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[序章]僕らは崩れた世界を歩く。どこに辿り着くかも分からないというのに。
旧世界の遺物が折り重なる下層、薄く湿った通路にその絵はあった。
長い道のりを歩いた僕は完全に疲れていたし注意力も散漫だった。
しかしその絵はどうにも僕の視界に入ってくる。
地上から差込む光もあいまって、やけに気になってしまった。
僕は立ち止まり、ミアに問いかける。
「奇妙な絵だなあ。油絵ってやつだろうか?」
「珍しいオブジェクトだね。記録しておかなきゃ……あっ」
ミアが指先で触れた途端、表面が剥がれ落ち、灰色の下地が露出した。
「迂闊だなあ。記録するなら表面をスキャンするのが先だろ」
と僕が言ってもミアは聞かない。好奇心が優先しているようで、ぺたぺたと壁面をなで回す。
「ねえケイト、油絵みたいだけどでこぼこがない。つるつるだよ」
「剥き出しの油絵がこんなに綺麗に残ってるはずがないしな。壁に直接印刷された模造品かな。それにしてもよく分からない絵だ」
「芸術ってやつだね」
「絵の意味も分からないし、絵がここに置かれている意味も分からない」
ここは鉄道の駅だったところだ。今や見る影もない廃虚になっているが、かつては大量の物資や人が輸送される中継地だったはずだ。
「駅を使う人には目的がある。目的があるからには立ち止まって絵画を見るはずないのに。旧世界の人達は意味が分からないことをするなあ」
「きっとその時は意味があったのかもね」
とミア。
「でももう意味は分からない。意味を見出す人がいないから」
と僕。
時の流れとともに意味は失われ、今残っているのは断片的で物理的な現実だけだ。
形のあるものは壊れるが、形のないものはもっと失われやすい。
「意味って風化しやすいしね」
「だからこそ人は記録するのかもしれない。あれ、この絵にはタイトルがあるのか?」
絵の下に金属のプレートが打ち付けられていた。
旧世界の文字が刻まれているが、やはり経年劣化でほとんど消えかけている。
「ミア、読めるか?」
「どうだろう。復元解析してみるね」
ミアはぺたんと膝をついて、プレートにじっと顔を寄せる。
「むむむ……。むむむんぬぬぬ……」
ミアは頭痛に苦しむ人のような声を出しながら、ミアの中にあるデータベースにアクセスする。プレートに刻まれた文字の形状を照合させながら、僕には理解出来ない記号に「意味」を見いだそうとする。
「『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか』という意味のコトバだね。それがこの絵のタイトル。私のデータベースもヒットしたよ。『人間についての原初の問いかけである』とかなんとかって解説が」
「……そうかな? もしかしたらもっと単純な話かもしれない。駅に置かれたことを考えれば、『我々は前の駅から来て、我々は労働者で、我々は次の駅へ行く』ってことで、そのタイトルにしたんじゃないか」
と僕が冗談めかして言うと、ミアはぷーっと頬を膨らませて怒る。
「ケイトは常識と良識とユーモアセンスがないね。私のデータベースに該当があったんだから、間違いないんだよっ」
「冗談だよ、冗談。思うにこれは――」
ヒビが入った壁に描かれているのはたくさんの人だ。地べたに座る人、踊る人、祈る人、赤ん坊に老いた人……。それぞれが好きな時間を過ごしているようにも見える。
もしくは、敢えて普段どおりの生活をしようとしているようにも、見える。
「――終わる世界を描いた絵画なのかもしれない」
なぜ僕がそう思うのかと言うと、実際に世界は一度終わっているからだ。
少なくともこの絵を描いた人達が生きていた世界は一区切りを迎えた。
「旧世界の人達は、世界が終わる前に答えを出せたのかなあ」
「答えを出せたのなら、僕らにも教えてもらいたいところだ」
それは僕とミアにとっても気になることだった。
僕は最初からこの廃虚世界にいて、旧世界の物語を探す〈採掘士〉だ。ミアはアンドロイドで、旧世界の物語をアーカイブするために存在する。
しかし本当の意味では、どこから来たのかは分からない。
「ミア。〈封鎖世界〉の反応は?」
「あと歩いて半日ってところ。反応はどんどん強くなってるね。地上に出ればGPSも掴めるし、すぐに見つかりそう」
「GPSか。でも旧世界の通信衛星なんて、もう誤差だらけで使い物にならないんじゃ」
「ハカセが直したんだって」
「宇宙に行って?」
「まさか。地上から遠隔操作したんだよ。いろんなジャンク衛星をつなぎ合わせて、とりあえず使えるようにしたんだって。〈封鎖世界〉もあっという間に見つかるね」
「……とは言え僕らの仕事は〈封鎖世界〉を見つけてからが本番だ。ミアも分かってると思うけど」
「分かってるよっ。早く、新しい物語に会いたいな」
ミアはそう言うと、駅の出口へひょいひょいと進む。
「ねえケイト。〈封鎖世界〉を探してれば、そのうち分かる時が来るかな」
「何が?」
「私達がどこから来て、どこへ行くのか」
知ったところでどうしようもない気もする。
どこに行っても僕らが見るのは、かつて誰かがいた痕跡だけだ。
僕らという存在もいつかは消えてなくなる。知ることに、どれだけの意味があるのだろう。
「僕はベースキャンプから二日かけてやって来た〈採掘士〉だ。今から〈封鎖世界〉を堀りにいく。それだけだよ」
「ケイトってリアルすぎてつまんない」
「つまんなくて結構」
「もてないよ」
「もてなくて結構。僕の知り合いはちっちゃいアンドロイドとか、遺物と物語にしか興味がない色気ゼロのハカセとか、変なのしかいないし」
「むーっ」
そんな軽口を交わしながら、僕らは出口に辿り着いた。
長い地下鉄を抜けた先にあったのは、乾ききった荒野だった。
ここはかつて銃弾と兵器が飛び交う場所だったらしい。
戦場跡だ。
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