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風呂場で羞恥に悶えた愛衣は、たっぷり一時間は風呂場に籠城していた。しかしこれ以上籠って心配した千夏か間宮が突入して来ても大変なので、諦めて脱衣所で着替えを始める。しっかり着替えが済んで扉を開けようと手を掛けたのと同時に、脱衣所の扉が控えめにノックされた。
「愛衣ちゃん、上がったのかな?」
「弦さん…! 長湯してごめんなさい。今出ますっ」
勢い良く扉を開けると、少し眉根を下げた間宮が申し訳なさそうな顔をして立っていた。頬を少し掻いた後、「意地悪してごめんね」と謝る。愛衣は慌てて間宮の手を取り、首を振った。
「意地悪なんて、そんな」
「…恥ずかしい思い、させちゃっただろう?」
「それは、その…」
「愛衣ちゃんと付き合ってから、知らなかった自分にばかり気付くよ。…自分がこんなに独占欲が強くて、余裕がない人間だなんて思わなかった」
困ったようにちょっと笑って見せた間宮が、愛衣と入れ替わるように脱衣所に入ろうとする前に、愛衣はその腕をぐいと引っ張って屈ませた。少し近くなった耳元に唇を必死に寄せると、「独占欲も、余裕がない弦さんも…私は好きです」それだけ言い切ると、また熱くなった顔を見られないようにリビングへと駆け出した。間宮は暫くの間、呆けたまま立ち竦んでいた。
リビングへと駆け込むと、鏡の前でナイトクリームを塗っている千夏とバチッと視線が合ってしまう。勢い良く飛び込んで来た愛衣に一瞬目を丸くしていた千夏だったが、頬が染まっているのと浴室に間宮が向かった事を思い出しにやにやと口元を歪めた。
「何かされちゃった?」
「え?! い、いいえ、そんなんじゃ…」
「ふぅん…?」
不思議そうな顔をしたまま、千夏は愛衣に手招きをする。そのまま自分の前に座らせると、にこーっと笑顔を浮かべた。
「愛衣ちゃん、化粧品かぶれとかした事ある?」
唐突な千夏の言葉に、愛衣は少し考えた後にゆるゆると首を振った。「なら、これも大丈夫かな」と言って千夏は自分が塗っていたクリームを手に取り、優しく愛衣の顔に塗って伸ばしていく。見た事のない美容液であったが、愛衣の好きなジャスミンの香料が入っているらしく、鼻に届く香りにうっとりとした様子で千夏の好きにさせる。千夏は慣れた様子でクリームを塗りつつ「スペシャルフェイスマッサージ付き」と言って頬骨の辺りを指の腹で優しく撫でるようにくるくると回した。あまりの気持ち良さに気も緩んだ愛衣は、つい「私、弦さんと出会ってからもう半年も経ってるのに…いつまで経っても出会った時の気持ちのままと言うか…ちょっとした事でもドキドキしちゃって。元彼との付き合いが長くて、元彼と弦さん以外の男の人を知らないから…その内ツマラナイ女だって思われるんじゃないかって、怖くなる時があるんです」そう口走っていた。
「そんな心配してたのね」
千夏の言葉が聞こえた所でやっと、自分が内心を吐露していた事に気付いたがもうどうしようもなかった。慌てて取り繕うにも何て言ったら良いのか分からず、「あの…今のは違くて、ですね…」とあわあわと口を震わせるだけであった。千夏は朗らかに笑ったまま、愛衣の口に指を当てると「まずね、愛衣ちゃんが飽きられるなんて心配は無用よ。むしろ弦の方が愛衣ちゃんに捨てられる心配でもしてるんじゃない?」と事も無げに言った。
「え、何で私が弦さんを捨てるんですか?!」
千夏の言葉が意外過ぎた愛衣は驚いて声を上げるが、その反応は余計に千夏を楽しませたようで笑い声は高らかになった。一頻り笑った後、優しく愛衣の頭に手を乗せて緩く撫でると、呟くように言った。
「年を取ると、人間はより臆病になるのよ。特に愛衣ちゃんみたいな年の離れた可愛い恋人を持つとね。いつ、どんな男に手を出されないか気が気じゃないし…愛衣ちゃんが仮に若い男に心変わりしても、引き留める事はしちゃいけないって思うわけ」
「そんな…私こそ、弦さんが会社でモテてるんじゃないかって心配なのに…」
「あらご馳走様。でもあの男自分の事には結構鈍感だから、心配するだけ疲れちゃうわよ?」
千夏はにこっと笑うと、愛衣に「何かあったらいつでも相談して」と連絡先を渡した。そのまま軽く頬にキスをされたが、この瞬間ばかりは間宮が風呂に入っていて良かったと胸を撫で下ろした。
「千夏さん…有難う御座います。私、千夏さんと知り合えて良かったです」
「私も。今度女だけでショッピングでも行きましょ! …弦には内緒で」
子どものように無邪気に言う千夏と笑い合って、「夜更かしは美容に大敵だから!」と慌てて就寝する様子にまた笑って。愛衣は寝室に入ると先にベッドへと入った。先に眠るつもりはなかったが、瞼を閉じて恋人を待つ事にした。
暫くして風呂から出たらしい間宮が寝室の扉を開き、部屋が暗い事に気付いて静かにベッドへと近づいて来た。布団を捲る様子にいつ起きている事を告げようかとタイミングを計っていた愛衣は、後ろから包み込むように抱き込まれて思わず寝たふりを続行してしまった。背中には間宮の大きな身体がぴたりと添えられ、下腹部に回された掌は温めるように湯上りの熱を放っていた。
偏に愛衣の身体を気遣っている様子に胸の奥からジワリと温かくなり、少しだけ涙が出た。やがて背後の間宮から寝息が聞こえ出すと、愛衣は身体をずらして向き合う形にする。そっと寝ている間宮の唇にキスをすると、「いつも有難う、弦さん…ずっと、ずっと一緒に居て下さい」と呟いた。
そのまま間宮の身体に顔を埋めるように愛衣が寝息を立て始めると、明るい満月が寝室を照らした。いつの間にか一人分しか聞こえなくなっている寝息の音と、間宮の赤く染まった耳の色に月夜が笑っているようであった。
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