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中古で購入した鼠色のパブリカを走らせ、遠藤は待ち合わせ場所を目指していた。千葉県富津市は意外にも緑に囲まれており、すぐ近くには富津岬がありながら、世界最大級の火力発電所を有している。 車窓に数隻の船が見え始め、遠藤はハンドルを右に切った。広いコンクリートに低い建物が並ぶ漁港の手前で車を停める。連絡を取り合っていた新田夫婦の同級生だという男性が奥に見えた。 「木本さん、はじめまして。遠藤相談屋の遠藤泰介です。」 日に焼けた恰幅のいい男性が顔を上げる。顎に蓄えた肉が揺れてフィッシングベストからタバコを抜いて言った。 「はじめまして。木本昭洋です。」 船を仕舞うであろう建物の傍に移動し、古びた椅子に腰掛けてから遠藤は事情を説明した。日翠山の公衆トイレで無理心中を図った新田夫婦の怨霊が5年前にとある家族を破壊した。そして5年経った今、その呪いが再燃して別の家庭に悪影響を及ぼしている。普通の相手であれば鼻で笑うような内容だが、木本はタバコを燻らせながら黙り込んでいた。しばらくして煙を漏らしながら口を開く。 「妙に辻褄が合うかもしれない。」 44歳とは思えないほど木本の肌はなめらかだった。薄い紫煙をため息かのように吐いて続ける。 「実はうちの周りにもおかしなことが起こっているんだ。」 「と言いますと?」 「新田と風見をいじめていたのは主に5人だった。」 風見という名前を聞いて少し考える。やがて木本は新田梨花の旧姓が風見だと付け加えてから話し始めた。 「丁度5年前から、2人をいじめていた連中が毎年1人ずつ不審な死を遂げているんだ。」 初めて知る情報に、遠藤は思わずレザージャケットの内ポケットから携帯を抜いた。音声レコーダーを起動して木本の声を録音していく。木本は一度に半分以上の煙を吸い込んでから言った。 「1人目は喉から失血死、2人目は自分の指を食い千切ったことによる失血死。3人目は喉、4人目は指。死因が順番のように続いている。」 「木本さん、5人目の方は今どこにいるか分かりますか。」 再びため息と共に煙が漏れていく。少し神妙そうな表情を浮かべた。 「2年前だったかな。東京の証券会社に勤めていたんだけど、いきなり地元に戻ってきて、人が変わったように今は引きこもっているそうだ。俺もあんたから連絡を貰ってそいつとコンタクトを取ろうと思ったんだが、繋がらずじまいだ。」 そうですか、と言って遠藤は考え込んだ。喉からの失血死は新田光博が喉を掻き毟るという彼の癖で、指を食い千切ったというのは新田梨花が爪を噛むという彼女の癖である。家族だけでなく自分たちをいじめていた連中にすら復讐しているということだ。だとすれば状況はかなり最悪ということである。遠藤はレザージャケットのポケットからタバコを抜いて1本咥えた。 「木本さん、もしその人と連絡が取れるようだったら教えてください。」 「ああ。掛け合ってみるよ。」 礼を言ってパブリカに乗り込んだ。エンジンをかける前に新田夫婦が無理心中を図ったという新聞の切り抜きを手に取る。ライターでタバコの先端に火を点け燻らせた。紫煙に紛れて新田夫婦の顔が歪んでいく。その時に考えていたのは、果たしてこの呪いの連鎖はいつまで続くのかということだった。しかしいくら新田夫婦の気持ちになってみたところで答えなど出るわけもなく、漁港の向こうに見える水平線に陽が沈んでいくのをただ眺めていた。
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