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私が家に戻ったのは、もう夜も遅くなった頃だった。思ったより会議が長引いてしまった。娘はもう寝てしまって、夫もその横でうたた寝している。
手を洗い、冷蔵庫に入っている夜食をレンチンし、リビングのテレビをつける。二人を起こさないように、ボリューム小さめに。
私が仕事を続けていられるのは、理解ある夫のおかげだ。こんな風に遅くなっても、まだ幼い娘をみていてくれる。自分だって、仕事で疲れているのに。だから、こんな時はなるべく起こさないように気をつけている。
テレビでは、今日のニュースをやっていた。他のチャンネルに変えようかと、リモコンに伸ばした手がふと止まった。
画面に写っていたのは、今話題になっている若手女流作家だった。大きな文学賞を取って、本も何作もベストセラーになり、今度映画化もされるという。
画面の中の彼女は、アナウンサーの質問に堂々と答えている。その姿は、キラキラと輝いて見えた。
彼女の輝きを見ているうちに。
いつの間にか、私の眼から涙がこぼれていた。
──昔から、本が好きだった。
本の中には何でもあった。退屈な日常の中にはない、手に汗握りハラハラする冒険も、ドキドキしてときめく恋愛も、背筋がゾクゾクする恐怖も、しみじみと胸に染み入る感動も。
小中学校の頃は、図書室に入り浸って気になる本を片っ端から借りて読んでいたものだ。
そんな私が、自分も物語を書こうと思ったのは必然かも知れない。高校や大学の頃には、作家になる夢を追っていた。
……しかし。
私には、絶望的に才能がなかった。
どこかで見たような展開をなぞるだけのストーリーしか組めない、結末まで書き上げられない、陳腐な表現しか出来ない。
やっと最後まで書いた作品も、賞に出してみても一次選考すら通らなかった。小説投稿サイトに上げてみても、全くPVが伸びなかった。
やがて私は心が折れ、物語を書くこともなくなり、学校を卒業して今の仕事に就いた。
夢は潰えた。
「あー、帰ってたんだ、おかえり。……って、なんで泣いてるの!?」
起き出して来た夫が、驚いて声を上げる。私はテレビの画面を指差した。夫はすぐに、テレビに写っている彼女に気づいた。
「あれ? これ、君の教え子じゃない?」
「そうだよ」
私は答えた。そう、彼女は、私の自慢の教え子。
夢が潰えた私は、母校の高校の国語教師になり、文芸部の顧問を任された。
そこで出会ったのが彼女だ。彼女は、昔の私のように物語を書くことが好きだったけど、あまり読んでもらえなくてくじけかけていた。
でも。彼女の書く物語は、私の目から見ても素晴らしかった。文章力もストーリーも、かつての私とは段違いだった。
彼女には、筆を折ってもらいたくなかった。これは自分のエゴかも知れない、自分の叶わなかった夢を彼女に投影しているだけかも知れない。そう心の片隅で思いつつも、彼女を応援し続けた。自分の挫折経験を元に、様々なアドバイスもした。
結果。
卒業後、彼女は小説の新人賞を受賞して、華々しくデビューした。瑞々しい感性と繊細な文章が話題となり、一躍人気作家になったのだった。
画面の中で、彼女はインタビューに答えてこう言っていた。
「高校時代の先生には、本当に感謝しています。くじけそうになった時、先生が励ましたりアドバイスをしてくれたから小説を続けられました。先生がいなかったら、今の私はありません」
この言葉を聞いた時。
私の潰えた夢が、彼女と一緒にキラキラとした輝きに包まれて羽ばたいたように感じた。
気づけば、涙が出ていた。これは、夢が潰えた哀しみが理由じゃない。潰えた夢でも、誰かの支えになれることを実感したから流れた涙だ。
あの頃私が夢を追ったことは決して無駄じゃなかったと、素直に思えた。
教室には、色々な生徒がいる。夢を追う者、夢を持たない者、夢に挫折しようとしている者。
でもその全てが無駄ではないのだと、もしも夢が潰えてしまっても、自分や他の誰かの夢の支えになれるのだと、それを教える為に私は今日も教壇に立つ。
願わくば、一人でも多くの生徒が夢をつかめるように。夢をつかめなくても、腐らずにいられるように。
それが私の、新たな夢。
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