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薄暗い階段を一段飛ばしで駆け上がり、遠藤は勢いよく事務所の扉を開けた。窓の前に置かれたデスクに腰掛けている永島の元に駆け寄って携帯を抜く。 「どうしたの。ネックレス、見つからなかったとか?」 「そんなわけあるか。ちょっとこれ見てくれよ。」 磯辺写真館で撮影した、5人が仲良く笑顔を浮かべている写真立てが液晶画面に映し出される。それを見て永島の目が光ったように見えた。それはメガネの反射だったのかもしれないが、遠藤にはそう思えたのだ。 やがて小さくため息をついた永島は重苦しそうに口を開いた。 「やっぱりか。」 「やっぱりって、どういうことだ。」 机の引き出しを開け、青いファイルを取り出す。分厚い紙を何十枚も捲り続けてからとあるページに辿り着く。 「さっき行ったクライアント。そこの子どもが同じだったんだよ。」 「同じって?」 「中村諒太を見た時と、同じ感覚だった。」 最も聞きたくなかった言葉に遠藤は深くため息をついていた。内ポケットからマルボロを抜いて火をつける。どれだけ深く吸い込んでも落ち着きを取り戻すことはできなかった。咥えタバコのまま冷蔵庫に向かう。白い扉を開けて缶コーヒーを取った。チープな苦味とマルボロの香ばしさが口いっぱいに広がって、それでも大き過ぎる不安が拭えずにいる。煙を吐きながら恐る恐る言った。 「もう5年か。」 灰をガラスの器に叩き落とす。永島は5年前の案件に視線を落としていた。 「日翠山内の公衆トイレにおいて性行為をした後に無理心中した新田夫婦の怨念、だったな。中村諒太に取り憑いて散々なことになった。」 遠藤は5年前の出来事を思い返していた。日翠山のトイレで中村諒太を縛り、大規模な除霊を行った。しかし突然諒太を抱きしめてその場から逃げ出した中村夫婦はハイエースに乗って山を駆け上がり、その数分後に崖から落ちたのだった。ハイエースは原型をとどめておらず、3人は即死。夕方の報道番組においてニュースキャスターが無理心中だと伝えていたことを思い出す。しかしそれが無理心中などではないということを、2人は痛いほど分かっていた。 「帰ってきた、ってことでいいのか。」 「考えたくもないがそういうことだろうな。何故今なのかは全く分からないが。」 5年前、2人は除霊に失敗した。過去の案件内容だけ見ればそう思うことだろう。永島は深いため息をついてから続けた。 「俺の実力不足だったから、俺の責任ではある。ただ何故今になって新田夫婦、そして呪われた中村一家がこちらの世界に干渉してくるのかはまだ分からない。泰介、この案件は難解になるかもしれない。」 決して永島の責任ではないと分かっていたが、それでも慰めの言葉をかけられるほど冷静ではいられなかった。 細い紫煙を吐きながら目を瞑る。5年前の出来事は今も鮮明に夢に見るほどだった。妙に自分に懐いてきた中村諒太、押し花が趣味だという気品の良い中村美佐、我が子を思って除霊の最中駆け出した中村啓一郎。瞼の裏に彼らの必死な表情が焼き付いている。おそらく永島も同じことを考えていたのだろう。ファイルを閉じて思い詰めたように言った。 「おそらくあの時、新田夫婦の霊力が働きかけて中村諒太の声を操ったんだろうな。家族の間だけに芽生える愛情だとか、絆だとか、そういうものを利用したんだよ。家族になれなかった不妊症の2人が幸せな家庭を憎んで崩壊させた。」 まるで5年前の思い出から逃げ出すかのように立ち上がった遠藤は、永島が閉じたファイルを手にとってページを捲った。磯辺写真館から探し物の案件と書かれたページの隣、葛城一家から心霊の案件と表記されている。 「葛城由紀子、葛城秀夫、葛城美智花。また3人家族か。」 「重ねたくはないが、そう思うよな。」 窓から暮れていく橙色の光が差し込み、事務所内に2人の長い影ができた。 「次はいつ行くんだ。」 「明日。お前も来るだろ。」 ため息をつきながら頷いた。いつの間にかフィルターまでも焦がし始めたタバコを灰皿に押し付けて、遠藤は残った缶コーヒーを飲み干した。苦いのか、妙に甘いのかは分からなかった。
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