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漆器にタバコの灰が舞う。雄大は黒い鉄の箱を眺めて煙を吐いた。障子の白い紙から夕暮れが差し込んで、やけに広い茣蓙を照らしていた。 「それで、おそらくその指は風見夫婦のものだろうと思いまして。」 遠藤がそう言うと、雄大は躊躇うことなくしめ縄を解き、鉄の箱の蓋を開けた。微量の埃と共に呪符の塊が露わになる。咥えタバコのまま雄大は言った。 「いい判断だ。包まない状態で持ってきたら、今頃泰介は死んでいただろうな。これほどの呪力だから。」 呪符を開く。白みがかったグレーの小指を手に取り、しばらく眺めてから鉄の箱に仕舞った。再び蓋をする。その上に手を翳し、雄大は目を瞑った。 「友哉、これ何してるの。」 「透視だよ。物の歴史とか、そういうのを視てる。」 遠藤の視線の先、彼の左目の上に伸びていた古傷が消えていた。過去を祓うことができたのだろう。どこか落ち着いた横顔を見てそう感じた。 少しして雄大は目を開けた。咥えたままのタバコは火種が長くなっている。灰を漆器の中に落として、深いため息をついた。 「お前ら、日翠山が神隠しのあった山だという史実は知っているな。」 2人は頷いた。徐々に障子から差し込む光が長くなっていく。遠藤は思いついたように言った。 「この間改めて調べたら、平安時代にその山の麓に新橋村っていう集落があったことが分かったんです。」 「そうだ。これはどの史実にも残っていない、関係者にしか語り継がれていないことだが、日翠山に霊力が集まっていた理由は、平安時代。日翠山が姥捨山だったからだ。」 聞いたことのある名前だが、口にしたことはなかった。思わず遠藤は聞き返す。 「姥捨山って、老人を山に遺棄するっていう、あの?」 「そうだ。食糧難解消のために口減らしという口実で、年老いて働けなくなった親を山に棄てていく。新橋村に住んでいた人間は現在の日翠山にそうやって、親を棄てていた。かなりの数だったんだろう、そこで死んだ老人たちの霊力が今も眠っている。」 短くなった手巻きタバコを漆器の中に放り投げた。じゅっと音を立てて火が消える。 「それと、お前ら。”ろうめよ”を知っているか。」 ここ1ヶ月、嫌になる程聞いた言葉だった。しかしその正体は分からない。2人が首を横に振ると、雄大は白い装束の袖から木の箱を取り出し、新たな手巻きタバコを抜いて火をつけた。紫煙が茣蓙に染み込んでいく。 「一族とは、約束の御身現なり。この狂った言葉はかつて東京の端にあったという村から伝承されたものだ。おそらく新橋村だろうな。」 そう言って雄大は実の息子を見つめた。 「家族は約束の体現である。姥捨山にはこういう言い伝えがある。とある儀式を行えば”ろうめよ”が訪れて、どんな病も治してくれる。」 もう片方の袖から、雄大は折り畳まれた紙を抜いた。洗濯物を干すかのように広げて漆器の隣に広げる。そこには畝るような文字が記されていた。 「一度捨てられ愛求めし者よ、手差し伸べよ。災厄、病、それら全て飲みたまへ。これが儀式を行う際の呪文だ。風見志郎は超常現象の研究をしていたと言っていたな。だったら”ろうめよ”を呼び寄せる手段を知っていてもおかしくはないな。新橋村の連中は勝手に作り出したんだ。家族が大病に冒された時、山に棄てた自身の親の霊に頼ったんだよ。老いても、山に棄てても、まだ自分たちは家族だ。だから助けてくれ、ってな。つまり都合が悪くなって棄てた老人は今もなお愛を欲しているだろうと勝手に解釈して、老愛欲(ろうめよ)を生み出したんだ。平安時代末期には万葉仮名があったしな。」 「それじゃ、”ろうめよ”は姥捨山に眠る怨霊ってことなのか。」 息子の言葉に、父親は頷いた。 「こんないかれた歴史は書物には残らない。やがて霊力がこもって神隠しが起こるようになり、人吸山と名付けられた。風見貴子は狭心症だったんだよな?”ろうめよ”を呼び寄せる儀式は時間と手間がかかる。それでも風見志郎は”ろうめよ”を呼び寄せたかった。」 深く吸い込み、濃霧を吐き出す。既に知らない情報ばかりで処理が追いつかなかった。雄大もそれを察知したのだろう。彼は座布団の上で座り直してから言った。 「いいか。”ろうめよ”を呼び寄せるにはまず、家の壁に泥を塗る。それは霊を家の中に取り込みやすくするためだ。そして病に冒された者、そいつを愛する家族、2人の小指を切り落として鉄の箱に詰め、しめ縄で縛り上げる。そしてこの紙に書いてある呪文を唱えた後、最後に2人で泥を呑むんだ。こんないかれた儀式で、自分たちの棄てた親が病気を治してくれると本気で思っていたわけだ。」 遠藤はようやく理解することができた。松尾玲子が言っていた、平屋の壁に泥を塗る風見志郎。あれは”ろうめよ”を呼び寄せて風見貴子の狭心症を治すために行った儀式だったのだ。しかし遠藤はふとした疑問を雄大にぶつけた。 「でも、いわば”ろうめよ”って人間のエゴですよね。そこから霊になるなんてありえるんですか。」 「怒りに触れればな。新橋村は膨らみきったその怨霊の呪いによって滅びたんだろう。膨張しすぎた呪いは家庭を壊してもなお勢いは止まらずに、別の家庭に矛先が向く。これをこっちの世界じゃ”呪継”と言うんだ。」 遺伝子よりも濃く、別の家庭へ継がれていく呪い。隣に座る永島はぼんやりと障子から差す明かりを見ながら言った。 「妻の貴子の狭心症を治すために、平安時代から眠る日翠山の怨霊に頼った、ということか。」 「ああ。そしてそれが、怨霊たちの怒りに触れるとは知らずにな。」 「人間と同じですね。」 一息ついて遠藤はそう呟いた。 「勝手に幻想を抱いて、いざ結果が違うと手のひらを返したように怒る。裏切られたって。霊に対しても変わらないんでしょうね。」 「そして皮肉なことに、どちらも家族を愛している。病で失いたくないからおかしな儀式に頼るしかない。そして棄てられた方はまだ家族でいたい。その思いのずれがここまで膨らんだってことだな。」 遠藤は早くに親を亡くしているため、家族という関係性があまり理解できなかった。血が繋がっていて顔は似ていても、同じ人間ではないのだ。家族だから分かってくれるという希望的観測が”ろうめよ”を生んだのだろう。 それはこの2人を見て理解できた。 永島友哉と永島雄大は親子でありながら、ほとんど関わりがない。家族という枠の中に一応は収まっているだけで、全員が仲睦まじいというわけではないのだ。 紫煙を吐いて雄大は続けた。 「しかし、風見夫婦はいいとして、新田夫婦は何故日翠山に行ったんだろうな。」 何気ない疑問、そのように思えた。雄大は大きな袖を捲って言う。 「透視した時に、儀式をしている両親を見ている一幕があった。おそらく”ろうめよ”の存在は知っている。しかし”ろうめよ”が生まれた場所にわざわざ行ったとなると、どういう目的があったんだろうか。」 手巻きタバコを燻らせ、雄大は鼻から煙を抜いていた。 遠藤は同意する言葉を言おうとしたところで、すぐに頭の中のファイルが整理していった。必要な書類だけをピックアップしていくような、そんな感覚に近かった。やがて遠藤は答えを見つけることができた。 「あの2人は不妊症でした。そして松尾玲子の証言によると、新田光博は風見梨花に付き合わされているように見えたと言っていた。これは俺の憶測ですけど、風見梨花は2人の不妊症を治すために儀式を行おうとしたんじゃないんでしょうか。しかし指を切り落とすこと、霊を呼び寄せること、新田光博は躊躇ってしまった。それを受けて風見梨花は直接、日翠山に行けば病が治ると思った。」 遠藤は勝手に考えていた。自分に妻がいたとして、お互い子どもが出来ない体だから、儀式をしましょう。そのためには小指を切りましょう。誰もが否定するはずだ。 なるほど、と唸って雄大は大きく煙を吐いた。 「風見夫婦は家族を愛しているから、家族を救うために”ろうめよ”を呼んだ。だが新田夫婦は家族を愛していたが家族を作ることができず、家族という仕組みを恨んだ。」 家族は約束の体現である。収まらないものを無理に枠の中に詰め込んでも、すぐに溢れてしまう。それでも詰め込もうとした人間のエゴが1200年以上も続いているということだ。 その霊を祓うということは、1200年も続く呪いを断ち切るということである。思わずため息をつきそうになったところで、雄大は漆器の中に短くなったタバコを放り投げて言った。 「じゃあ、すぐに祓うか。」 呆気にとられてしまった。隣に座る永島は思わず聞き返した。 「でも、そんなに続く呪いを祓えるのか。」 「友哉。祓えるかどうかじゃない、祓うんだよ。このままにしておけば葛城一家は崩壊し、やがて別の家族に呪いが継がれていく。これ以上呪継を拡大させてはならない。」 履物から携帯を抜く。青いスマートフォンの画面に指を滑らせて雄大は言った。 「警察とはパイプがある。日翠山周辺を通行止めにして、誰も立ち入ることができないようにしよう。知り合いの霊媒師全てに掛け合って人材や道具を確保する。お前たちが5年前に失敗した時よりも遥かに大きなセットを組んで、”ろうめよ”を鎮めるぞ。」 決して希望でも何でもなかった。確実に祓う、そんな決意が雄大の目に表れている。 障子から差し込む日の光が茣蓙と3人を包んでいた。
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