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車で2分ほどのところにある藤井消化器内科クリニックは鈍色の2階建だった。車を停めて中に入る。院内は薄暗かった。
「あら、木本さんじゃないの。」
入ってすぐ左手に受付があった。狭いガラス戸を開けて中年女性が首を伸ばしている。木本は笑って答えた。
「どうもどうも。藤井さん今空いてるかな?」
「空いてるわよ。病院が暇なのはいいことだからねぇ。そこの診察室にいるわ。」
礼を言って靴を脱ぎ、濃い緑色のスリッパに履き替える。間抜けな足音を鳴らして廊下の奥、ベージュのカーテンで仕切られた診察室に入った。
「おお、木本さんじゃないか。どうしたんだね、いよいよ太りすぎかい?」
広い額の上に雪が積もったような白髪を乗せ、面長の男性が言った。80代くらいだろうか。皺の深い顔だがどこか笑顔は柔らかい。キィ、と回転式の椅子を回す。
「違いますよ。俺まだピンピンしてるんで。今日はちょっと聞きたいことがあってね、藤井さん。風見貴子って人知ってますよね。」
「風見、風見ね…。」
そう呟きながら藤井は目の前にあるテーブルに置かれたデスクトップパソコンに向かった。この薄い機械の中に患者の情報が詰まっているのだろう。マウスを何度か行き来させている。木本は太い手を合わせて言った。
「もし特徴とか、ここが変だったとか、そういうのがあれば教えて欲しいんだけど。お礼に今度活きのいい鯵差し入れするから。」
「おお、鯵ね。締めかな。いや、フライもいいなぁ。でもこの歳になると油がねぇ。」
そうぼやきながらクリックを繰り返していく。少しして藤井の指が動きを止めた。
「ああこれだ。えーっと、風見貴子さん。もうだいぶ前に亡くなっているよ。でも変だったなぁ、あの人。」
「どう変だったんですか。」
「どうも何も、治そうとしないんだよ。こっちがいくら薬を出そうが飲もうともしない。いい加減に飲みなさいって叱ったこともあったなぁ。そうしたら付き添いの旦那が言うわけだ、妻は治りますから。狭心症の状況だけ教えてくれればいい、ってね。医者を何だと思っているんだって怒ったよ。ああ、木本さん。やっぱり鯵じゃなくて金目鯛がいいなぁ。煮付けにしてさ。」
すぐに話は逸れたものの、遠藤はメモに記していた。薬を飲まないにも関わらず来院して、病気は治ると医者に言う。風見一家のやる事なす事、全てに於いて意味が分からなかった。
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