理!」 「わたしたちは、こんな状況から、いつも逃げてきた。自分を信じなさい」   やがてドアが開く。黒服の男が二人、警棒を手に入ってくる。  後方で、もう一人、ゆっくり階段を下りて来る音がする。その靴音は応接室に向かい、黒服の背後に姿を見せた。  その男を見て、満裡は茫然と呟いた。「マエダ、さん……?」 「二階の小僧は捕獲した。銀の手錠を掛けてな。病気か? 今にも死にそうじゃないか」マエダが言った。 「黒十字ども!」仲嶋は侵入者に跳びかかった。右の黒服は笑いながら躰をかわし、首筋に警棒を打ち込んだ。電光が(はし)り仲嶋は昏倒した。だが、その背に隠れヤブキが迫っていた。甘く見た黒服は、思いもしない矢のようなパンチへ対応が遅れた。鮮やかなワンツー。続くストレートがテンプルを打ち抜く。黒服は壁際に吹っ飛んだ。  ヤブキは流れるように左の黒服と間を詰める。黒服が電撃棒を払う。沈めた頭を掠めて空を切る。ヤブキの右。黒服は躰をしならせてスウェーバック。拳は届かない。その拳が開き、中から放たれた物がある。握り込んでいたティースプーン。それはコツンと逃げた額に当たった。僅かなダメージもない。それでもトリックには十分だ。一瞬緩んだガードの隙間を抜け、狙いすました左が顎を貫く。黒服の顔が大きく横振れして、先に倒れた仲間の上に落ちた。手にした電撃棒が間に挟まり電光が散る。二人は痙攣して動かなくなった。  ヤブキは後ろの男と向き合った。「よお、久しぶりだな。あのときブチ殺しておけば良かったぜ」  マエダは眉をひそめた。「おまえ……なんでここにいる? そうか、亜種化したか。冥素で洗脳されたな」 「目ェ醒めたんだよ!」ヤブキは突進した。  くぐもった破裂音がした。ヤブキの躰は大きく後方にのけ反って倒れた。マエダの手に消音器付きの拳銃が握られていた。 「生け捕られるなんて甘い考えは持つなよ。貴重な実験動物(モルモット)だが面倒をかければ殺す。生きたまま欲しいのは、二階の小僧とそこのフーゾクだけだ」やさしかった目はガラス玉のように感情がない。 「どうして……」満裡は声を震わせる。 「ホテルで見ていたのに──」房江は歯ぎしりした。「あれが内偵とは……」 「隠れるなら相手にくっつくのさ、ぴったりと。ハダカでな」マエダは下卑た笑いを浮かべた。  満裡は屈辱に躰が熱くなった。奥歯を噛む。  マエダは房江を見つめて首を傾げた。 「リンか? 生きていたのか。巧妙(うま)化粧(メイク)だ。わからなかった」 「……カツラギ? おまえか。イロ男がずいぶん不細工な顔に変えたな。なるほど、それも手か。抜かった。だが、どうして満裡さんをマークできた?」 「それを聞いたところで仲間に伝えることはできんよ。逃げられん。まあ、()り合ってきた仲だ、聞かせてやる。ここ一年ばかりの間に、ラボで画期的な技術が二つ開発された。一つは花嫁(ヌプタ)を特定する技術。花嫁(ヌプタ)特有の血液因子が発見された」  房江の顔が蒼白になった。 「つまり血液で花嫁(ヌプタ)を見つけることができる。おまえたちは花嫁(ヌプタ)を嗅ぎ分けるのだろう? 感じるのか? そこのフーゾクの献血データから花嫁(ヌプタ)の因子を検出した。後はおまえたちが接触するのを待っていた。都合よく妊娠したな。ラボの連中は大喜びだろう。……それと、もう一つの技術だが、それは言えんな」  満裡は庇うように腹を押さえる。血の気が退いていく。マエダが新規客で店に来たのは献血の後だった。そのうえ婦人科での妊娠診断まで知られている。仕掛けられた蜘蛛の糸の上で、わたしは動き廻っていた── 「花嫁(ヌプタ)なんぞというものが増えてきて、各国の首脳は頭を抱えている。放っておけば自然消滅するものを、ヒトの中から花嫁(ヌプタ)みたいな裏切り者が出て、冥種を繁殖させやがる。そいつを——」物のように満裡を指さす。「調べて、変種が出ない研究をするのさ」 「花嫁(ヌプタ)の数は、冥種の数と逆比例して増えている。この意味がわからないか? サルの頭では」房江は威圧するように言う。 「あ?」 「〈自然〉は冥種の消滅を望んでいない」  マエダの顔に怒気が浮く。 「〈自然〉は、共存を──いや、無理か──」虚ろに首を振る。「〈自然〉は、冥種がヒトに取って代わることを望んでいる」 「ほざけ!」 「サルどもに何も渡すものか!」房江の姿にノイズが混じる。  このとき、マエダの唇が気味悪いほどに笑った。  房江の姿がデジタルモザイクと化して消失した。同時にマエダの背後に出現。バックを取った。が、白い光が房江の躰を宙吊りにした。吸血牙(きば)をむき出しにして光の檻の中で痙攣している。 「開発された二つ目の技術がこれだ。空間の狭間に入った異物(ゴミ)を捕獲するトラップ。コードネーム〈ゴルゴダ〉。もったいぶって悪かった。実演しながら解説しようと思ってな。サルはとっくにおまえたちを超えている」マエダは腰を揺らしてダンスを踊った。  左手を挙げて見せる。リモコンのような物が握られている。勝利を手にした男は、余裕を見せつけて饒舌になる。「この端末は自動追尾型の照準機。まだ一本釣りでな。投網に改良する必要がある。ちなみに、本体は近くのトレーラーに積んでいる」  宙吊りの房江を眺めて悲しげに首を振る。「人間さまをバカにした罰だ。おまえをここで処刑しなければならない。いや、罰ではないな。慈悲だ。おれは慈悲深い。連れて帰れば、サディストの医者どもに生体実験されるからな」 「殺しども。誰のおかげで文明が持てたのだ」房江は絞り出すように言う。 「に舞台を譲るものだ」 「やめてッ、マエダさん、お願い!」満裡は叫んだ。 「その名前で呼ぶな」うんざりしたように言うと右手の拳銃を連射した。  宙吊りのまま、房江の躰は何度も弾んだ。満裡は悲鳴を上げた。  スイッチが切られ光の十字架が消失した。重い音と共に房江は床に落ちた。 「……ひどい……」満裡の目に涙が浮く。 「演技なんだよ、全部」マエダはため息をつく。「おまえだって演技だったろう。世の中そんなもんだ。おい、起きろ、いつまで寝てる。女を連行するぞ」倒れている黒服を足先で蹴った。  戦え!──その時、声ではなく、強烈な〈意志〉が頭の芯を貫いた。  ──誰?  本能が胎内を意識した。、なの?  信じられないほどの気迫が胸に充ちる。奮い立つ。自分を超えた〈意志〉がそこにある。歯茎が疼き吸血牙(きば)が生える。  満裡は踏み出した。  倒れ伏した房江がこちらを見ている。〈意志〉は房江にも及ぶのか、満裡を追う目は光を失っていない。そして残った力を結集するように、苦し気に顔を歪めた。  マエダは向かってくる満裡を意外そうに見た。「おい、止めとけ。実験動物(モルモット)を傷物にしたくない」  感じる。躰の内側で〈力〉が発動する。  満裡の姿がひび割れたように歪む。 「ほお、のか」マエダは嬉しそうに言う。ゴルゴダを再度ONにする。  わたしには無理。でも、この胎児()はできる。  姿はモザイクと化した――跳ぶ。  マエダの背後で光の罠が獲物を捕獲した。 「何度やっても同じだ」そちらを向いた。だが、光に捕えられているのは、ぐったりうなだれた房江だ。血を流した唇が、マエダに向かってニヤリと笑った。 「わたしなら、こっちよ」先に跳んだ房江がトラップを引き受けた一瞬後、真逆の位置に満裡は実体化していた。  あわてて振り向くマエダの(くび)に満裡の吸血牙(きば)が食い込む。致死量を超える冥素を叩き込む。眼球が上転しマエダは即死した。 「ネムはよ、マエダさん。人間をね」崩れ落ちる男に言った。  倒れていた黒服二人が起き上がる。ぎこちない動き。電撃の麻痺が残っている。怯えたように満裡を見る。血濡れた吸血牙(きば)を口からのぞかせた鬼女を。  廊下に待機していた男たちが姿を見せた。ガスマスクをつけ銃を構えている。  ここからどうするの?  先ほど導いてくれた〈意志〉は沈黙している。  これ以外の〈力〉はないの?  心の耳を澄ます。  何とか言いなさい!  ガスマスクは(こぶし)大の物を二つ応接室に投げ込んだ。重い音をたてて転がり激しくガスを噴き出す。  もうだめ──  そのとき、急に部屋の明度が下がった。薄闇が垂れ色彩が痩せる。  ガスマスクの男たちは何かを見失ったように顔を巡らせている。ゴルゴダの端末をマエダの手から取り上げようとする者がいる。  ゴルゴダが作動しない僅かな時間を狙ったように、応接室の光景はフェードアウトした。  空間の狭間にいる。満裡は浮遊していた。薄墨を流したような濃淡の層を運ばれてゆく。ゴルゴダの禍々しい光が獲物を追って触手を伸ばす。のたうつ。だが追いつけない。光の罠をぎりぎりで振りきり、跳ぶ。  星空が拡がる。邸の外だ。加速する。闇を背景に、星々が光の線と化した──
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