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坂を駆け下りて葛城たちの元に戻る。秀夫は少し怒ったような表情で言った。 「遠藤さん、ちゃんと見届けてくれよ。あんたがここにいないと俺たちはどうしたらいいか分からないだろう。」 「すみません。でも、これが必要なんです。」 息を切らして、両手に蓄えた花を翳した。 「きれいなお花ー。」 美智花はすぐに手を伸ばして待雪草を一輪手にした。後の2人にも均等に花の束を分けて渡していく。 「この花の正式な花言葉は、希望、慰め、恋の最初のまなざしだ。これを心の中で唱えてくれないか。」 「キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハいハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハいハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」 「ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…」 由紀子の体を介した中村諒太の笑い声、”ろうめよ”たちの声は未だに止まない。4人は呪文を叫び続ける霊媒師たちの背中を押すように、心の中で花言葉を繰り返した。 何度花言葉を唱えただろうか。言葉はとっくにゲシュタルト崩壊を引き起こして、何を呟いているのかも分からなくなっってしまう。しばらくして、由紀子の体に異変が生じた。 「みんなでしあわせをはなしてみよう、ゆきがおちてはながさくよ。みんなでしあわせをはなしてみよう、ゆきがおちてはながさくよ。みんなでしあわせをはなしてみよう、ゆきがおちてはながさくよ。みんなでしあわせをはなしてみよう、ゆきがおちてはながさくよ。みんなでしあわせをはなしてみよう、ゆきがおちてはながさくよ。」 「パパー、このお歌はー?」 誰も何も答えなかった。しかし遠藤は確信していた。この花言葉は確実に効いている。今一度言葉を噛み締めるように再び唱え始めた。 「生姜焼きか、いい匂いだね。幼稚園から帰ってき妻は外出しておりま、パ、パパ、これ乗りた、い。樋、口さん、だいじょこっちこ、そごめんな。あなた、違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。違うの。」 バグを引き起こしている、そんな印象だった。首を様々な方向に曲げては上を向くを繰り返す。しばらくして奇声が止むと、由紀子はぐったりと項垂れた。 「え、遠藤さん。これは終わったのか。」 秀夫が恐る恐る言った。確かに一切の動きを停止しているところを見ると、ようやく終わったのかと思ってしまう。花を下ろしてため息をつこうとした、その時だった。 「おええええええええええええええええええええええええ」 何かを吐くような声と共に、6本の蒼白い腕が由紀子の口から飛び出してきた。依然として白目を剥いたまま、彼女は腕を吐いている。 「ああっ、ああ!」 数人の霊媒師が同時に、喉から血飛沫を放った。その場に崩れ落ちて悶えている。まだ霊障は終わっていなかったのだ。 しかし遠藤は他に霊の思い出を刺激する手段が思い浮かばなかった。花の束を握りしめたままぼんやりと除霊を眺めるしかできない、そんな時だった。大幣を振って呪文を唱え続けていた永島がこちらを振り返って叫んだ。 「泰介、オルゴールだ!バスの中にある!」 その向こう、雄大もこちらを振り向いて頷いている。遠藤は意味も分からぬまま花を放り投げて大型バスに向かう。 修学旅行で生徒たちを乗せるようなバスの中、永島のボストンバッグはすぐに見つかった。慌てて中を弄る。その中に、木の箱があった。すぐそばには金色の小さな鍵がある。これは由紀子が失踪して中村一家の跡地に佇んでいた時に見つけたものだった。確かに回収して事務所には持ち帰った。 オルゴールの周りに目をやった。少しくすんだ箱の側面、そこに記されている名前を思わず呟いた。 「井口春香…?」 この数ヶ月間、何度も目を通した案件資料を頭の中に展開する。井口春香、それは永島が調べた名前だった。確か中村一家が亡くなった後にあの家に住んでいた。 遠藤は急いで鍵を差し込んだ。右に回すと何かが開錠された音が小さく鳴る。ゆっくりと蓋が開くと、掠れた音色が奏でられた。そのメロディーを、遠藤は知っていた。 バスから飛び出し、遺体となった霊媒師の傍をすり抜ける。新田夫婦の結婚指輪、風見夫婦の指が入った鉄の箱、その隣にオルゴールを設置した。皆で幸せを数えてみよう、種が落ちて、花が咲くよ。小鳥のさえずりよりも小さな音色に合わせて、遠藤は正しい歌詞を心の中で歌った。 葛城たちの元に戻って振り返る。由紀子の口から漏れていた6本の蒼白い腕はいつの間にか消え去っていた。それを雄大も察知したのだろう。彼の声がより一層大きくなると同時に、他の霊媒師たちも声を張り上げた。 「ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…ろうめよ…めよ…うめよ…うめよ…めよ…よ…」 周囲を囲む”ろうめよ”の声が徐々に霊媒師たちの声に負けていく。いつの間にか”ろうめよ”の声が一切聞こえなくなった時、遠藤は確かに見た。由紀子の目に黒が宿ったのだ。 老人たちの姿も消え、雄大は空高く大幣を掲げた。全てを吐き出すかのように声を張り上げ、数回大幣を左右に振るう。やがて霊媒師たちの呪文を唱える声もピタリと止んだ。 雄大はその場で立ち上がり、後ろを振り返った。張り上げることもなく言う。 「除霊は完了した。」 隣で秀夫が安堵のため息をつく中、遠藤は何かから解放されたように力無く座り込んだ。
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