秋色のイチョウ

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 美しい秋の日のお話しです。  その丘は台形の形をしていて、登っていった上は野原になっていました。野原はぐるりと一周、いく本かのポプラの木で囲まれています。そして野原の真ん中には一本だけ三角ツリーの形をしたイチョウの木がありました。  イチョウは背丈がポプラよりも大変小さく、大変美しかったので、ポプラが騎士でイチョウはお姫様という具合に見えました。  イチョウは物静かな性質で普段は自分から誰かに話しかけることはあまりなかったのですが、近頃気がついたことがあり、それがどうしても気になって周りのポプラ達に尋ねました。 「ポプラさん、あなた方はいったいいつ眠っていらっしゃるの?わたくしが寝付く前には起きていて、わたくしが目覚めた後はみな様すっかり起きていらっしゃいますわ」  風が丘の上を透き通った青色を乗せて通りすぎます。野原はくすぐられているみたいに笑いました。イチョウの金色に染まった葉もチカチカと輝きながら、土の上にふりそそいでいます。  1本のポプラが答えます。  若い誠実そうなポプラで誰よりも幹と枝とを真っ直ぐに伸ばしていました。 「あなたがそう思うのには簡単な訳があるんです。それは私どもがみな、あなたが健やかな眠りにつけるか心配で寝つくまで起きているからで、朝方もまたあなたが平和に目を覚ますのを見守るために先に起きているのです」  思ってもいない答えにイチョウは少し赤くなりました。 「まあ、そうでしたのね。わたくしいつも不思議に思っていたんですのよ。寝付く前にはやさしい子守唄をきいた気がしたり、起きるときもやっぱりやさしい光に包まれていると感じたり。雨や曇りの日にも感じましたから変だと思っていたんですの。あの子守唄や光はポプラさん達のお優しい心持ちだったのですね」  紳士のポプラは風もないのにふるふると葉をふるわせ喜びました。自分を誇らしく思ったからです。  それは他のポプラも同じでした。  だってやはり他のみんなも葉をふるふるとさせていましたから。  日はてっぺんまで昇り、丘をひなたでいっぱいにしました。  今日も丘の上はいつもの通りに日が過ぎるはずでした。  しかしそうはなりませんでした。  丘の上に人間の子どもがやってきたのです。  男女ニ人ずつの四人です。  四人は野原に出るととたんにイチョウのほうへ走り出しました。きゃーとかいちばーん!とか元気な声をだしながら。  イチョウのふもとは自分の落ち葉でまあるく囲まれていました。そこだけ金色の妖精でも飛んでいるようにチカチカと輝いて見えました。  女の子のひとりはイチョウの葉を胸いっぱいに持って、うろこ雲に向けて放ってみたり、またひとりの子は金色の絨毯の上をあちこち見てまわり、ときおり色や形の良い葉を見つけるとしゃがみ込んで拾いました。そして持ってきたカンカンに収集しました。  男の子達はふたりともイチョウの木に登り出します。ただイチョウの一番下の枝は二人の背丈では届かないところにあったので、肩車をしてひとりが登り、次に登ったひとりが下に手を伸ばして同じとこまで引き上げる、というやり方で登りました。  それからはふたりとも生き生きと目を輝かせ、やっとのことてっぺんまで登っていきました。小さなイチョウでしたが、子どもにとってはかなりの高さです。  ふたりともうろこ雲がうんと近くになったように感じました。すずしい風を浴び、この風はあのうろこ雲の方から吹き下ろされたものではないかと疑りました。  それくらい気持ちの良い風だったのです。  しばらくすると、いつのまにか女の子はイチョウの葉で遊ぶのをやめ、男の子たちは冒険から帰還して、四人そろって日のあたる野原へ座っていました。  四人で囲んだ真ん中には三段重ねのお膳がひろげられていました。おむすび、鳥の唐揚げや卵焼き、サラダ、ウインナー、アスパラ、金平ごぼうと色彩豊かに盛り付けられています。  四人のお昼ごはんは、意外にもとてもゆっくりと進みました。  なぜかといえばこの午後のやさしい空気のなかでは急ぐ必要など全くなかったからです。  やがてこども達は居なくなりました。  日がだいぶ傾いてきているのです。  西の空はうんと遠くにあり雲の部分だけが、赤々としていました。じきに日が沈もうとしています。  イチョウは最後の日をあびながら、大きなため息をつきました。そのため息は、がっかりしたときや呆れたときにするそれとは全く違うものです。  普段は物静かなイチョウが興奮を抑えるのが精いっぱいというように、いく分かじょう舌に話し出しました。 「ああ、愉快だったわ。女の子は私の葉を宝物のようにして遊んでくれた。男の子はわたしの幹を撫でたり抱きしめたりしてくれた。わたし一番の嬉しさですわ」  昼間に喋ったのではない他のポプラがうなずきました。  そのポプラは大変な紳士でかっこうも、枝が下から順繰りに小さくなっていって、てっぺんの一点に集中しています。しゃんとしてかっこうよく見えました。 「イチョウさんは大したもんだ。あんなふうに子どもを本当の意味で喜ばせることが出来るのはイチョウさんしかいないだろう。それというのもイチョウさんが美しいからだよ。またイチョウさんの優しさに自然と引き寄せられているからだよ」  イチョウはしばらく考えていました。イチョウは褒められたからといってそれをすぐに鵜呑(うの)みにするたちではなかったのです。  日はもう沈んでしまい雲は全部灰の色でした。  かわりに東の空に煌々としたまん丸の月が昇っていました。  イチョウがいいます。 「もしそうだとしても、わたし一本ではどうにもならなかったでしょう。この丘に小さなわたしだけが一本あっても寒々しいだけですもの。今日わかりましたのよ。わたしがこうして毎日を平穏に過ごせている理由。わたしが眠りにつく後に寝て、わたしが起きる前には起きていて下さるポプラさん達のお優しい心持ちのおかげなんだと。きっとわたしその優しさを頂いていなければ、こんな自分ではないはずですわ。もっとしょうのない木になっていたことでしょう。ですからこども達を喜ばしているのは、元をたどれば本当はポプラさん達なのですわ」  月はグングン昇って、野原を真っ青に照らした。  野原には風が渡り、風が吹いた野原の辺りは真っ青色をやや透き通らせたようで、いくぶん透明に見えました。  先ほどとはまた別のポプラがいいました。  年寄りのポプラで幹が太く地面にどっしりと根付いています。とてもがんちくのある姿に見えました。 「あんたがいてわしらがいる。それでまあるくおさまっているのだ。あんたはわしらがいるから日々を安心して過ごせるという。わしらもあんたがいるおかげでこうして誇らしく立っていられる。お互い様なのだ。あんたとわしらでやっとまあるくなれたのだ。ひとつのきれいな風景になれたのだ」  イチョウは月を眺めながら胸をいっぱいにして黙っていました。しゃべる必要はありません。なぜかいえばふたりは今、全く同じ気持ちでいるからです。  他のポプラ達も少し笑ったようでしたが、口を開くものはありませんでした。  月がてっぺんまで登り、世界の全てを湖の底に沈めてしまった頃、イチョウは安らかな寝息を立てていました。  ポプラ達はそれを認めると、安心して眠りに入っていきました。                    おわり
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