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「この先です。」 建物が目立たなくなり、人気のない一本道をパブリカは駆けて行った。後部座席に座る松尾の道案内で風見一家に近付いていく。やがて車はベージュの道端に停まった。 「ここか。」 車から降りて3人は古びた平屋を見た。トタン屋根の赤茶色の平屋は確かに人を寄せ付けないような雰囲気がある。見る人によればレトロな趣だと言うだろう。しかし3人には恐ろしいものが眠る巣窟のように思えた。 「それじゃ2人共、これを。」 そう言って遠藤は木本と松尾に数珠を渡した。 「何だこれ。」 「なるべく霊障を防ぐ道具です。これをつけてください。」 2人が手首に数珠を通したのを見て、遠藤は平屋の玄関に立った。磨りガラスの引き戸。その向こうには黒い画用紙が貼り付けられているかのように暗い。恐る恐る戸を引くと、詰め込まれていたような暑い空気が出迎えた。背後から差す日の光で立ち上る埃が見える。誰かに荒らされたかのような内装は昭和を思い出す雰囲気に満ちていた。 「うわ、埃だらけだな。」 靴を脱ぐことなく家に上がる。ギィ、と木の軋む音がした。 平屋の中は思ったよりも広かった。玄関からあがって真正面に居間があり、その右手には客間、左手にはキッチンがある。三手に別れて家の中を捜索していると、すぐに木本が言った。 「おい、こっち来い。」 短い廊下を抜けて風呂場に辿り着く。水色のタイル張り、狭い浴室の中で木本は浴槽を見下ろしていた。 「どうしたんですか。」 「この風呂、変だぞ。底に取っ手がある。」 彼の広い背中越しに浴槽に目をやった。埃をかぶった白い窪みの底、鈍色の棒が生えていた。 木本と目を合わせて頷く。腕をまくって木本は取っ手を掴んで勢いよく引き上げた。恰幅のいい彼でも苦戦するほど謎の扉は硬いらしい。 キィ、と金属が擦れるような音がして扉が開いた。それを見て3人は驚愕した。風見一家の浴槽にある扉の先には、地下に続く階段があったのだ。コンクリートの段が闇の奥に伸びている。その時に遠藤は直感した。この先に何かがある。 「おい、行くのかよ。」 遠藤は迷うことなく階段に足を踏み入れた。数段降りて後ろに松尾が続き、最後尾を木本が担った。埃にまみれた地下への道を下っていく。短い階段の先にもう一枚扉があった。丸い取っ手を回す。意外にも簡単に扉は開いた。 「何だこれ…。」 最後に地下室へ入った木本は思わず呟いた。四畳半ほどの狭い空間の中央、黄ばんだしめ縄で拘束された黒い塊が置いてある。それは鉄の箱だった。手に持ってみると中に何かが入っている。箱を振って確認しようとした時、どこからともなく低い唸り声がした。 「ひと、すい、ひと、すい、ひと、すい…」 遠藤には聞き覚えがあった。葛城家で除霊をしている最中、甲高い中村諒太の笑い声に紛れるかのように囁いた低い声。遠藤は予想した。この声は風見志郎のものなのではないか。 「何だ、何か聞こえるぞ。」 そう言って木本が遠藤の肩を叩く。松尾は縮こまるかのように遠藤のレザージャケットの裾を掴んでいた。 「ひと、すい、ひと、すい、ひと、すい、ひと、すい、ひと、すい、ひと、すい…」 異質な声が響く中で遠藤の脳みそは急速回転を行っていた。ひと、すい。 「もしかして日翠山…?」 5年前に調べた際、日翠山は過去人吸山と呼ばれていたという史実が見つかった。神隠しが相次ぐ不思議な山。すると低い声の主が言葉を変えた。 「すて、すて、すて、すて…いち、すてしあ、もとめし、のよ、てを、しのべよ…さ、やく、まい、それらす、ての、たまへ…」 途切れながら聞こえる声。書き留めなくとも耳に焼き付いた。 だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ 松尾が短い悲鳴をあげてより縮こまる。壁、天井、床を何かが一斉に叩き始めたのだ。まるで閉じ込められた人間が出してくれと、扉を叩いてせがんでいるようだった。 「ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…」 低い声が聞き慣れた言葉を囁いていく。遠藤は臆することなく覚悟を決めた。この声、叩く音を消すためには何かしらのアクションが必要である。10年以上永島と共に心霊現象を扱っていればすぐに分かった。この状況から抜け出す鍵は、この鉄の箱だ。 遠藤はその場にしゃがみこんで鉄の箱を置いた。きつく締められたしめ縄を箱から引き剥がそうと力を込める。しかし思った以上に拘束は固かった。思わず木本を見上げて言う。 「木本さん、これ剥がしてください。」 「俺がやるのか。」 不安そうな木本だったが、手首に巻いた数珠を摩ってから、覚悟を決めたようにしゃがみこんだ。片手で鉄の箱を抑えて、もう片方の手でしめ縄を握る。発電機を稼働させるかのようにしめ縄を剥がした。長い間この状態だったのだろう、浴槽の扉を開けるよりも木本は力を込めていた。 「何だよこれ…開けよ!」 木本がそう叫んだ瞬間、しめ縄が一気に緩んだ。まるでテレビの電源を落としたかのような音がして縄が解ける。木本は勢い余って尻餅をついた。 「ねぇ、声が止んでる。」 松尾の囁く声でようやく気が付いた。しめ縄を解いた瞬間に低い声、辺りを叩く音がピタリと止んだのだ。 すぐに静けさが訪れる。3人の注目はすぐに鉄の箱に移った。冷静になればこれだけ頑丈に締め付けられた箱の中には何があるのだろうか。音や声はなくとも再び緊張感が襲う。 「開けますよ。」 そう言って遠藤は箱をつかんだ。力を込めて蓋を取り外す。埃が舞って遠藤は咳き込んでしまった。 「え?これ何だ。」 手で埃を払い除けて中を見る。そこには白みがかった灰色の棒が2本あった。大きさで言えば100円ライターほどの小ささ。まるで寄り添うように置かれている。しばらくそれを眺めて、遠藤は思わず口にした。 「これ、小指じゃないですかね。」 その瞬間2人は分かりやすくたじろいだ。2本の棒は厳密に言えば大きさが異なっており、1本はかなり細く、長い。もう1本は短く、少し太かった。よく見れば先端が爪のようにカーブしている。木本は壁に背をつけながら言った。 「じゃあそれ、ミイラってことか…?」 頷くことしかできなかった。誰のかも分からない古びた指、遠藤は永島雄大の言葉を思い出していた。これは持っていった方がいいだろう。遠藤はレザージャケットの内ポケットから茶封筒を取った。中から数枚の呪符を取り出し、ミイラ化した指を包み込んだ。それとあれだけ固かったしめ縄を中に入れて、再び蓋を閉めた。
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