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事務所に戻った2人はファイルに目を通していた。5年前の案件を改めてまとめていく。これは永島の提案だった。
中村一家の事件が解決できなかったのは準備不足だったという意見が出て、改めて新田夫婦に関してを調べることとなったのである。遠藤は新田夫婦が生まれ育った千葉県富津市へ。永島は中村一家が住んでいたあの家に訪れることとなった。
クラウンを走らせて中野坂上駅の前を通り過ぎる。5年ぶりに訪れる街だったが、不思議と道のりは覚えていた。
住宅街に入って路地を曲がる。通り沿いに車を停めて降りると、その土地の匂いまで懐かしく感じた。
中村一家が住んでいた土地が目の前に広がっている。真っ白な外壁に薄いベージュの2階建は、もうそこにはない。土だけがあった。とっくに解体された家の跡を見て、永島は深いため息を漏らした。
もっと自分に力があれば除霊に失敗することはなかった。五年前からずっと抱き続けた後悔が胸をきつく締める。いくら悔いたところで中村一家が戻ってくるわけでもないし、またやり直せるわけでもなかった。それでも敷居を跨いで土を踏むと、自然と5年前の光景がフラッシュバックしてしまう。そんなネガティブな思いに駆られていたために、永島は背後からかかる声に気が付かなかった。
「どうしたの、こんなところで。」
咄嗟に後ろを振り向くと、そこには犬の毛を思わせるほど柔らかな白髪を蓄えたお婆さんが立っていた。優しそうな表情で中腰のままこちらにやってくる。
「あの、近くにお住いの方ですか。」
「近くも何も、私の家はそこだからねぇ。」
そう言って中村家があった土の向こう側、2階建の一軒家は薄いベージュに染まっている。お婆さんは土をゆっくりと踏んでから続けた。
「ちょっと前ここに住んでいた夫婦、少しやんちゃそうだったけどいい家族だったんだけどねぇ。何であんなことになったのかしらねぇ。」
お婆さんの言葉に頷こうとした時、どこか引っ掛かった言葉だったことに気が付いた。中村一家は真面目で上品な3人家族だったはずだ。
「娘さんもまだ小さかったのに。」
「ちょっと待ってください。以前ここに住んでいたのは家族の名前は中村じゃないんですか。」
中村諒太は間違いなく男である。しかしお婆さんは呆けている様子はなかった。柔らかそうな笑みを浮かべて永島を見る。
「中村さんはその前に住んでらしたねぇ。最後にここ住んでいたのは井口さんよ?」
聞いたことのない名前だった。だからこそ妙に気になって、永島はお婆さんの自宅に上げてもらうことになった。お婆さんの名前は横尾千代美といった。
炬燵に入って湯飲みが出される。それに続くように横尾は新聞を差し出した。3年前のものだった。ばっと広げて目を通す。破ってしまうほどの勢いで新聞を捲り、とある記事に目が留まる。横尾はおっとりとした口調で言った。
「酷かったそうよ。喉がもう、いやぁ、考えたくもないわ。」
井口謙也、井口穂奈美に2歳の井口春香は共通して失血死していたという。合計8リットルの血液が流れたそうだ。警察によれば喉を掻き毟ったようだったらしい。永島は確信していた。これは新田夫婦の呪いである。となると井口夫婦も過去に日翠山を訪れ、そこで性行為をしたということだ。やがて生まれた春香に宿った呪いが、中村家と同じような悲劇を生んだ。つまり5年の時を経て呪いが戻ってきたというわけではなく、永島の知らない間にあの呪いは続いていたということだ。
礼を言って横尾家を後にした。再び中村家があった土に戻り、永島は改めて考えていた。
新田夫婦は中学で出会い、やがて付き合うようになった。しかし2人はいじめを受けていた。そして東京に引っ越してきてからは子づくりに励んだ。いじめを受けないような強い子が出来て欲しいと望んでいたと新田光博の元同僚がそう証言している。しかし不妊症だということが判明した2人は日翠山で性行為をした後に無理心中を図った。
霊が成仏しない理由は、後悔に近いものがある。片思いをしている女性がいながらにして亡くなった場合、その思いが強ければ強いほど霊になる可能性は高い。
だとすると新田夫婦は子どもが出来なかったことへの後悔で霊のまま存在しており、そして家庭を壊しているということだ。
ふとした疑問だった。何故新田夫婦は日翠山を訪れたのだろうか。
日翠山には神隠しの歴史があったという。しかしあの山である必要性はあったのだろうか。もしかするとあの夫婦と日翠山には何らかの関係があるのではないか。様々な疑問が浮かぶ中、永島の足元に妙な感覚があった。
ふと見下ろすと少しだけ土が隆起している。何気なくしゃがみ込んで土を掘り返した。
木の箱だった。手を入れてしまえば肘と手首の間、その深さに木の箱が埋まっている。手に取ってみるとかなり軽く、土を払い退けるとそこには開閉できる鍵穴のようなものがあった。
鍵がどこかにあると考えてそれを探すために立ち上がろうとした時と、永島の手首を複数の手が掴んだ時はほとんど同じだった。
オルゴールを掘り返した穴から6本の蒼白い腕が伸び、まるで永島をここに留めようとするように纏わり付いていく。しかし永島は冷静だった。
6本の腕となると人数は3人だろう。だとすればこの腕は中村一家のものなのだろうか。永島は6つの手が徐々に肘の方へと伸びていく中で考えていた。あくまで感覚的なものだが、この手からは恨みや憎しみなどが感じられないのである。しかしこのままでは自分の体に何かしらの影響を与えてしまうかもしれない。永島はオルゴールを手放し、親指の腹に歯を充てがった。皮を削ぐように血を一滴出し眉間に拇印のように押し付ける。これは永島が独自に編み出した、霊障における幻覚や幻聴を解く手段だった。
目を瞑り呪文を唱える。すると永島の右腕を掴んでいた6つの手が溶けていくように消え去った。
眉間に付着した自分の血を手の甲で拭き取り、オルゴールを手に立ち上がる。ここには何かがある。その直感だけがアンテナのように何かしらの信号を発していた。
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