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背の低い街を駆けて目的地を目指す。パブリカの助手席で木本はタバコを燻らせながら言った。 「悪いな、何度掛け合っても家から出ないって言うんだよ。」 そう言いながら木本はフィッシングベストのポケットから一枚の写真を抜いて遠藤の前に掲げた。屋形船だろうか、どこか縦長の茣蓙に並んだテーブルに豪勢な料理が置かれ、大勢の男女が肩を寄せ合ってポーズを取っている。木本の太い指が1人の男性を指した。 「こいつな。佐々木康之。今じゃコンビニのアルバイトだよ。」 黒髪を掻き上げ、ワイシャツのボタンを3つも開けていた。日に焼けた褐色の肌に、顔や腹に少しばかり肉を蓄えている。サングラスから覗く佐々木の目はどこか遊び慣れているように見えた。 「今じゃ見る影もないってさ。ああ、そこ右で。」 写真から目をそらしてハンドルを切る。細い路地に入り込んで少し行ったところに目的地はあった。背の低い焦げ茶色の2階建、錆びの目立つアパートは少し押せば崩れてしまう、そんな危うさがあった。 やたらと音の鳴る階段を上がり、奥へと進む。木本を先頭に辿り着いた扉にはネームプレートすらかかっていなかった。インターホンを押すことなく木本は薄い扉を叩いた。 「佐々木、久しぶり。会ってもらいたい人がいるんだよ。」 少し時間が空き、木本がもう一度彼を呼ぼうとした時だった。汚れた白い扉がゆっくりと開いて1人の男性が顔を覗かせる。遠藤は言葉を失ってしまった。 「ど、どうしたの。」 先ほど写真で見た男性とはまるで異なった見た目だったのだ。髪はほとんどが抜け落ちて瘦せこけ、まるで水分をすべて吸い取られたかのように萎んでいる。そんな印象を受けた。そして佐々木は不思議な服装だった。 「上がるぞ。」 掻き分けるかのように家の中に上がる。上下グレーのスウェットに黒いマフラーを何重にも首に巻いて、佐々木は2人を出迎えてくれた。 暗いワンルームは新聞や雑誌が床を埋め尽くし、そこらに空になったカップラーメンの器が置いてあった。マフラーを取ることもなく佐々木は押し入れに向かう。座布団を2枚引っ張り出し、埃をはらってなるべく物が少ないであろう場所に置く。木本と並んで座り、遠藤は携帯の録音機能を立ち上げてから言った。 「すみません、突然押しかけて。自分はこういうものでして。」 名刺を出そうとすると、佐々木は慌てた様子で中腰のまま立ち上がり、棚の上を漁った。その手にはひしゃげた紙があった。 「ぼ、ぼ。僕はこういう、ものでした。」 呂律が回っていないように聞こえる。彼が差し出した名刺には過去の輝かしい経歴が書かれていた。パイプ証券営業課係長。木本が言った見る影もないという言葉が当てはまるようだった。 「それでは、新田夫婦のことについて話を伺いたいのですが。」 「ど、どうするつもり、なんですか。」 一回りも上の男性が自分に対して敬語を使いながら臆している。不自然な会話だった。遠藤はその発言も気になった。 「どうする、というのは。」 隣に座る木本は太い腕を組んだまま部屋の中を眺めていた。佐々木は言葉を詰まらせながら言う。 「除霊、ですか。」 畳の上で正座をし、膝の上に拳を置いている。その手が微かに震えていた。 「そうなります。今うちの霊媒師も除霊するために新田夫婦の情報を探しているんです。何かありませんか。」 佐々木は黙り込んだ。まるで彼の心に鍵をかけたようだった。時間をかけてゆっくりと口を開く。 「あまり覚えていませんが、2人は、とても静かでした。特に風見さんはいつも何を考えているのか分からない感じで、確か変な噂が立ったんです。その噂が何なのかもう忘れましたけど。でも、僕たちからすれば、いい暇つぶし、だった、と言いますか。」 マフラーの端をぎゅっと握る。その手も未だに震えたままだ。 「瀬戸直輝が最初の犠牲者でした。5年前、突然亡くなったんです。喉を異常に掻き毟ったことによる失血死だと、遺族の方が仰っていました。その時はまだあの2人の仕業だとは思いもしませんでした。問題は、次の犠牲者。林晶一です。彼が亡くなる2日前に、メールが届いたんです。」 そう言うと佐々木はおぼつかない手付きでポケットに手を忍ばせた。ごそごそと探って黒い石のようなスマートフォンを取り出す。画面に指を滑らせてから反転させた。そこには林から送られた文章が映しだされていた。 「新田と風見に殺される、復讐される。ですか。」 文章を読み上げると、まるで秘密を知られた子どものように携帯の画面を隠した。佐々木は言葉を震わせて言った。 「林が亡くなってすぐです。僕は毎晩金縛りにあって、う、唸るような声が、聞こえたんです。ろうめよ、ろうめよって。」 妙に聞き覚えのある言葉だった。 「そ、それからです。僕がこんな風に、なったのは。仕事も何も手につかなくなって、それで、逃げるように、ここに。」 可能性を潰すためだった。遠藤は自身の携帯を取り出して一枚の画像を表示させた。それは山の中に聳える古びた公衆トイレだった。 「佐々木さん。日翠山という山のトイレに行ったことはありますか。」 表示された画像を細い目で見ると、佐々木は一度だけ頷いた。 「4年ほど前、行きました。」 「誰と行ったんですか。」 そう言うと佐々木は再び言葉に詰まった。しばらく待つとバツが悪そうに下を向いてから言った。 「その当時、お付き合いしていた、女性とです。」 「その方は今どこに。」 「い、いや。それは分かりません。会社の同僚でしたが、僕が辞めた後に彼女も仕事を辞めて。そ、それに、彼女には、旦那さんがいますから。」 不倫していた、ということだろう。せめて女性の名前だけでも聞こうとした時、佐々木はより一層言葉を震わせた。 「こ、怖いんです。1人目が喉から、2人目が指を食い千切った、3人目は喉からで、4人目は指を…ということは次、ぼ、僕は、喉からっていう、ことですよね。そう思うと夜も眠れない。僕はし、死にたくない…。」 弱々しい男。それが今佐々木に抱く印象だった。彼がいじめを行っていたという事実は避けられないことではあるが、この問題を解決するために佐々木は必要不可欠な存在だろう。 「佐々木さん、うちの事務所に来ませんか。霊を防ぐ術は整っています。部屋も余っていますし、怪奇現象に魘されることもありません。この件が解決するまでで構いませんから。」 「本当に、大丈夫なんですか。」 念を押すように佐々木は言う。言葉の震えがより増したように思えた。 「4人が亡くなった日は、同じなんです。」 「と言いますと?」 「新田夫婦の結婚記念日。2月14日。皆その日の夜に死んでいます。」 携帯を立ち上げてカレンダーを確認する。今日は2月1日、後13日だ。呪いが蠢き始めていじめっ子に復讐するまでの期間としてはあまりに短い。 未だに冬の寒さを感じさせる冷たい風が吹き、窓ががたがたと音を立てた。軋む家の中で3人は新田夫婦の事を考えていた。
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