足りないのに一杯な胸の中が痛む

3/13
前へ
/73ページ
次へ
いくらなんでも近すぎるし、俺は初心者なんだからこういうの勘違いしちゃうし、勘弁してください! っていう念を込めて、真木さんの肩を叩こうとした時だった。 「悪い、用事思い出したから帰るわ」 少しだけ低いその声は、いつも聴いているものより冷たくて、驚いて声の方を見遣る。 村瀬が席を立ち上がり、入り口に向かって歩いて行くところだった。 「村瀬」 呼び止めた長月が立ち上がり、一瞬俺の方を見て、その視線の意図が解らず息を止める。 まさか、俺の……せい? 村瀬は長月を手で制しながら何か小さく呟いて、その言葉に諦めたように長月が頷く。 そのやり取りを、ただ無言で見るしか出来なくて。 一緒に帰るって言ったのに、村瀬は一度だって俺の方を見てくれなくて。 不安がどんどん、内側から迫り上がる。 「村瀬くん、どうしちゃったんだろ……」 真木さんは俺に腕を絡めたまま、部屋を出て行く村瀬の背中を心配そうに眺めていた。 可愛いし親しみやすくて、気遣いも出来て、俺なんかには勿体ない良い子だと思う。たまたま俺が横だったから、こうして優しくしてくれたんだろう。 だから、真木さんが楽しんでくれるなら、もっと一緒にいてあげたい。 なのに。 頭の中では別のことが気になって、真木さんの声が全く耳に入らない。膜が張ったみたいに、みんなの声が遠くに聞こえる。 もしかしたら村瀬は、好きでもない女の子とこんな風にくっついて、みっともない俺に呆れて怒ってしまったのだろうか。 それとも、実は真木さんのことが気になっていたのだろうか。 考えれば考えるほど、答えはへどろみたいに意識を濁らせる。 なんで怒ってた? 俺のせい? 最近変なのは、俺のことが嫌だから? 泥濘に足が嵌ったみたいに、恐怖や焦りに似た何かが身体をひやりとさせた。 「真木さんごめんっ、ちょっと俺も帰る」 今、村瀬を追わなければ、もっと俺たちは、離れていく。 そんな気がして慌てて足元に置いていた鞄に手を伸ばす。 「え、秋くんも!?」 真木さんの声に気付いた仁志が、わざとらしいため息を吐き出した。 「まあー、仕方ねえーなぁー。村瀬のことはアッキーに任せるのが一番だよな」 115万キロのフィルムのイントロが流れ出し、マイクを掴む仁志が盛大に叫んだ。 「ここは俺の歌に任せろっ!!」
/73ページ

最初のコメントを投稿しよう!

69人が本棚に入れています
本棚に追加