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あたしは常にイラついていた。
朝、目を覚ます時と夜ベッドに潜る瞬間以外、ずうっと。
イラつきが絶頂に達したら、決まって口の中の柔っこいところをギューッと噛む。口の中に鉄の味がじんわりと広がって、漏れ出した生暖かい液を絞り出すように「もっともっと・・・」と吸い出すと気持ちが落ち着いた。
クラスメイトのお調子者、千子が後ろの席のあたしの方をわざわざ授業中に振り向いて、「かよってさ、お兄ちゃんと”ふたり暮らし”ってホント?」と興味津々で聞いてきた時も、
先生がその時「佐賀さん」とあたしの方に注意した時も、
紫音がそんなあたしを見て、くすりといたずらっ子のように笑った時も、
片方の口端で笑ったような顔を見せながら、口の中を強く噛んだ。
あたしはよく保健室にいた。でもそれは、あたしが望んだわけじゃなくって、”お兄ちゃんと二人暮らし”であることが原因みたいだった。
「ね、ももちゃんセンセ。あたし別に、”家族が解散になった”こと気にしてないよ。だって、うちの両親、一言も口聞かなくなって長いんだし、そうゆうことになっちゃうだろうって思ってた。それに、お兄ちゃんだっているし・・・」
「佐賀さん、そういうわけにはいかないのよ。まだ、日だって浅いし、ホラ、気づかないところで人は心に傷を負ってるものなのよ」
保健室のももちゃん先生は他の教師とは違って、大人のふりをしない素直でかわいい先生だけど、少し過保護でお節介なところがあって、あたしを”カウンセリング”しようと毎日ここへ呼び出した。
「かよちゃん!帰ろう」
保健室からひょこっと紫音の端正な顔が覗く。
走ってきたのか長い髪が乱れ、前髪が額に張り付いていた。
あたしは降ろしていたランドセルを背中に背負い直して、紫音の元に駆け寄った。
「宮間さん、佐賀さんを宜しくね」
「はい、センセ。いつもかよちゃんを気にかけてくれてありがとうございます。さようなら」
紫音は笑顔でももちゃん先生に頭を下げ、あたしも続いておずおずと頭を下げた。
「かよちゃん、今日また畠中センセに怒られてたね」
廊下を歩きながら、紫音は教室で見せた、いたずらっ子の顔で言った。
「あれは、あのビッチが勝手に話しかけてきただけ。畠中、あいつと寝てんだよきっと」
「あはは。かよちゃんったら・・」
紫音は今度は屈託なく笑った、実に楽しそうに。
あたしは知ってる、紫音はあたしにこんな風に自分の気持ちを代弁してもらうことが大好きなのだ。自分の手は汚さない、いつも全部醜いあたしが彼女の身代わりとなるのだ。
「私、帰りにアイス買いたいな。ゲームしながら食べようよ」
「・・・紫音。今日はにいちゃん、帰らないよ。パパの家に泊まるから」
紫音は、少し黙ったあと、「ううん。かよちゃんと遊びたいから行くの」と言った。
家族が解散してから、紫音は以前にも増してよくうちに遊びにきた。
兄の秋彦に会いに。
兄ちゃんとあたしと紫音は家が近所で幼なじみだった。幼い頃はよく三人で遊んだ。誰よりも近くにいたから、兄ちゃんと紫音がお互い、好き同士になるのは容易にわかっていたことだった。
「ごめんね、かよちゃん。私、アキちゃんと付き合うことになったの」
紫音がそう言った時、あたしは例のごとく口の中を強く、強く噛んだ。
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