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同じ体勢を続けていたからか、腰が異様に硬く感じた。手の甲で叩いてから背を伸ばす。遠藤は博物館のような木造の壁に手をついて言った。
「磯辺さん、これで終わりっすか。」
分かりやすく老け込んだ老人の顔が壁から覗いて、思わず遠藤は仰け反った。
「終わりですよ、いやぁ、ありがとうねぇ。助かったよ。」
亡くなった妻に贈ったというネックレスを大事そうに抱え、磯辺寿男は深々と頭を下げた。その奥には数多くの写真が立て掛けられている。
「でも、改めて見るとすごいっすね。もうここどれくらいやられているんですか。」
磯辺写真館は骨董屋のような雰囲気を醸し出し、昭和にタイムスリップしたような感覚になった。時間がゆっくりと流れていくような気分に拍車をかけるかのように、磯辺はテーブルにコーヒーを置いて言う。
「もう50年になりますねぇ。色々な方の思い出を撮影することが、私の生き甲斐です。」
黒い灰皿を見つけ、遠藤はマルボロを抜いた。1本咥えて火をつける。差し出されたコーヒーは深い苦味があって非常に旨かった。
「ふぅ、疲れた。」
「ありがとうねぇ。大変だったでしょう。」
「本当っすよ。これとか、同じようなブランド品ばっかりあるんですもん。」
テーブルの端に置いたピンクゴールドの指輪を掲げ、遠藤は言った。よく見るとM&Rという刻印が入っている。
「大切なものが見つかってよかったよ、遠藤さん。これ報酬です。」
礼を言って茶封筒を受け取る。その場で中身を確認することなくレザージャケットの内側に滑り込ませ、長い煙を吐いた。
「この報酬で、今度俺と永島のこと撮ってもらおうかな。」
「あら、ありがたいねぇ。」
中腰のまま磯辺は感謝の言葉をつぶやき、奥に消えていった。遠藤は改めて周りを見渡した後に立ち上がった。無数の額縁が壁や天井の近くに飾られ、大勢の男女が写真に収まっている。仲睦まじい恋人、孫娘を膝の上に乗せる老人、皆共通して笑顔を浮かべていた。
タバコの煙を吐いてゆっくりと歩いていく。ある何気ない写真に目が留まり、遠藤は思わず声を漏らした。それがどんな言葉だったかは、覚えていなかった。平静を装って奥に声をかける。
「磯辺さん。この写真、いつ撮ったんですか。」
はいはい、と言って磯辺は中腰のままやってきた。遠藤が指差す写真をまじまじと見つめ、白い顎鬚を摩る。やがて首を傾げて写真たてを手に取り、裏側を見た。
「うーん、いつだったかなぁ。なんだか変な写真だねぇ。普通覚えていると思うんだけどねぇ。」
そこには4人の男女と1人の小さな男の子がいた。その子を挟むように同世代であろう4人は笑っている。見覚えがあるその5人が同じ写真に収まっているなど、ありえないことだった。その理由はまるで分からなかった。冷や汗が伝って心臓が締め付けられるような感覚に陥る。唾が喉にへばりつくようだった。
その写真に写った新田夫婦と中村一家の仲睦まじい雰囲気だけが、ひどく恐ろしかった。
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