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「それで、ずずーって這う音がするんだ。」 畦道を歩きながら永島は呟いた。眉にかかる髪をしきりに気にしている。何故かこの歳の高校生は学校が終わるとすぐにシャツを学生ズボンから出したがる。せめてもの抵抗なのかもしれない。遠藤は吸い始めたばかりのセブンスターを咥えながら答えた。 「洞穴だけじゃないらしいぜ。そこに行った奴の家でも同じ音がするんだとよ。」 町の理髪店で染めたばかりの金髪を指先に絡め、遠藤は煙を吐いた。まだ吸い慣れていないために少し咳き込んでしまう。 「泰介さ、この後バイトなんじゃないの。一人暮らしなんだから金稼がないと。」 「うるさいな。あそこの店長マジでうざいんだよ。今日はバックれる。」 遠藤の両親は中学生の時に二人とも事故で亡くなっていた。親戚からの仕送りとバイト代で、駅前のアパートに一人で暮らしている。 いつもの帰り道から逸れて、2人は問題の洞穴に向かった。遠藤の友人の弟がそこにふざけて訪れた際に心霊現象に遭遇、そして毎晩のようにうなされることとなってしまった。何とかして助けてやってはくれないか。その相談事が持ち込まれたのはつい先週のことだった。 舗装されていない山道に入り、草木を踏みしめていく。日が暮れ始めて徐々に辺りは暗くなっていた。その友人から聞いたルートを頼りに洞穴を目指す。 「これだな。」 何本目か分からないタバコを落ち葉の上に捨て、靴で火種を消す。2人の目の前に楕円形の洞穴があった。苔に覆われた岩が何者かの手によって強引に引き裂かれたような穴は、その奥に暗闇を宿している。 「なんか、女のあれみたいだな。」 「はいはい。そういうのいいから。祓えばいいんでしょ。」 特に生産性のない話題を無視して、永島はおもむろに洞穴に足を踏み入れた。 「俺ここで待っていればいいんだろ?」 セブンスターのソフトパッケージはひしゃげており、最後の1本を抜いて火をつけた。どうやら永島は誰かに見られながらだと除霊が出来ないらしい。彼には彼なりの流儀のようなものがあるのだろう。暗い洞穴から彼の声がした。 「うん、そこで待機してて。すぐに終わるから。」 はーい、と間延びした返事を洞穴に投げ入れる。その時は彼の言う通りすぐに終わるものだと思っていた遠藤は、岩に腰掛けて暮れゆく空を眺めていた。夕暮れを眺めながら一服、どこか大人だと感じながら。 呻き声が聞こえてきたのは少ししてからだった。思わず立ち上がって洞穴に目をやる。その呻き声は女性の声だった。何か痛みに耐えて苦しんでいる、そんな風にも聞こえる。あえて声をかけることなく耳をすませていると、今度は妙な音がした。 ずずっ、ずずっ、ずずっ、ずずっ 這う音だった。すぐに遠藤は頭の中でイメージを描く。何か傷を負った女性が呻きながら体を引き摺っている。そんな印象だった。 興味本位で洞穴を覗こうとした時、奥の闇から人影が見えた。それは左のこめかみから血を流し、慌てた様子で戻ってくる永島友哉だった。彼の髪は脂汗のようなものでべったりと額に張り付いている。両手で血を塞き止めながら永島は息を荒くしていた。 「おい、どうした。大丈夫か。」 丸まった彼の背中を摩る。ひどく熱かった。血は頬を伝って顎の先に留まり、数滴が砂利の上に落ちていた。 「やばい、これ、これは、ああ…。」 虚ろな表情を浮かべ、人生で初めて除霊に失敗した永島は意識を失った。 彼を抱きかかえて永島神社に戻り、2人は彼の父親にこっぴどく叱られた。そして怒りの矛先が遠藤から息子にシフトした時、彼は言ったのだ。 「家から出て行きなさい。」 永島の父親曰く、江戸時代末期、周辺の村の男たちがとある女性をその洞穴に監禁していたらしい。やがて強姦を繰り返して妊娠した女性は、怒りのあまり男たちを殺害。そして彼らの家族にも復讐しようという考えから自分の髪を全て引き抜いて家に送りつけ、生霊を飛ばしていたそうだ。やがて女性は子どもと共に自殺。それ以降村では彼女の呪いが伝染していったという。そのあまりに膨大な呪いを封じ込めたのが、永島の高祖父だった。そして彼の父親は言った。 「穢れたお前をこの神社に置いておくことはできない。無知な半端者がいたずらに禁忌に触れるなど言語道断である。」 初めて除霊が失敗に終わり、そして永島友哉は勘当された。 その洞穴の呪いを永島の父親が祓ったという噂を聞いたのは、2人が遠藤の住むアパートで同居を始めてから1週間後のことだった。しかし確認しに行くこともできず、やがて2人は高校を卒業後、上京したのだった。
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