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パブリカを車道の端に停め、遠藤は車から降りて杉並警察署を見上げた。どの警察署も一見そこらに生えているビルと何ら変わらない。目線を下げた先、正面玄関脇の灰皿を背に牧田は立っていた。 「牧田さん。」 彼は一度だけ振り返り、ジャケットの内ポケットから透明な小袋を抜いた。中には新田夫婦の結婚指輪が入っている。 「磯辺さん、身寄りはいないそうだ。すぐに返却する手続きが踏めたよ。」 礼を言って小袋を受け取った。M&R、光博と梨花。タバコを燻らせながら牧田は続けた。 「俺は見たことも感じたこともないけど、霊って、どうして生まれるんだ。」 牧田の隣に立って、遠藤はレザージャケットからマルボロを抜いた。いつ購入したか分からないジッポで火を点ける。細長い紫煙が鈍色の空に伸びた。今日は夕方から夜にかけて関東地方は大雨の予報だ。 「牧田さん、ご結婚されてますよね。お子さんは?」 タバコを持つ左手、薬指には銀色の指輪が光っていた。 「男の子が1人。来年小学生だ。」 「俺がその子を殺したら、どう思いますか。」 近くで赤いランプが灯った。街をパトロールする警察車両が大通りに出て行く。驚いた様子でこちらを見る牧田を視界の端に入れ、遠藤は言った。 「感情には重さがあります。俺が牧田さんのお子さんを殺したら、あなたは俺に対して憎しみを抱くでしょう。その重さは計り知れない。牧田さんが年を取ろうが、寿命で亡くなろうが、体が火葬場で焼かれようが、感情は軽くなって消えない限り残り続ける。それが霊に成る。そして牧田さんは霊になって探るんです。遠藤泰介に何か自分の物を渡していないか。例えばこのパケ。これを思い出したあなたはこのパケを介して俺を呪うでしょう。感情は、ジェンガに似ているのかもしれない。」 遠藤の目の前には杉並警察署の標語があった。黄色い帯に黒い字、無事故無犯罪。 「ジェンガって、いつか誰かが崩すから面白い。永久に抜いては上に積んでを繰り返したらひどく退屈だ。今俺たちが関わっている呪いは、崩れないジェンガなんです。新田夫婦の負の感情がどす黒いジェンガになって、今も崩れないように積み上げられている。俺たちはそれをぶっ壊さないといけないんだ。」 深く長く、マルボロを吸い込む。先端の火種が長くなってフィルターが熱くなった。 「今夜、ジェンガを崩します。うまいこといくかは分かりませんが。」 タバコを灰皿に投げ入れる。ジュっと音を立てて火は消えた。牧田は煙を吐きながら言う。 「こんな風に、簡単に消えてくれることを願うよ。頑張ってくれ。」 遠藤は微笑みながら頷いてパブリカに戻った。今日は杉並警察署の管轄内でも、白金高輪でも、無事故無犯罪のまま終わっていくのだろう。自分たちが扱うのは呪いという事象に過ぎない。覚悟を揺らがせないように、遠藤はアクセルを踏み込んだ。
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