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日は暮れ、入れ替わるように月が現れた。日本列島を包み込む蒼白い光。遠藤は客間の窓際で、雲の向こうに煌めく白い星を見上げながらタバコを燻らせていた。一度だけ振り返り、新田夫婦の結婚指輪を眺める永島に言う。 「使えるよな、それ。」 「ああ。気配の残り香みたいなものが感じられる。」 永島は上下白の装束に黒い冠を被っていた。大規模な除霊を行う際の正装である。大幣や数珠などを用意する永島は少しして言った。 「準備に取り掛かるぞ。」 何も言うことなく2人は客間を出て1階に降りた。人のいない暗いリビング。2人で行うには大掛かりな除霊の準備は淡々と進んでいった。 リビングの中央に明るい木でできた祭壇、四隅に松明を置いて火を灯す。木の棒を立てて弛む糸に取り付けた白い紙を浮かばせる。遠藤は持ち寄った台車に大きな段ボールを置いて外に出た。中にはペットボトルが20本ほど。全て塩水を含んだものだ。 それを家の周り、まるで犬が電信柱に尿をかけるような形で垂らしていく。葛城家は改めて豪邸だった。余分に持ってきたと思っていたペットボトルを全て使い切ったのだ。 台車を家の中に戻し、永島が持ち寄ったボストンバッグの中からアタッシュケースを取り出す。その中には現金、危険な薬が入っているわけではない。真っ白なワンピースだ。それを持って2階に上がる。奥の客間をノックして開けると、葛城家の4人は思い思いの場所にいた。一方で由紀子は窓に体を預けて爪を齧っている。遠藤はアタッシュケースを開けて言った。 「由紀子さんにこれを着せてください。日本酒で防霊してあるので少し臭いますが、お願いします。」 真っ先に受け取ったのは秀夫だった。大事そうにアタッシュケースを抱える。 「後は何を。」 「椅子に由紀子さんを縛りつけます。もし霊が何か行動を起こしても影響が出ないように。それと、準備が完了したら、秀夫さんはここで美智花ちゃんを見ておいて欲しいんです。ここは既に防霊は完了していますが、もし霊障がこの部屋に関与してきた場合に美智花ちゃんを守る人がそばにいてあげないと、彼女に憑く可能性もあるので。」 憑かれた妻を除霊する場所に父がいない。両者にとって苦しい相談かもしれないが、仕方ないことなのだ。秀夫もそれを理解したのか、苦しそうに頷いた。 「分かりました。由紀子を、お願いします。」 「じゃあそれを着せたら、下に降りてきてください。」 そう言って遠藤は客間から身を引いた。廊下に出て階段を下る。微かに見えたリビングの真ん中で、永島は祭壇の前に胡座をかいていた。後ろ姿だけで、彼が瞑想していることが分かる。 「友哉、こっちは準備完了した。あとは由紀子さんが降りてくるだけだ。」 返答は無い。伝えるだけでいいのだ。遠藤は外に出て黒い門に背を預けた。マルボロを咥えて火をつける。煙を吐き出しながら月を見上げた。自然と5年前がフラッシュバックする。もう失敗は許されない。あの時の災厄は繰り返してはいけないのだ。 永島も、遠藤も、5年間あの日のことを悔いていた。何度夢に見ただろうか。険しい表情で諒太を抱え、逃げ出す啓一郎と美佐。遠藤は食い止めようとしたが啓一郎に殴られてしまった。その後悔を今夜払拭する。 携帯灰皿にタバコを捨て、家の中に戻る。玄関脇の階段を下って3人が降りてきた。秀夫と慶に支えられて由紀子は虚ろな表情を浮かべている。リビングまで誘導すると、永島が立ち上がって言った。 「椅子に座らせて、しめ縄で拘束します。」 淡々とそう伝え、父親と長男が霊に憑かれた母親を椅子に座らせた。遠藤は慣れた手つきで椅子の脚、肘掛に手足を縛り付けた。少々きつくしても由紀子は痛がる素振りを見せない。その反応がどこか悲しく思えた。 「始めよう。」 永島の凜とした声がリビングに響く。気付けば遠藤は手に汗をかいていた。それを古びたジーンズで拭うも、何故か乾くことはなかった。
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