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1 神野愛衣は不運続き
-元彼に捨てられ、愛猫と死別し、睡眠障害になった事をきっかけに出逢った二人…神野愛衣と間宮弦がソフレという関係を経て恋仲へとなってから、順調に時は流れていたかのように思えた。これは恋人へと変化してからもお互いの家を行き来していた、交際三ヶ月頃のお話…-
◇◇◇
間宮は先程から落ち着きなく何度も時計を見ていた。普段ならとっくに間宮のマンションに到着している時間を数時間程過ぎても尚、愛衣の姿はない。それどころか電話を掛けても『電源が入っていないか電波の届かない…』とアナウンスが流れ一向に連絡も取れない。愛衣の身を案じてそわそわと室内を歩いたり座ったりを繰り返している間宮の姿は、普段の様子からは信じられない程にピリピリとした空気を纏っていた。
“愛衣ちゃんのアパートへ行けば会えるだろうか…”
今日来られなくなって、ただ連絡出来ないのならそれで良い。一目見て、安全を確認出来れば十分だと、間宮は上着とスマホを持って部屋を出た。
夜道を歩きながら、間宮は今の自分の行動を少し笑った。前妻は非常に勝気でサバサバとしていて、兎角束縛や女性扱いを嫌うタイプだった。間宮は束縛こそしないが、非常に過保護な人間性であったので…よく結婚に踏み切ったと傷の癒えた今なら思う。こんな風に連絡がつかなくて心配だからと行動したら、前妻は間違いなく嫌な顔をしただろう。そして必ず「余計な心配をしないで」と言うのだ。それも前妻なりの間宮への気遣いだったのだろうと考えるが、やはり同じ心配をしても…少し申し訳なさそうな顔をした後でふわっと笑顔を浮かべ「弦さん、有難う御座います」と言ってくれる愛衣にはより慈しみを感じてしまう。
出会い方は少し変わってはいたが…あの日マスターからの呼び出しに応じて本当に良かったと、間宮は常々思っていた。愛衣の事を考えると緩んでしまうらしい頬に少し力を込める。最近会社で指摘されて、部下の女性達の間では間宮さんに女が出来た、と囁かれている。そこには横取りしたい女性の黒い願望も含まれるのだが、おっとりしている間宮がその真意に気付く事は無かった。
もうすぐ愛衣の住むアパートが見えてくるという所で、先程からやたら消防や救急のサイレンが聞こえる事に気付いた。救急車が一台、前方から走って来て大通りへと向かっていく。道の端に寄ってそれを避けつつ、急な不安が間宮の胸を染めて行った。近隣の家からは何事かと顔を出している人々がいる。
“まさか…ただ方向が同じだけだろう?”
間宮は無意識の内に歩みを早め、気が付けば走っていた。愛衣のアパートが視界へと入る。アパートの前には消防車と救急車が配置され、ポンプからは消火剤が撒かれている。二階の角側の部屋が二部屋程、今もまだ赤々と炎で夜を照らしていた。間宮の顔色はサッと蒼くなる。愛衣の部屋は二階だった。野次馬の列を掻き分け、アパートの入り口へと走る。警官に「危険なのでそれ以上近寄らないで!」と止められるが、間宮は構わずその警官の腕を掴むと「神野愛衣…若い女性は、救護されていませんか?!」と叫んだ。
必死な形相の間宮に、警官はどうどうと落ち着かせ…その後少し微笑んだ。
「このアパートの入居者は全員救出されています。後は鎮火を待つのみです。大きな怪我を負った方も居られないようなので、あそこの救急車で問診を受けていると思いますよ」
まだ若いその警官は離れた位置にある救急車に視線を向けた。そこには人の列が出来ている。愛衣の姿は目視出来なかったが、部屋に取り残されていない事にホッと胸を撫で下ろした。若い警官に「有難う御座います」と頭を下げると、にこやかに対応される。それだけ必死な形相だったのだろうと、間宮は恥ずかしさを隠して救急車の列へと急いだ。
車内では若い男性が体調の問診をされていた。外見に火傷はなさそうだったので、煙を吸っていないか等の確認と思われた。後ろに並んでいる人達も、念の為といった具合の様子であった。寝静まる時間ではなかったのが幸いだったのだろう。けれど列の最後尾まで歩いても愛衣がいない。どこへ行ってしまったのかと焦る間宮の耳に、求めていた声が届いた。
「うそ…弦さん…!?」
「…愛衣ちゃん!」
少し離れた所でアパートの消火を見守っていた愛衣は、この場にいるはずのない恋人を見つけて目を丸くしていた。そして徐々に潤んでいく瞳に、間宮は堪らず駆け寄って胸へと抱き寄せた。縋る様に抱きついている愛衣に、少し痛いくらいの力で抱き締める。愛衣の肩は震えていた。
「弦さん…連絡出来なくてごめんなさい…。隣の部屋から出火して、スマホも何も持てずに部屋を飛び出ちゃって…」
少し冷静になった時にはもう警官が到着していて、部屋に戻れなくなっていたと話す愛衣を、またギュッと抱き締めた。
「…いいんだよ、私が勝手に心配して来ただけなんだから…来て本当に良かった…愛衣ちゃんが無事で、本当に…」
「…弦さん、あの、私…」
「愛衣ちゃん、今日はこのまま私のマンションに来て欲しい。いや、今日からずっと」
住居に困った愛衣が頼むより先に、間宮は言葉にしていた。その優しさが嬉しく、愛衣はコクリと首を動かす。その仕草に間宮は愛おしそうに頭を撫でた。
「弦さん…宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
-二人の家を行き来していた半同棲生活は、愛衣の不幸によって正式に同棲へと昇格したのであった-
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