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時刻は夜の10時を回り、遠藤は少し前に依頼されたクライアントに電話をかけていた。数回のコールがした後に老人の声が返ってくる。
「あら、遠藤さん。こんにちは。」
「磯辺さん。少しいいですか。」
磯辺写真館の主人は朗らかな声で答えた。
「新田光博、風見梨花という2人組のお客さんが来店されたかどうか、調べてもらえませんか。」
「いいよ、この間、ネックレスを見つけてくれたお礼だもんねぇ。」
気前のいい主人との電話を切り、遠藤は再び書類に視線を落とした。葛城慶がまとめた3年間の心霊現象。これら全てに目を通すのは至難の技である。ノートを捲ってはパソコンに文字を打ち込んでいく永島は言う。
「やっぱりさ、おかしいと思わないか。」
「何が。」
タバコの煙で永島の表情が読めない。おそらく何か疑問を抱いているようにも見える。
「確かに日翠山には恋人、夫婦を引き寄せる怨念があるかもしれない。でも新田夫婦も、中村夫婦も、そして由紀子と佐々木も。何故皆あの山に訪れているんだ。観光スポットでもないのに。」
言われてみればそうだった。あの呪いを受け継ぐ家族は皆日翠山の公衆トイレから始まっていく。偶然の一致とは考え難い。
「前に調べた時、日翠山には安土桃山時代から神隠しが相次いでいたっていう史実が見つかっただろ。でも神隠しって元々霊力が強い場所で起こりやすいんだ。ということはそれ以前からあの山には霊の力が蔓延していた。」
「ということは、神隠しに至るまでに何かあったってことか。」
永島は一度だけ頷くと、ノートパソコンを手に立ち上がった。遠藤の前には画面いっぱいに映し出された地図だった。どこか黄ばんでいる。
「安土桃山時代以前、日翠山周辺の地図だ。室町、鎌倉と続いて何もないけど、平安時代にはこれ。」
永島が指差した先、日翠山であろうと思われる山があった。やがて指先が左に移動する。
「ここ、日翠山の麓には村があった。どういうわけか平安時代だけだ。」
新橋村と読めた。
「それ以外に日翠山周辺に村があったという記録はない。だとするとこの新橋村で何かあったと考えるのが妥当だよな。」
紫煙を吐いて画面にぶつける。灰皿にグレーの粉をまぶしてため息をついた。もし日翠山にとてつもない問題があるのであればかなり調査は難航するだろう。
突然遠藤の携帯が振動を始めた。テーブルの隅で画面いっぱいに数字を並べている。身に覚えのない電話番号だった。
「はいもしもし、遠藤です。」
電話の向こうは妙に静かだった。少しして低くか細い声が返ってくる。
「け、慶です。あの、緊急、事態なんです。」
弱々しい声からも切迫した声色が聞き取れた。慶は言葉に詰まりながら続けた。
「母さんが、いなくなっちゃったんです。突然裸足の、ままどこかに、行って。でも僕外、には出れない、から。」
力無い悲痛な叫び声、遠藤は分かった、すぐに行く。とだけ伝えて電話を切った。
「どうした。」
「葛城由紀子が裸足のまま家を出た。これ、やばいよな。」
遠藤の言葉を受けて永島は一度表情を歪ませた後、すぐに外出する準備を始めた。
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