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今後の依頼を整理し、2人はパブリカに乗り込んで磯辺写真館に出向いた。もう街は橙色に染まっている。置物のような太陽がビルの隙間に隠れていた。頭隠して尻隠さず、新田夫婦の尻尾を掴むことができるかもしれない結婚指輪を手に入れるため、2人を乗せた旧車は大通りを駆けていった。 南阿佐ケ谷駅前の通りを抜けて路地に入る。古びた煉瓦色の建物の前に車を停めて降りる。辺りは静けさに包まれていた。 扉を開けようとアンティークな取っ手を握る。しかし鍵がかかっていた。 「磯辺さん、鍵開けておくって言ってたのにな。」 「裏から回るか。」 遠藤は頷いて取っ手を離した。写真館の中が見られないように黒いカーテンがかかって、全てのガラスを遮っているようにも見える。 建物の裏に回って従業員用入口と書かれた扉に辿り着いた。ドアノブが簡単に回って、博物館のような雰囲気が2人を出迎える。その時に香った匂いに気が付いたのは遠藤だった。微かに鼻腔をつく鉄の匂い。これは血だ。 まさかと思い中に入る。置物や写真立て、椅子を掻き分けて写真館の中央に辿り着く。 少し前に依頼を終えて遠藤が休憩していたテーブル、その上に磯辺寿男の遺体があった。 「おい、泰介…。」 後から到着した永島は、目の前に広がる惨状に言葉を詰まらせた。磯辺の喉には深い皺を覆うかのように掻き傷が刻まれており、そこから大量の血液がテーブルを伝って床に落ちている。血溜まりにぽつん、ぽつん、と血が垂れ続けていた。 「一体、どうなっているんだ…。」 遠藤はすぐに携帯を抜いた。慣れた手つきで警察と救急を呼ぶ。 警察が到着するまで、2人はその場に立ち尽くしていた。正面の玄関は閉まり、裏の扉は開いている。それだけ見れば警察は何かの事件に巻き込まれたと判断するだろう。しかし2人はこれが人の手によるものではないと分かっていた。いくら説明したところで理解されない状況が立て続けに起こっている。 5分足らずで杉並警察署の人間がやってきた。刑事に鑑識課の人間、数十人が南阿佐ケ谷の路地をブルーシートで包み込む。人の思い出を刻む場所が一瞬で凄惨な事件現場に様変わりしたのだ。 「すみません、あなたたちが第一発見者ですね?」 くたびれた黒いスーツに緋色のネクタイが揺れる、1人の男性が言った。磯辺写真館から出て砂利だらけの駐車場だった場所で3人は互いの名刺を交換した。杉並警察署生活安全課、牧田智紀。ネクタイを少しだけ緩めて牧田は言った。 「えっと、相談屋というのは?」 「何でも屋みたいなものです。数週間前に磯辺さんからは依頼を受けていまして。亡くなった奥様から贈られたネックレスを探して欲しいと。」 革の手帳に何かを書き込んでいる。 「金銭のトラブルはありましたか?」 「いえ。そういうことは全く。」 そうですか、と言って牧田はペンを走らせている。おそらく彼らからして容疑者の第一候補は自分たちなのだろう。しかし牧田はまるで迷惑そうな表情で後頭部を掻いていた。しばらくの問答が続き、ある程度の事を聞き終えた牧田はジャケットの内ポケットからタバコを抜いた。セブンスターを1本抜いて火を点け、磯辺写真館の外壁をぼんやりと見上げる。柔らかい紫煙を吐いて牧田は呟いた。 「また、喉からの失血死か…。」 その言葉を聞いて遠藤と永島は顔を見合わせた。また、という言葉に引っ掛かる。すぐに遠藤は言った。 「あの。また、というのは?」 「ああ、以前にも似た様な事件があったんですよ。確か5年前だったかな。あるサラリーマンが夜に自宅に帰ってきて、翌朝管理人からの通報で遺体となって見つかったんですけど。不自然な状況だったんでよく覚えています。」 5年前という言葉に確信は持てなかったものの、遠藤はつい気になってしまった。 「あの。新田光博、新田梨花。もしくは中村啓一郎や中村美佐、中村諒太という名前に心当たりはありませんか。」 まるで遠藤の方が警察のような聞き方をしていた。その質問を受けて牧田は考え込んだ後に呟く。 「その被害者の同僚が確か、中村啓一郎でしたね。」 永島と目を見合わせる。話すかどうか迷ったものの、ここまで聞いておいて引き退ると怪しまれる可能性もある。人は何もしていなくとも警察に臆してしまう生き物だ。 「牧田さん、実は今回の件も、その5年前の件も、全て霊の仕業なんです。」 その言葉に眉をひそめた牧田だったが、2人は全てを話した。新田夫婦の呪いが今もなお続いていること。その呪いが関係した人々を不審死に追いやっていること。そして2人はその呪いを終わらせるために動いているということ。意外にも牧田は真剣な面持ちのまま話を聞いていた。 「なので、我々がその呪いを終わらせないといけない。」 組んでいた腕を解き、牧田は唸った。 「本来であれば信じ難い話ですし、真剣に受け取るのはどうかと思いますが。それでも信じるしかないですね。」 彼の言うとおりだった。不可解な事件は全て霊のせいだと片付けるようになれば司法は崩壊するだろう。永島は一歩前に出て言った。 「磯辺さんの手に握られていた指輪、どうか掛け合って我々に渡してくれませんか。あれがこの呪いを終わらせる鍵になるんです。」 渋った表情だった。証拠になるかもしれない物を一般市民に明け渡す、そんなことは許されるはずがない。しかし新田夫婦の指輪となれば話は別である。5年間の呪いがようやく終わるかもしれないのだ。 2人は牧田に頭を下げた。辺りを刑事や鑑識課の人間が歩いていく。しばらくして牧田は煙を共にため息をついた。 「分かりました。しかし今回の件に事件性がないと判断した上でお渡ししますので、少し時間がかかりますが。」 その言葉に頭を上げ、もう一度頭を下げた。異例ではあるだろうがこの結婚指輪を手に入れることができれば新田夫婦を祓う可能性はぐんと高まる。2人はそう考えていた。 それが安易な考えであるとは、まだ気付くことはできなかった。
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