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黒いハイエースが舗装された道を進んでいく。長い一本道、アクセルを時折緩く踏みながら遠藤は咥えていたタバコを指で挟んだ。ドリンクホルダーに置いた灰皿へタバコを叩くと、後部座席から秀夫が声をかけてきた。 「おい、道が封鎖されているぞ。入っていいのか。」 道の先、パイプで出来た柵に通行止めの看板が立っている。その周辺には警察官が赤く光る棒を手にしていた。 「大丈夫ですよ。うちで手配したものですから。」 ハイエースが近付くと、警察官の1人が赤い棒を振って停車するようなポージングをした。ゆっくりとブレーキを踏んで車窓を下す。何か言いかけたところで警察官は気が付いたようだった。 「あ、遠藤様ですね。通ってください。おい。柵開けろ。」 すぐに通行止めは解除され、遠藤はハイエースを滑り込ませた。後部座席に座る葛城由紀子に負担がかからないように、ゆっくりと走っていく。 永島雄大の手配は迅速だった。 すぐに日翠山周辺を通行止めにするよう警察の上層部に掛け合い、霊媒師を60人手配した。永島神社でそう宣言してからわずか2日である。 助手席に永島友哉の姿はなかった。 山道の端に車を停める。5年ぶりに訪れる日翠山の公衆トイレの周辺は、まるでこれから祭りが開かれるのではないかと勘違いしてしまうほど賑やかだった。2月の末ということもあって人々の服装は様々ではあるが、その多くが既に装束を着ている。 「泰介。こっちだ。」 緩やかな坂を埋め尽くすように停車している大型バス、その影から永島がやってきた。彼も既に装束を着用している。遠藤は一度だけ頷いてハイエースから、眠り続けている由紀子をゆっくりと下ろした。あまりに細い彼女の手首、秀夫曰く葛城家で除霊を行った日から一度も目を覚ましていないという。既に1週間以上が経過していた。 秀夫と慶の手助けもあり、永島に由紀子を引き渡した。美智花は心配そうに由紀子の裾をつかんでいる。永島は複数の霊媒師と共に由紀子の体を支えながら、美智花も一緒になって大型バスの中に入っていった。 「手遅れになるところだったな。」 濃い緑色の狩衣、水縹色の差袴を着た雄大が声をかける。遠藤は慌てて2人に説明をした。 「こちら、友哉の父で、永島雄大さん。」 「どうも、葛城秀夫です。あの。手遅れというのは。」 焦げ茶色の笏を左手に持ち、右手から伸びる煙を燻らせながら雄大は大型バスに目をやった。今頃バスの中で、由紀子は防霊用のワンピースを着せられているのだろう。少しだけ冷える山の中で雄大は言った。 「もし日が伸びていたら、彼女の体の中に眠る霊は活動を再開して、あなた方を殺害していたでしょう。」 そうですか、とため息をつく秀夫の隣で遠藤は5年前を思い出していた。中村啓一郎が自暴自棄になって崖に突っ込んだとは思えない。おそらく中村諒太に憑いた新田夫婦の仕業なのだろう。やりきれない思いは拭えなかった。 関係者全員に挨拶をしに行くと言って、秀夫と慶はセットが組まれている場所へ歩いていった。遠藤は2人の背中越しに見える木造の骨組みを見て言った。 「しかし、大掛かりですね。人数もさることながら。」 「まぁな。何せ平安時代から続く怨霊を祓うんだ。おそらくこれでもまだ足りない、急遽だったからな。何人かは死ぬだろう。」 あまりにも軽く言うものだから、遠藤は思わず雄大を見た。彼は手巻きタバコのフィルターを噛んで言う。 「無論、その覚悟がある者だけを集めている。遺書は書かせた。それは俺も、友哉も。」 遠藤は思わずため息をついた。ここにいる霊媒師たちは皆計り知れない覚悟を持っているのだ。霊を祓うために命も投げ打つ覚悟。雄大は緊張する素振りを一切見せずに続けた。 「出雲に神が集まる神無月、それを神議という。それに倣って、これほどまでに大勢の霊媒師たちを使って霊を祓うことを、神使議と呼んでいるんだ。俺が今まで請け負ってきた神使議の中でも、今回は最大規模だな。」 公衆トイレを覆うように木の骨組みが出来あがっていく。大きな祭壇が建てられ、松明があちこちで火を揺らしていた。5年前に遠藤と永島が2人で組み立てたセットよりも遥かに規模が違う、それは火を見るよりも明らかだった。 「泰介。約束の物は持ってきたか。」 「はい、出しましょうか。」 そう言うと雄大は頷いた。遠藤はハイエースに戻って後部座席に置かれたボストンバッグに手を伸ばした。中には呪符に包まれた2つの物が入っている。新田夫婦の指輪、風見夫婦の小指が入った鉄の箱。それを躊躇うことなく受け取って、雄大はもう一度頷いた。 「霊の思い出を刺激することで、奴らは生前の感情を思い出す。そこで”ろうめよ”に頼ってはいけないんだと分からせてやらないといけない。」 「しかし、それでは”ろうめよ”自体を祓えないのでは。」 「大丈夫だ。間接的に効く。”ろうめよ”は人間のエゴだと分からせるということは、夫婦に反省させるということだ。それを分かったら、”ろうめよ”は鳴りを潜める。そこで一気に畳み掛けて鎮めてやるんだ。」 そう考えるとここに集まった霊媒師たちは喧嘩を仲裁する第三者ということだろう。ただ単純な除霊ではないのだ。 遠藤も彼らと同じように、心の中で覚悟を決めた。
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