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今年に入って初の心霊案件ということもあってか、永島はどこか緊張していた。クラウンのハンドルを切りながら依頼主の家を目指す。場所は白金高輪の高級住宅街で、依頼金は設定額の倍だった。かなり羽振りのいいクライアントである。それだけに気は抜けなかった。 横に伸びた一軒家が目立ち始める。その中でも一際大きな建物の前にクラウンを停め、エンジンを切った。 豪邸という言葉が非常に似合っていた。白い箱は2階建、シルバーのガレージを囲むように聳える一等地の城。半分程度の大きさの門の前に立って、インターホンを探した。黒い鉄の柵は今にもギィ、と音を立てて自分を出迎えてくれそうだ。 ブザーに近い呼び鈴を鳴らし、少しして女性の声が帰ってきた。はーいと間延びした声で、今開けますと続ける。品のいい声が消えて奥の白い扉が少しだけ開いた。 「遠藤相談屋から参りました。永島友哉です。」 肩までかかる艶やかな黒髪、アーモンドのような目にぷっくりとした唇は桜桃を絞ったように赤い。いかにも気品がいいと言った様子だった。 「初めまして、葛城由紀子です。どうぞ上がってください。」 意外にも黒い門はギィ、とは鳴らなかった。パズルのピースを抜いては当てがうように柵を開けて中に入る。 真っ白な玄関で靴を脱ぎ、葛城家に上がる。その瞬間言い表せない不快感が走った。まるで体の上を駆け抜けるように不安が宿る。その感覚を久しく味わった為に永島は深く息を吸った。 「それで、依頼した内容なんですが。どうもこう…タップ音?ですか?夜になるとどこからともなく音がするんです。」 「ラップ音ですね。この家は建ててどのくらいですか。」 室内だというのに由紀子は黒いワンピースに茶色の毛皮のようなコートを羽織っていた。首を傾げて彼女は言う。 「もう20年になります。リフォームを繰り返しているので、綺麗な状態を維持しています。」 ラップ現象は新築住宅に発生し易い。住宅を建てる際に使われる材木はある程度乾燥させたものだが、中には十分に乾燥しなかった木材が、年を経て徐々に乾いていき、その乾燥した割れによって音が鳴るのだ。しかしこの家はその対象外ということになる。人は不都合なものを心霊現象にしたがる傾向があった。 由紀子が用意したスリッパを履いてリビングに案内される。シックな造りの内装はガラス張りのテーブルやテレビデッキ、透明感のあるリビングはかなり広い。 「このテーブルはイタリアから取り寄せたものなんです。それと、あのシャンデリアは特注なんです。」 溜息が出そうなほど高級感に満ちたリビングに、永島はどこに鞄を置けばよいか分からなかった。肩にかけたまま周りを見渡して、その他の者には見えないモノを視ていく。その感覚はリビングの奥、1枚の扉に続いた。 「あちらの部屋は?」 「子供部屋です。そうだ、ご挨拶しないと。」 慌てた様子で駆けていく。永島は鞄を床に置いて袖を捲った。この家は妙に暖かい。 扉が開かれる。するとその部屋から小さな女の子が飛び出してきた。 「ママー、あのおじちゃんは?」 「こら。そういうことを言うんじゃありません。娘の美智花です。」 白と赤のストライプ、短いワンピースを着た女の子が頭を下げる。永島は深く頭を下げて美智花を見た。 可愛らしい顔立ちは母親譲りなのだろう。主張しすぎない瞳は潤んでいるかのようにぱっちりとしている。しかしその幼い体には妙な空気があった。彼女の全身が湾曲した線で囲まれているような感覚に近い。 軽い挨拶を済ませてソファーに腰掛ける。由紀子は手を摩りながら言った。 「あの、暑いですか。」 低いエアコンの唸る音がした。 「いえ。大丈夫です。」 じっとりと額に汗が滲んでいく。頭部を掻く振りをして汗をぬぐった。 「どうもここ最近、いくら暖房をつけていても寒いんですよね。更年期かしら。」 卑下するようにそう言って、由紀子は微かに笑った。しかし永島は分かっていた。妙に冷えているという感覚は霊障の1つである。ここで起きた現象の詳細を問おうとした時、いつの間にか永島の隣に腰掛けていた美智花が言った。 「ろうめよ、ろうめよー。」 「こら、美智花。やめなさい。」 由紀子が窘めてもなお美智花は、その聞いたことのない言葉を口にしていた。 「ろうめよ。ろうめよ。」 ゆっくりと座り直して美智花の目を見た。潤んだ目が真っ直ぐ永島を差す。少しして永島は得体の知れない危険を察知して視線を逸らした。 「永島さん、どうしました?何か美智花が失礼なことをしてしまいましたか。」 「いいえ、大丈夫です。」 決して大丈夫ではなかった。突如脳内に過った危機。本能に近いものかもしれない。一瞬で胸の奥が騒めいて、それが危険信号だと思い知る。 5年前の感覚に、似ていたのだ。
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